男女の友情について

ちょっと真面目な話ですが(私にしては)。

 

男女間の友情はあり得るのか、というのが議論のテーマになることはよくあると思うのですが、これに関して私は限りなく白に近いグレーというポジションを取らせていただいております。基本的には双方に恋愛感情がなく、今後生まれる可能性が限りなくゼロに近い場合には『男女間の友情はある』と思っているのですが、同時に『世の中に「絶対」はない』というポジションも取っているため、何があるかわからないから限りなく白に近いグレー

なんでそんなことを突然言い出したかというと、めちゃくちゃ仲がいいけど本当に本当にこれだけは120%の自信を持って言えるけど私たちは絶対に恋愛関係にはならない、と思っている異性の友人が、自分の国に家族も連れて帰ることにした、と言ってきたんです。そして彼は旅立ちましたよ。初めて会った時から初対面の距離感はゼロ、あっという間に仲良くなり、よく終電ぎりぎりまで飲みにも行ったもんです。性別・国籍・育った環境が違っても人間ここまで同じ考えになるのか、となるような、血の繋がってない双子みたいだよねってお互いに言うような。歳も同じだし。

友達がなぜか海外へ次々と旅立っていくもしくは帰っていく星の下に生まれてる私は(日本にずっといる仲良しももちろんもちろんいる!!)、今まで何人の門出を見守ったかわからないんですなー。毎回毎回、寂しくなるなぁとは思うけれども、最終的に地球は一つだからね!イッツアスモールワールド!って送り出してきた。ましてやここ何年かの通信手段の発達(特にLINEとFacebook messenger)は本当に地球の距離をゼロにしたからね。時差さえクリアすれば家族と同じかそれ以上にコミュニケーションをとることだって可能になったし私はそれに今までどれだけ助けられてきたかわからないんですよ。

 

のに。

 

今回はなぜかダメだったんですよ。私の心がついてこなかった。やっとリカバリーしてきたけどなんだか心にはまだすっぽり穴が開いてる気分。だからなんでダメなのか分析したんですね。私とこの双子の弟は分析グセが酷いところも一緒なんだ、そう言えば。気になったことは考えたくなくても考えてしまうこの性分(でも気にならないことは全くもってスルーする)。そして考えるスピードに自分の口がついていけなくて、どんなにマックスフルスピードの早口で喋っても足りないあの感覚。嬉しいことも楽しいことも心の底から怒ったことも涙したことも全部なぜか理解しあえたんですよね。もちろん日々の出来事を全て伝えるなんてことはないよ、だって大人だしそもそもそんなこと必要ないし。飲みに行くのだって多くて月一回、ふつうは数か月に一回だったですし。

恋とか煩悩とかの理由(下心)がある時、人は相手を理解しようとか理解したと思ったり、逆に理解してもらったって思ったりしがちで、でもそれってそう思い込んでるだけで実際には思ったほど自分のことは伝わってなかったり相手のことをわかってなかったりとかすると思うのですが、この双子弟とはほんとおおおおおに下心はまったくなく、かといって努力をして分かり合おうとするわけでもなく、息をするようにしてお互いの考えが理解できたんですよ。だから話してる最中でも「はいはいはいはいわかるよ。」ってなって、相手の話の結論まで聞いてないのにその聞いてないけどわかってしまった結論を踏まえた話をフライングで話し始めちゃったりするんだけどお互いにそうだからまったく気にならなかったり(そうじゃなかったらただの感じ悪い人ですね笑)。なにかが起こった時に瞬時にプランA・B・Cぐらいまで考えちゃうところとかでも脳みそのCPUがオーバーヒートして電源落ちちゃうと何にも考えられなくなるところまで一緒だった。人としての性質が本当にそっくりで、話がとにかく止まらなかったんですよ、話が。

 

そんな片割れが旅立ちまして、私は、彼は私にとって双子の弟であって、かつ、灯台だったんだな。と気付いたんですよね。

 

私は生粋の日本人なのだけど、いつもこの国にハマりきれないでいるんですよねどこか。小さい時は何にも考えずにやりたいようにやっていて(そりゃそうだ子供だし)、たぶんほんとに何にも考えなかったから自分がみんなと違うことをやってしまった時に何が起こるかなんてことは気にもしてない、そんな子供だったんですよ。それがいつからか、大人に近づいていくにつれ「こうするべき」「こうしなさい」の壁にぶつかり、ぶつかりまくり、満身創痍の身体で、いつのまにか自分のやりたいこととやるべきことのギャップを計算し、最も労力が少なく進む方法を考えるような大人になっていたんですよね。一概にそれがいいことなのか悪いことなのかわからないけど。大人になってからも、おかしいなぁ一時は離れていたとはいえ自分が生まれ育った国なのにどうしてなんかハマりきれないんだろう、といつも思っていたし今でも思う。毎日思う。でも、きっとこの国ではみんなそう思っているんだと思う。だってみんな一人ひとり違うじゃん。なのに「みんなで同じ」がいいといまだに学校で教えられているこの国。会社なんて入ったらその無言の圧力はもっとある。私はあえてそこに大きな反旗を翻していこうとは思わないし、自分は自分のやりたいようにしつつ日々なるべく平穏に要領よく生きたいと思っているんですよ。そしてどこにもハマらなくても大して困ることはない、と思えるだけの経験を経てきたことで、私は自分の唯一無二の人生を純粋に愛するようになったしそれやそれに対する愛を理解してもらえない人に理解してもらおうと思わない、「良い諦め」、を手に入れたんですよ。それからは本当に日々楽しいんですよね。

でもね、やっぱり見えないふりをしている小さな小さな居心地の悪さというのはあって、それは少しづつ気付かないうちに細かい塵のように心に積もっていくんですよ。最初は見えなかった塵なのにいつの間にかそこに積もって、そして心から輝きを少しだけ奪っていく。まるで毎日使うお気に入りのグラスがいつの間にか曇ってしまっているような。

 

双子弟はそんな私の小さな居心地の悪さに気づいて、

「あんたはなんにもおかしくないよ。居心地悪く思う必要ないんだよ、みんなと一緒にいなきゃいけないとかみんなと同じでなきゃいけないなんて全くないし今の自分を人に合わせる必要なんて本当に全くない。あんたはそのままでいいんだ。どこもおかしくなんてない、そうじゃなくて日本におかしいところがたくさんあるんだよ。どこの国にもおかしいところはたくさんあるけど、日本はおかしいと思ったことを誰も簡単には言わないし変えようとしないだけ。日本は本当にいい国だし俺は日本が大好きだけど、すべてが正しい国なわけじゃないよ。だからJust fuck it!」

って言ってくれてたんですよ常々。(こんなこと、異性から言われたらふつうその人のこと好きになっちゃいますよね。ていうか私はなる。でも、これを言ったのは双子の弟だったから全くならなかった笑)

 

外見が「外国人」だとこの国ではいろいろ区別されることも多いけど、でもそれは「みんなと一緒」を求められない分とても楽だったりすると双子弟は言っていたし私もそれはよく見る光景だと思う。逆に外見が「日本人」もっと言えば「アジア人」だとこの国では「みんなと同じ」が求められる。誤解しないでいただきたいが私は日本の文化を愛しているし、「行間を読む」という日本人が身に着けている超能力のような力こそが繊細で優美な日本文化を作ったと思っているんですよ。だけど、たまに「みんなと同じ」の荒波に私は沈没しそうになる。そんな時、私はいつも灯台の光に向かって船を進めていた。そこに行けば必ずある、「そのままでいい」という絶対に変わらない彼の言葉を求めて。一緒にビールを飲んで、でもビール飲む暇もないくらい話し通して嫌なことも楽しいことも笑い飛ばしてしまえばまた次の日から私は「社会の荒波」へ航海に出ることができていた。

 

もちろんこれからも私は私の双子の弟と、笑っちゃうぐらいムカついた出来事とか、素敵な報告とか、かと言えば真面目に国際政治のこととか、たくさん話すんだと思う。現代技術の発展のおかげで。

 

だけど、やっぱり、お互いの顔を見ながら、大好きなビールがぬるくなっちゃうぐらいにたくさんくだらないこともまじめなことも話をするのと、携帯の画面で話をするのは違うんだろうな。と気付いてしまっているんですよね。私の中に音もなく溜まっていく塵を、これからは自分でお掃除をしてきれいに捨てなきゃいけないし、双子弟も自分で自分に溜まった塵をお掃除しなきゃいけない。でもたぶん大丈夫。話を聞いてくれる家族も素敵な友達もいる。それは双子弟も同じ。私の心の中に今ぽっかりあいている穴は私が自分で自分の心の掃除を上手くできるようになっていくにつれ、小さくなって埋まっていくんだと思うんですよ(埋まってしまうまでは、その穴から私の塵を捨ててしまうのに使おうと思う)。

 

それに、海をこえて十何時間飛行機に乗れば、双子くんには会える。用事がなかったら一生行かないような場所だけど、私は多分会いに行って、今度は彼の家族とみんなでビールを飲むんだと思う。数百年前には海外に行くのは生死の覚悟をもってするようなことだったんだ、って思えばなんて素敵な世の中になったんでしょうね!

 

家族みたいな関係なので、旅立つ前に最後飲みに行ったときも「じゃあ、双子の弟よ、元気でね、またね」ってあっさりした挨拶でした。だって恥ずかしいし。だから彼には読めないだろうこの長ったらしい文章は、素晴らしい友情を共に築いてきたそしてこれからも築いていく、

 

 

私の双子の弟へ。

 

ブレードランナー2049

ブレードランナー2049を観たんですね。

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www.bladerunner2049.jp

 

テレビでCMが流れだした時は、「うん、私の好きな種類の映画じゃなさそうだから優先順位は低めだな」って思ってたんですよ。ライアン・ゴズリングも別に好きな俳優さん!って感じではなかったので。ハリソンフォードは私の中ではインディ・ジョーンズの人だし、ブレードランナー1作目も観たことなかったんですよ(私、スターウォーズも観ていないんです)。でもね、いろんな人の感想を聞いてるうちに「これは…映画館で観ないと後悔するパターンだな?」と思いまして(ダンケルクもそうだった)。思い立ってチケットを予約してから、「あれ?これって1作目みてないとダメなやつなのかな?ていうか一応続きになってるらしいし1作目超絶有名だし観とくか。」と思ってAmazon Videoでレンタルしました。

 

が…。

 

一作目が私には全くヒットせず。

 

そもそも1982年に公開された映画なのでどんなに加工しても画像が荒いとか、画面が終始暗くてみずらかったりとか、そもそも近未来(2019年の設定!)は暗く重い設定なので見てるうちに気分が重くなってきてしまうとか、自分の家で見てるからいろいろ誘惑が多くてついつい気が散っちゃったりとか、という理由もあると思うんですよ。でもなんていうか、テーマがとにかく重い割には結構終盤まで話が読めちゃったことと若ハリソンに思い入れがないこともあって自分の中での消化試合感が強かったのもあるのかもしれない。が、この2019も最後10分位でおおおおおおおおお!ってなりました(私はこの映画の内容全く知らなかったので)。

でさ、私は次の日に2049を観るために2019を観たので、続きがあるのを知ってて2019観たわけなんですけど、これ、1982年の公開当時は結末がかなりみんなの論議を呼んだらしいですね。私は2049をみて最初に思ったのは、35年も経ってから続編を作ったけどもともと続編作るつもりで2019を作ってたんじゃないの?ということでした。2019は序章であって、2049が本編なんじゃないか?って(そんでもって2049でも伏線回収終わってないけど笑)。

 

そう思うぐらい、2049はよかった!

 

2019のストーリーをしっかりと継承して作られているし、2019を観ていた人にはおおおおお!ってなる大ネタ小ネタシーンが各所にちりばめられてるんですけど(なんなら開演ぎりぎりまで2019観てたから自分の記憶が新しすぎていろいろ見つけられた)、2049だけ観てもきちんと楽しめるようになってました。ちなみに私が今までの人生で一番影響を受けた映画はターミネーター2なんですけど、ターミネーターも1がヒットして2が作られたわけですけど(そりゃ当然そうだ)、ほんと2が最高傑作すぎますからね(ねえターミネーター2観たことない人っているの?)。それと同じような印象。

そして1から出ていた人と2から出ている人両方の配役が絶妙ですよ!ライアン・ゴズリングは私的にはララランドより当たり役でした。彼の持つ何となく暗いイメージ(失礼)と顔に似合わずのマッチョが、役にぴったり!あとジョイ役のアナ・デ・アルマスがとにかくいい!かわいい!まじかわいい!好き!全編可愛いしセクシーだし、ラテン系の結構エネルギーのあるお顔なのにジョイという儚げな存在をものすごく体現してました。帰りの電車でアナ・デ・アルマスの出演映画めちゃくちゃググったもん。あとね、ウォレス役のジャレッド・レト。この人のカメレオン感は本当になんなの?カメレオン俳優って呼ばれる人は結構いるけど(我らの高橋一生もそうですね!)この人のぶっ飛び感というか振り切れ感てすごい。今回は役柄で目にコンタクトが入っているというのももちろんあるけどほんと不気味だったー。あとは刑事役のロビン・ライトとかラヴ役のシルヴィア・フークス(初めて聞いた名前)とかもぴったり!二人とも強い女でした。そしてやはりやはりの重鎮ハリソン・フォードさん。いやー、私は1作目主役だったハリソン・フォードが出るって聞いた時はちょろっとでる話題集め系かなって思ったんですけど、実際にはハリソン・フォードが出ないと作れない映画でした。オンジ大活躍じゃん!って思ってました。御年75歳(!)であれだけのアクションできるって…ハリウッドは化け物の集まりなのか?と思いました。ていうかそうなんでしょうね…。彼は今まで出演した映画の興行収入総額6560億円らしいですよ。桁違い…。

 

SF映画って、基本的に普段の生活では使う感情とまるで違う部分が刺激されるので好きなんですが、すごい苦手だなってなる作品も結構あるんですよね、私。でも、なんていうかこのブレードランナー2049は好きか嫌いかという次元ではなくて「すごい」映画でしたねー。なんていうか精神的体力をとても使う映画です。私ほんとにターミネーター2が好きすぎて何回でも観られるし実際見てるんだけど、この2049はしばらくはいいや…。メンタルカロリーの消費が激しすぎてほんとに疲れるんですよ。3時間弱という長さもそうなんですけど(映像美を堪能できるという意味では計算のうちなんだと思うけど、背景シーンが長いよね…全部ちょっとずつ削ったらもうちょっとコンパクトになったんじゃないかなあ…)、取り扱ってるテーマが重いじゃない。重すぎじゃない。増え続ける自分の体重を思う時と同じぐらい重い気持ちになるのよ。月曜日のことを考える日曜日の夜ぐらい重い気持ちになるのよ。だから善と悪が出てきて戦う勧善懲悪系のSF映画と全然違うんですよ。スカッとしないの。倫理観に訴えてくる系SF映画。人間とはなんぞや?人間と人間でないものの違いはなんなんじゃ?って言って来る映画。機械なのに心を持ってしまっているレプリカント、その記憶は作られたものであるけどでも今ここでレプリカントに生まれる感情はリアルなんですよ。でもそれすら人間が作ったもの。考えてるうちにぐるぐるしてきます笑。

万人が好きな映画ではないことは確かですね。嫌いな人は途中でギブアップしたくなるかも。でも私は人に聞かれたら間違いなく勧めるね。そしてどうせなら大きな劇場で観てほしい。大きなスクリーンと素晴らしい音響施設の中で(ほかのものに気を紛らわされる心配もなく)存分にブレードランナーの世界に浸ってみてほしい。たぶん、これDVDになってから家で観たらまったく違う印象になります。

 

深いのよこの映画。ほんと深いのよ…。だから頭使うのよ…。

 

と、お上品な映画の感想はここまでにして。

 

********ここからネタバレを含みますので映画見た後に読んでねもしくは読んでも文句言わないでね********

 

私、ライアン・ゴズリングってなんかタイプじゃなかったんですよ。いい俳優さんだと思うので人気があるのは理解できるんだけど、たぶん観たことがある彼の出演する映画の役がなんとなーく暗い感じで。でもこの映画観て考えを変えました。好きです。ライアン私あなたのこと好き。大好き。抑えた感情表現のエロス!

 

今回ライアン氏は主人公のK役なわけなんだけど、このKが割と序盤でレプリカントであることがわかるんですよね。だからライアン・ゴズリングのどことなく陰のある悲運を背負ったキャラクターイメージ(本人じゃなくて今までの役のイメージね)とKがすごくマッチする。

そしてこのKのおうちにはAi(ホログラム)である彼女ジョイがいるんですね。このジョイちゃんがさ、もうね、もう一回言うけど超絶かわいいの。エロかわいいを体現してる。このジョイちゃんが出てくるシーンは全部癒し。基本暗くて重厚感しかないんですよ画面に。だけどジョイちゃんが出てくるときだけはKと一緒にわたしも癒されてました。エロ癒し系!でもジョイちゃんAiなの。Kはレプリカントなの。2人(2体?)とも人間ではないじゃん?なのに愛し合ってるのよ。感情は与えらえてる設定らしいけど心は乱されないはずの機械なのに乱れる心がそこに明らかにあってお互いを求めてるのよ。愛し合ってたらお互いに触れたいじゃない?なのにジョイちゃんホログラムだから触れないじゃん?ということでここでジョイちゃんはレプリカント娼婦を雇って、娼婦と自分の体を重ねて(同期するって言ってた)Kと触れ合うわけだけども!ここのシーンの生っぽさとアート感がすごいよ!この映画の私的最大の超絶映像技術シーンでした。あのね、なんていうかエロいとか官能的という簡単な言葉で処理できないのよ。いや、

 

このアナちゃんが、

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このライアン・ゴズリング

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に迫るってだけでまあそれは破壊力すごいんですけど、私はぶわーーって鳥肌立ちました。今まで見たことないものを見ちゃった感。ちなみに隣の席にいた妙齢の男性は変な声出してました(あの時のお兄さん、私には聞こえてたよ、あなたが声になり切ってない声で「マジか」って言ってたの)。

 

あとねー、自分がレプリカントと人間の間に生まれた「奇跡の存在」であるのかも、と知るシーンとその後そうではなかったと確認したシーン。よかったねええええ。ライアン・ゴズリングの演技すげえ!自分は「ただ」のレプリカントではないのかもと知ったシーンで戸惑うんだけど、戸惑うんだけど自分が特別なのかもしれないという事実を知った高揚感、そしてそれは用意周到に仕組まれていた「勘違い」であったと知ったときの絶望、その「勘違い」の事実確認した時の湧き上がる怒り。いやー、レプリカントであるKがだんだんと感情を持っていってしまいにはその感情に振り回されていく様にどんどん引き込まれましたよ。

 

というわけで、全般的にとても素晴らしい作品だと思います。

が、私は上でも述べたとおり次は体力気力がみなぎってるときでないと無理かもしれません。

 

深いのよ…ホントに深いのよ…。

私が心奪われたオジサマの話 (“The Blacklist-ブラックリスト”)

10月いかがお過ごしですか?

私は、こんなにスクリーンと仲良くしたこと人生で初めてかもしれません。

朝ドラ(これから高橋一生が大きな蝶ネクタイで大活躍をする予定、と信じてる)と大河ドラマ(なんとしても井伊谷を最後まで見届ける)は外せませんし、チェックしなきゃという感じの連続ドラマも今期はいくつかあるし、高橋一生は番宣のためにバラエティによく出てるし、ダンケルク亜人は見たけどアウトレイジ最終章とブレードランナーも観に行きたいし、運慶展と国宝展は行かなきゃいけないし、おまけにわたしは今までのHuluとAmazon Videoに加えてNetflixまで契約してしまったのですよ…。これが何を意味するか分かりますか?今ならもれなく24時間寝ずに過ごせるってことですよ。それでもって私一応お仕事してますしホント寝るなってことなんでしょうかね神様?

テレビは無駄、とよく言われることですし私も昔はそう思ってました(Netflixなんかは有料サービスなので厳密にはテレビとは違うかもしれませんが)。粋がって「テレビなんてつけないし」っていう時代もありました(映画は見てたけど)。が!今はテレビのおかげで無駄なこと考える時間が少なくなりましたし(無駄なこと考えてる暇があったら面白いコンテンツ見たいし見なきゃいけないのはどんどん湧いてくる)、テレビで気になったことを深めるために本を読んだり、友人たちと語り合ったりして、昔よりテレビが思ったよりも重要な存在になっているかもしれません。何でもかんでも見てるわけではなくきちんと厳選して見ていますが、あの大きめサイズの薄い板、なかなかやりよる!

 

そして話を最初に戻しますが、10月、忙しいんですよ。なのに、私はとある過去ドラマ(高橋一生が出てたやつ)を見たくて契約したNetflixで大変なコンテンツを見つけてしまいました。

 

The Blacklist(ブラックリスト

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www.superdramatv.com

 

でもこの公式サイト、ネタバレの地雷がそこかしこにあります。あとWikipediaも地雷だらけ!私はシーズン3の頭までしか見てないのにシーズン3の重要要素っぽいところがうっかり目に入ってきてしまって泣きながらページを閉じました。なので皆さんがサイトを開かなくて済むようにイントロダクションを↓

 

FBIもCIAもその存在すら知らない凶悪犯罪者たちが居るとしたら。そんな犯罪者達の情報を網羅している“リスト”を所持している男がいたら。そして、その男自身がFBIの最重要指名手配犯でありながら、そのリスト=ブラックリストに載っている犯罪者たちの捕獲に協力しようと申し出たら?そんな大胆な設定で始まるドラマが、2013年9月より全米ネットワークNBCにて放送スタートした最新超大型サスペンス「ブラックリスト」である。

世界中の犯罪者たちの裏取引に協力をし、「犯罪コンシェルジュ」と呼ばれる国際的な最重要指名手配犯レイモンド・レディントン(通称レッド)が突然FBIに出頭、彼がこれまで関わってきた凶悪犯罪者達に関する情報を提供し、彼らの逮捕に協力すると申し出る。ただし、彼がFBIに突きつけた条件は新人捜査官のエリザベス・キーンを担当にすること、というものだった。面識すらないはずの二人。レディントンの持つ情報とはいったいどんなものなのか。彼の真の狙いは何なのか…。

 

あとこっちも見てね。
BD&DVD『ブラックリスト シーズン 1』予告編【10.22(水)Vol.1~6 DVD好評レンタル中】

 

この番組、私は2015年の秋から2016年の春にかけて日本テレビ系列でやっていた深夜放送で初めて観たんです。たまたま夜中にテレビをつけたら第1シーズン第1話が放映されていたんですよ。もうすぐに釘付けでしたね。何にって主人公のレッドにです。深夜にテレビつけたらたまたまシーズンがスタートするとかもう運命としか思えないよね…。でもさあ、第1シーズン終わって第2シーズンをTSUTAYAに借りに行くのがめんどくさくてさあ…。レッドには会いたいんだけどTSUTAYA返却めんどくさいしさあ…。

そうこうしてるうちにゾンビと蜜月関係になったり(ウォーキング・デッド)、その後高橋一生と運命の出会いをしてしまってランデブーを重ねてたりしてたからさ、毎日毎日無駄に忙しくて。放っておいたら寂しがってレッドの方から会いに来てくれました。というわけで運命の再会を果たした私とレッドは隙間時間とか週末を狙ってこっそり逢瀬を重ねてます。Netflixって端末にダウンロードできるのでほんと便利で、今や通勤中やら待ち時間やらとほんとの隙間時間にレッドとデート。なんなら大好きなイッセイ以上にレッドとの逢瀬を重ねる日々!

 

で、何がそんなに私をレッドにハマらせたかって?

 

あのね、レッドくん、何考えてんのか全然つかめないの!!!!!(女ってこういう男に弱いでしょ?え?私だけ?)

そもそもしょっぱなから自らFBIに捕まりに来るとか全然意味わかんないし!どういうことぉ?ってなる。で、常に獲物を頭上高くから俯瞰してる猛禽類のような感じとか(外国人にたまにいるちょっとどこ見ているのかわからない目がまた鷹っぽくて猛禽感あふれてる)、必要なことを成し遂げるためには手段は選ばないし金に糸目もつけない感じとか(またその規模が桁外れ)。さらには基本的に情はゼロ(ほんと少数の自分の身内の人間にはすごいある)。いやいやあなたほぼ死ぬぞ、って言う場面でも全く動揺の影すらない余裕の態度だし実際ほぼ死ぬ!みたいになってもいたって冷静。感情ゼロの真顔でバンバンいらない人間は消すしボンボンなんでも爆発させちゃう。え、このドラマのタイトル『ターミネーター』だったっけ?って確認したくなります。でもその普段は全く誰にも乱されない感情が、自分にとって大切なものに危機が迫るその瞬間だけ乱れるんですよ。ほぼ外には出さないんだけど彼の心が揺さぶられる瞬間があるんです。その瞬間を見ちゃうと女は落ちるんですよ!やだ、この人冷たそうに見えて本当は優しい…。ああ私がそばについててあげなきゃ!ってなるんですよ!(メモを取っていいよ男性諸君)

 

そしてここが一番重要絶対テストに出るとこ。

レッドがめっちゃイケおじ。

犯罪者のくせにめちゃくちゃ紳士、ほれぼれしちゃうような教養があって、ひょうひょうとした振る舞いとそのユーモアは最高。ふざけてるの?ってぐらいかっこよくハットを被って(麻生元首相と同レベルか勝つかぐらいのレベルで似合ってる)、やっぱサヴィル・ロウっすか?って感じの仕立ての良いスリーピーススーツを常に着ているんですよ。これ完全に私の好みなんですけど、昔からスリーピーススーツを着こなしてる男性にめちゃくちゃ弱いのですよ(着こなしてる、ね、着てる、じゃないからね)。それでもってジャケットを脱いでベストの状態で腕まくりなんてされた日にはっ…(声にならない声)!レッドさん犯罪者ですからね、しょっちゅうマシンガンとか打っちゃったりするんでジャケット脱いでベストで腕まくりスタイル頻発するんですよ。最高かよ!さらには一仕事終えて隠れ家に戻ってウイスキーかなんか飲んでるベスト姿なんか…もう…神様ありがとう!!!!!おまけに坊主!めっちゃスリーピース着こなして教養あって大金持ちで英国紳士風なのに坊主!ぼうず!BOZU!ギャップ萌え!神様ありがとう!!!!!

ああ、照明暗めの重厚感溢れる内装の落ち着いたレストランで一緒にアホみたいに高い赤ワイン飲みながら肉汁滴るステーキ食べたい、ってなります。なんかよくわかんないけどなんかわかるでしょ?わかってこの感じ!

 

レッド役をやっているジェームズ・スペイダー、私の記憶の中ではミステリアスで線が細めのきれいな顔したおにいちゃんだったのですが、

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今やこんなに恰幅のいいイケおじに!!!!!

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わたし正直昔のジェームズ・スペイダーより今の彼の方が断然好きです(いや別に全然昔のイケメンジェームズも全然かっこいいですけど)。

神様ありがとう!!!!!

イケおじは地球を救う。少なくとも私を救うから私の周りの地球は救ってる。

 

と、いう具合にわたしはこのドラマを見るにあたってレッドに夢中なので、ヒロインであるFBI捜査官のリズ(苦虫噛み潰した顔が得意技!)とかリズのFBIでの相棒レスラー(筋肉バカ!)とかその他同僚とか、FBIの上司のクーパー(大人のオトコ!)とか、旦那さんのトム(イケメンメガネ!)とか、比較的固定メンバーでいつも出てくる人々はいるんですがここでは特に彼らについて一人づつ細かく書くのは省きます。ただ言えるのは、本当にひとりひとりのキャラクターがしっかり作りこまれています。ただの苦虫オンナじゃないしただのイケメンじゃない。筋肉バカには筋肉バカの悩みがある。大人のオトコはたまに弱みを見せる!で、さらにはこれらの登場人物もぼっこぼっこと物語の鍵となる要素を投げつけてきますし皆さんまぁそれは派手に動き回ってドンパチするので収集つかなくなっていくんですがそれはドラマを見ながら知っていくのがベストかと。やはり言えるのはアメリカドラマはやっぱりみんなシナリオとかキャラ設定が最初にありきできちんとベストな人がキャスティングされてますね。出てくる人みんながイケメン&美女ばかりじゃないのもリアリティ増す!日本のドラマでありがちなイケメンと美女しかいない病院、イケメンと美女しかいない警察、イケメンと美女しかいない弁護士事務所、とかってその時点でもうおとぎばなし感がすごいじゃないですか。その辺アメリカのドラマはきっちりいろんな顔がそろうんですよ。そしてみんな演技がうまいです。ほんとにうまいです。演技っぽい演技してる人もいません。ヒロインのリズさんなんて、FBI捜査官のルーキーの役なんですけどなかなかどうして私はあまり感情移入できないというか好きなタイプじゃないんですよ。結構ドラマクイーンぽい所があるというかご機嫌斜めだとすぐ当たるんですよこの方、私の大好きなレッドに。その感じがほんとに「こいつなんで今私のレッドにあたるのよ。FBI捜査官でしょもうちょっと冷静に仕事しなさいよ、絶対友達いないわよこの子。あ、そうだこの子まだ新人ちゃんなのよね!」って思っちゃう感じでリアリティ。そんなドラマクイーンリズだけじゃなくて一人ひとりにキャラクター設定がしっかりされている。から物語の中で例えば誰かが仕事で失敗したりする時も、ああ、この人ならこういうミスはするよねー!って感じで突拍子もないことがない。住んでるお家とかもサイズ感おかしくないですか?お給料的に?みたいなことがない。きちんとすべてに説明がつくからリアリティに厚みがでてる。ドンパチやるだけのドラマではありません。いやかなりドンパチするけど。アウトレイジもびっくりのドンパチだけど。

 

というわけで主人公レッドだけでなくほかのキャストもしっかりと作りこまれた素晴らしいドラマなのですが、今日覚えて欲しいところは、とにかくメインディッシュはレッドであるというその一点のみ。脂ののり具合も最高です(体型・演技共に大トロクラス)。

 

…が、ここまで読み返して、やばい「レッド最高!あとはいい感じなサイドキャラだよ!」しか書いてなくてとりあえず偉い人万歳って言っとけばオッケー的な某北の国みたいになってるじゃん!坊主のイケおじ嫌いだったらアウトじゃん!と気づきました。違うの!そんなことないの!私みたいに坊主のイケおじが好きじゃなくても見てほしいの!

 

というわけでですね、もう一つこのドラマがうまいなあと思う要素を。

このドラマ、第1シーズン第1話を見た時に多くの人が既視感を感じると思うんですよ。あの、映画史に残る名作『羊たちの沈黙映画 羊たちの沈黙 - allcinema)』と設定が似てるんです(ていうかYoutubeの予告でそう言ってるしね)。

 

レクター博士=レッド、クラリス=リズ、となりますね。

 

羊たちの沈黙』は猟奇殺人鬼として刑に服しているレクター博士からヒントをもらいながら新米FBI捜査官クラリスが猟奇殺人鬼を追うストーリーですが、レクター博士が殺人鬼=怪物である、という事実が物語のコアですよね。人間を物のように殺すことに喜びを感じる怪物だからこそわかるその心理をレクター博士クラリスに与える。博士と接しているうちにクラリスも博士の絶対的引力を持つ心の闇に負け引き込まれそうになるわけですよ。この映画はとにかくレクター博士役のアンソニー・ホプキンスがすごすぎるんですよ。不気味すぎる。私は今でも『羊たちの沈黙』の「ひ」だけで脳裏に牢屋からこちらを見つめるレクター博士のぎょろりとした目が浮かびます。自分が毎日健康な心で平和に生きているというのはものすごく薄い氷の上で踊っているようなものだと気付かされるような映画なんです。いつ自分の日常が壊れても壊されてもおかしくないんじゃないか、と思わされます。めちゃくちゃメンタルカロリー使うので日曜日の夜とか見ないほうがいいやつです。

 

対して(私の)レッドさんのブラックリスト

犯罪者が新人FBI捜査官に自らの知識を与えながら導く、という設定は全く同じです。この設定は多分見ていて視聴者が引き込まれるパターンなんでしょうね。導くものと導かれるものという構図はわかりやすいし観ていて安心できますからね。

と、構図は同じですがブラックリスト「テレビ用にライトにしてドンパチの見せ場を増やした『羊たちの沈黙』」なんですよ。正直人間心理の「闇」はえぐってきません。気軽に見ることができる。けど「心の柔らかいところ」を突いてくるし、『羊たちの沈黙』以上に伏線がたくさんあって(2時間で終わらせる必要ないからね)、謎が謎を呼ぶ、視聴者が引き込まれて先を見たくてたまらなくなるストーリーはきちんと作られている。このドラマに出てくる人は、レッド(FBI最重要指名手配犯)とFBI捜査官(と犯罪者たち)です。表裏がないわけがありません。てゆうか裏ばっかりです。裏に次ぐ裏でどれが何が誰が表で裏なのかわかりません。誰を信じていいのか誰が裏切るのか、誰がいいやつで誰が悪いやつなのか、全員が建前と本音(秘密)を持って生きているんです。で、登場人物同士が密接にかかわるうちにお互いの本音に触れたりするんですね。私たちは視聴者なのである程度各登場人物の表とか裏とか本音とか秘密は知ってる上でストーリーを見るじゃないですか。前もって登場人物の本音なり秘密を知っていることによって、物語の中で本音と本音が触れ合うシーンとか秘密がバレそうになるシーンなどがものすごく効果的に働くんですよ視聴者に。登場人物の隠れた本音を知っているだけにああああああああ!気いつけてえええええその人に本音言っちゃあかん!!とか、あああああ!それ本音だから!今冗談ぽく言ってるけど本音だから!!!みたいになります。画面の前で悶えます。

レッドのかっこよさにとにかく私はひきつけられましたし今もそうなのですが、観ているうちにどんどんストーリーに引き込まれるのは一人ひとりの登場人物のつくりがしっかりしていてかつ少しづつ自分を投影できるからかと思います。そしてもちろん我らがレッドは多くの表に出さない本音や秘密を持っています。そのね~、小出し具合がね~、たまらないのよ!訴えかけてくる心理描写は『羊たちの沈黙』のように重くないんです。だから今私がぐちゃぐちゃしてたような考察はしないで構えずにさらっと暇つぶしとしてみても、全然大丈夫なんです。とにかくレッドのぶっちぎり具合が気持ち良いんですよ。そこにトッピングするようにFBI軍団も比較的派手にやらかしてくれるので安心してスカッとできます。なんていうかこのドラマ社会不適合者しか出てないんじゃない?ってぐらいドッカンドッカンやります。日曜日の夜に見ても全然OK!たぶんこのドラマアメリカ版水戸黄門です。ただし勧善懲悪ではなく懲悪。悪をもって悪を征す(これも予告で言ってますね)。善悪ってみんな自分の基準で判断するけど、果たしてその「善」「悪」は何を基準に分けられるのかなと思わせてきます。いや人殺しちゃだめだけど。恐喝しちゃだめだけど。ドラッグはダメ絶対!だけど。線をどこに引くのかで悪が善になることもあるのかもしれない、悪があるからこそこの世の中は回っているのかもしれない、と思わせてきます。とにかくとにかくしつこいけどそう思わせるぐらいにレッドが魅力的です。

 

今私は第3シーズンの5話まで視聴を終えているのですが、あー、このドラマのメインテーマってこういうことかも、と思う印象深いセリフがありました。(印象深いセリフは掃いて捨てるほどでてくるのだけどメインキャラのは書きたくないので)

 

I never had any principles, that’s why I’m on a rocket to the top.

―私に(自分にとっての正義であり行動規範になるような)主義はない、だから組織の中でのし上がれるんだ。

 

これを言う人はメインキャラではない政府の高官なんですがゆすりたかり等悪いことしてるんですよ。しかも裏でこそこそと(当たり前だけど)。正しい人間になろうなんて思ってないんです。とにかく権力を持ちたいから手段は問わない。そのためなら悪に加担してもいいし倫理に背くことも平気でする。でもなんで権力を持ちたいかって言ったら(もちろん権力に伴って手に入る色々なものがほしいからもあるでしょうが)その権力を持ってして力の均衡を保ち、国を守るためなんですよ(たぶん)。なんていうか清濁併せ呑むってこういうことだよね、ってなる。真実をすべて公にすることが正義ではないのかもしれない。と思わせる。このドラマって、メインキャラクターではない人含めそういう人ばっかり出てくるドラマなんです。でもそれは悪とは言い切れない。みんなそれぞれの信念のもとに毎日生きているわけです。

 

というわけでね、映像も内容も全くもうほんとに映画クラスなんです(正直昨日見た『亜人』全編よりも1話分のセット代だけでより多くお金使ってそう)。なのに!これを!テレビで!しかも民放で!放送してしまうアメリカのスケールのでかさ!もしもチャンスがあったらぜひ見てみてください。ストーリーはつながっていますが基本的には一話完結です。

先ほども書いたのですが、わたくし、今シーズン3の第5話を見ているんですね。現在アメリカではシーズン5が始まったばかりです。日本ではシーズン4のDVDレンタルが2017年12月6日より開始します。シーズン3は23話までなので、私あと18話で12月までもたせないといけないんですよ。それに気づいたら辛くてつらくてほんと辛い。今にでもすぐにでも先が見たくてしょうがないのに終わるのが惜しいし怖いし無理!私にとって、ブラックリストを見ることは、ゲーム好きな人がドラクエやるようなのものなのだと思います。ブラックリストを見ている間、わたしは他のことを一切考えずにただこの世界に浸れるのですよ。そうして今私はその世界が終ってしまうことが本当に嫌だ!一人で耐えるの嫌だ!…ねぇ、もしもチャンスがあったら、ってさっき言いましたが、積極的にチャンス作って観ません?いや、観て?私もう一度シーズン1から観るから!ね?ね?

 

そして私とイケおじ談義しましょう。

 

いつでもご連絡お待ちしております(本気)。

舞台挨拶編 of THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY

HPが回復したので、リミスリ舞台挨拶について書いておこうと思うのですが。舞台挨拶を見た日のうちに忘れないうちにメモは残していたのでそこそこ記憶は残っているのですが、正直あまりこれ書きたくなくなってます笑。なんていうか、HPが回復したせいなのか私が一枚脱皮してしまったのか、舞台挨拶を見たことで私の『高橋一生』への思いがついに達観レベル(果たしてそれはレベルが上がったと言えるのか下がったと言えるのかわからない)になってしまったので、ほんとはブログにしないでツイッタ-でさらさらっと観察記録をつぶやくだけで終了した方がいいような気がしてきてます(でも日数経ったから今更つぶやくのもねえ)。

あの日は仲のいい人たちだけにうわーーーーーーーーーっと舞台挨拶で観察したこととそれに対して感じた考察を話したのですが、なんかまあ新鮮な感情をまくしたてたのに、ほんと、みんな、やっさしいなー聞いてくれてさ。って思っています。イッセイさんを好きな人って(まあどの役者さんでもそうなんだと思いますが私はここまでお気に入りができたことが大人になってから初めてなので一般がわからない)、なんかすんごいバラエティ豊かなんですよ。本当に恋をしている人もいるし、めちゃくちゃ客観的に物体としてみている人もいるし、本人よりも本人がやった役が好きでしょうがないからまあ本体も好き、みたいな人もいるし。。。だからみんなそれぞれ反応が違う。

私自身、自分は結構キャッキャキャッキャしているファンみたいな感じかなと思っていたのですが(いや、恋愛してると女性ホルモンが出て、さらにはその対象は2次元でも3次元でも効果は変わらないって読んだからさ・・・。自分でもなるべく恋する気分を積極的に出してたんだよ・・・)、実物を見て帰ってきたら冷静に客観的に彼を見るようになってしまっていることに気づきましてですね。だから、そんな私が観察して考察したことを書くと嫌な気持ちになる人もいるかもしれないなあと思ったのですよね。なので、イッセイさんに本当に恋している人はこのエントリーは読まないほうがいいかもしれない(あと高橋一生以外がものすごいさらっとした描写しか出来なさそうなので他の方のファンは怒らないでください・・・)。

誤解をされたくないのではっきり言いますが今も高橋一生が大好きなことは変わりません。達観したんです!悟りの境地なんです!

 

 

当日、9月28日の東京は夜になるにつれて雨が激しくなり、舞台挨拶のあった新宿武蔵野館に行く時間にはかなり激しい雨でした(イッセイさん雨男ってほんとですね笑)。

私、本っ当にすっごいいい席に座れていて。

かなり前の方の真ん中より少し左、ぐらいにいたのですが。

座って待っている時に、「あれ、、、そういえばみんなどこから出てくるのかしら?」と思ったんですよ。新宿武蔵野館というのは行ったことある方はわかると思いますがとても狭い映画館なんですね。そして上映会が行われたシアターは3つあるうちの1番大きいもの。それでも学校の大きめな教室ぐらい。120席ちょっとですからね。で、どこからくるんだろう?と周りを見渡してみると、お客さんが入ってくるシアター後ろにある入口か、私が座ってるところから近い壁にあるドアしかないんですよ。舞台挨拶時、前2列及びうしろ3列(たしか)は関係者及びマスコミ席だったので、マスコミ関連の人で埋まってたんですね。ここから私の脳内では「カメラで出演者の入場を撮ろうとしてるとすれば(だってたぶん一番歓声が上がるのそのタイミングだし)、後ろからの入場だとお客さんの顔がめっちゃ映る。狭い映画館だからかなりしっかりと。これ、あんまり映っちゃうとテレビ放送とかサイト掲載できないんじゃない?ということは…も し や、これ、私のすぐ横のこのドアから出てくる?!」とコンマ0.5秒ぐらいで結論。一気に頭が真っ白になりあわあわした私は何をしたかというとトイレ行きました。開始3分前に。同行者は「…え?今?」という不安げな顔をしてましたが一度あの部屋から外に出ないと冷静に高橋一生が見られない!ととっさの判断。ちょっとだけ冷静になって戻ったせいか私は比較的冷静に全編(約30分)高橋一生のことを見ることができました。

 

ここからは覚えている限りのことをただひたすら箇条書きにします。基本高橋一生についてなので主語がなければ高橋一生です(わかりやすくするため敬称略)。

 

・入場するときは結構固く見えた。笑顔が少なめ。なんというか壁がある感じ。

・ほかの出演者は、桜井ユキ顔小さい白いゆで卵みたい、満島真之介ひたすら濃い、阿部純子かわいい、佐々木さんかっこいい、監督ラフ!

・見た瞬間の私の感想は「テレビで見た高橋一生だ」。

・共演者の阿部純子が(たぶんかなり緊張してた)挨拶時に「お足元が雨の中(お悪い中と言おうとしたのだと思う)」と言ってしまい満島真之介に突っ込まれる、という流れを受けて、挨拶時にちゃんとそれを拾って「どうもこんばんは、お足もとが雨の中・・・」と続ける。会場に笑い。ちょっと笑顔出る。

・声もテレビのまま!!低くて耳心地よいが通りは悪いかな(※その日の比較対象が満島真之介なのが間違えてる気はする)

・安定の耳を触る癖!

・質問や受け答えに言いよどむことはほとんどなし。

・舞台挨拶&上映披露会の応募者が3715人で倍率が50倍以上と聞いてびっくりした、という旨を話す。笑顔なし。真顔。「楽しんで観ていただければ」みたいなことを言っているのだけどあまりにも真顔で言うからほんとにそう思ってるのかな?と思ってしまった。でも相手は芸能人だから突っ込めるわけでもなく私の中の大阪人が所在なさげ。

・映画についての感想?印象?を聞かれて(はっきり言って司会の女性、バイトかなんかかしら?と思うぐらい下手。言ってくれれば私がやったのに。ってレベル)、「ビジュアルとか世界観とか監督の頭の中がそのままぽんと出てきたような素敵な映画、主人公オリアアキの成長譚です」的なことを言う。この間も笑顔なし。声も低め小さめ。

高橋一生満島真之介・監督は緊張してるようには見えないが残り三人は結構緊張して見えた。

・撮影時は監督からは特に指示はなし。現場が作りこまれていたからその場に入り込んでお芝居した。その場その場で監督が少しづつ道を作るのがうまいからそれに乗せられてた、とのこと。

・あと監督は明るかった。なんか一緒に飲んだらすんげえ楽しそう。

・司会が一連の高橋一生のコメントを受けて、「だからギクシャクしてなくて自然に見えたんですね~」的な、聞いてるこちらが「へ??」となるようなコメント。すると「ギクシャクしないように心がけてます」と優しい言い方で返しててさすが高橋一生

・司会が「マスコミさんフラッシュたかないで」的なことを突然言う。

満島真之介が話すと場が明るくなる。監督とこれからの日本の映画界を作っていきたい変えていきたい!的な熱いコメント。満島真之介が「高橋さんも一緒にお願いします!」というと「置いてけぼりかと思ったよ~」と一生さん。かわいかった。

・映画内容にちなんで、自分の人生で一番輝いていた時、を聞かれると、「今ですね。フラッシュ(が強すぎるから)たかないで、なんていうアナウンスは初めて聞いた。それだけ注目してもらっているということだし常に今を更新していきたい」的なコメント。「フラッシュをたかないで」と司会が言ったときに突然&ちょっとエラそうな感じで言うもんだから正直会場の空気が少し固まっていたのだけど、それを緩めるようなコメントをちゃんとしていてさすがだなと思った。

・その後フォトセッション。みんな固い。高橋一生も笑顔あまりない。監督がピースをしたらどのカメラにもピースを頼まれる。その後全員でピースをするよう頼まれ、高橋一生ちょっと困ったような笑顔。最後の方はちょこちょこ笑ってた。(ただし心からの笑顔じゃなくて営業スマイル)

・フォトセッションの時に桜井ユキと高橋一生で映画ポスターのパネルを持っていたのだけど、セッションの途中でもう少しパネルが映りやすいように床に置くのではなく持ち上げて胸の前あたりにあげるシーン(これがカメラの人たちの指示なのか自分たちで率先してやったのかは聞き取れなかった)。この時胸の前で止めずにさらにパネルを持ち上げて主役二人がパネルに顔を隠してた。カメラさんたちが笑う。観客はカメラさんたちが立ってて見えてなかったかも(私は隙間から見えた)。だからこの辺は和んでたのかな??

・最後に締めのコメントで、満島真之介が「リミスリ現象を起こしたい」と言った時に司会が「リミスリ??」と言って会場全員がどん引き。仕事ならそれは絶対知っておくべきなのでは??とたぶんあの場にいた全員が思った。

高橋一生の締めのコメントは「考えないで見てほしい、自分がどう思うかを素直に感じてほしい」的なこと。

・最後出るときにみんなお辞儀したりしていた中、高橋一生はいつものかわいい笑顔で両手を振ってた。めちゃくちゃかわいかったし、固くなくて自然だった。

・全時間通じて決して客席の方を見なかった。下を向くか客席後ろの方の上を観てる感じ。私はあまりにもずっと高橋一生を観察してたので、高橋一生の目線が下から上に映るタイミングで一度こちらを見たような錯覚に落ちた(というかそのタイミングぐらいしか目線が本当に客席に来ない)。

・とりあえずテレビのインタビューとかで観ていた高橋一生よりかなり固く感じた。

・ほかの共演者が比較的まだ注目度が低い役者さんたち(満島真之介除く)だからみんなが緊張していたせいでなのかはわからないがとにかく暗いと感じた(全体)。舞台挨拶ってあんなものなのかな??

 

 

と、言う感じ。そして、興奮冷めやらぬまま映画に突入。映画については前回のエントリーを見ていただければ。

舞台挨拶と映画の2つを2時間ちょっとの間に経験したので、ほんとに次の日1日は完全に意識がどこかに飛んでましたね。週末以降今日までめちゃめちゃ予定が立て込んでたので全くこの日のことを考えない時間がほとんどだったので冷静になれたし今は平常運航です。

 

・・・そうしたら、なんだか達観してしまいましたね。ああ、高橋一生、人間だったわ、って。私、彼のことなんだと思ってたんでしょう?笑

 

ツイッタ―もしくは高橋一生検索でこのブログを見てくださった方は多分、つい先日したまちコメディ映画祭というものがあったことをご存知と思うんですが。ここでも高橋一生は舞台挨拶があったんですよ。当然このしたコメの舞台挨拶も応募はしたものの外れたんですが、当日になってレッドカーペットがあるという事実を知ったんですね。東京に住んでいるので、気付いた時にすぐ準備して家を出ればたぶん見ることはできた。

 

でも私は行かなかったんです。

 

(生来のめんどくさがりだからというのが全く関係ないかと言ったらたぶん嘘になるのだけど)私は心の底では見るのが怖かったんですよ生身の「高橋一生」を。まだ準備ができていない!って思ってしまったんです。

私は「高橋一生」という存在を媒体にして、ここ半年で一気に自分の世界が広がったんですが(一番わかりやすいことで言えば男性の好みがめちゃくちゃ広くなったし、高橋一生を通じて知り合った素敵な人たちができたし、映画やドラマを見るときに今までより深く見るようになった、ほかにもたくさんある)、そのことが本当に人生を豊かにしたんですよ。だけど、高橋一生を生でみて、普通に生きてる人間だと知ったら、なんでかよくわからないけど高橋一生を経由して彼がきっかけで好きになったり知ったりした素敵なモノ・コト・人が消えちゃうような気がしてたんですね。そこに関してはなかなかうまく言葉にできないのですが、うっすら思うのは、「高橋一生」を通じて好きになった、の、「高橋一生」はあくまでもたまたま私が選択した媒体であって、「高橋一生」である必要はなかったかもしれない、ということに気づきたくなかったのかも。たとえば絵画だったり、映画、仏像、建築物、洋服、靴、鞄、コスメ、肉、お寿司、ケーキetcでもよかったのかもしれない。私は「高橋一生」が好きなのではなくて高橋一生に投影している、私が自分で作り出した何か」が好きなのかもしれない、とどこかで知ってたのかもしれない。高橋一生に投影している、私が自分で作り出した何か」を私が好きなのであれば、生身の「高橋一生」を見たら高橋一生に投影している、私が自分で作り出した何か」は私の想像上のものであって、本当はそんなものは存在しないという現実を突きつけられてしまう、って思ってたのかもしれない。

 

そして、とんでもなく素晴らしい機会に恵まれ(ここで私が「まだ準備ができてない!」なんて言おうもんなら顔がはれて口も目も開かなくなるまでジャイアント猪木に平手してもらいますよ)、「高橋一生」という頭の中にあった概念を現実にこの目でみたあの時、「高橋一生って生きてて息してるんだ」と当たり前のことを認識し、その瞬間「高橋一生」は私の脳内で実在する人になり、「自分は『高橋一生に投影している、私が自分で作り出した何か』が好きだったんだな」ということを実感しました。

でも、その上でやっぱり、「高橋一生」好きだなあ!と思いました。

人間だったとか概念だとかそういうことじゃなかった。あの人の体現する、あの人が持ってる世界が好きだなあ。と思いました。普通の人がなかなか持っていない世界を持っているんだなこの人。男も女もやっぱり生き方考え方って歳を取ると出てくるんでしょうね。なんかすごく素敵だった。現実世界じゃない感じだった。そして私は彼の持ってる体現している世界に触れるたびに、日常生活とは切り離された素敵な世界にいけるんだなと思った(断じてドラッグはやっていない。私はお酒で楽しめる人間だ)。

なんていうか、島耕作って現地妻いっぱいいるじゃないですか。高橋一生が現地夫だったらいいな、って思いました。毎日毎日生活を共にしたり見たくないところまで知りたくないんだけど、例えば四半期に一回出張で行く国に彼は住んでいて、連絡を取って毎回ディナーに行くんですよ二人で。おいしいご飯を食べながらいろんなことをお互いに話して、そして彼の興味のある世界について話してもらう。気付いたら毎回朝になってる。みたいな。その時間だけは日常生活とは切り離されている特別な時間なんです。なんか高橋一生ってそんな感じでした。よくわかんないっすね。でもなんていうか、彼は芯がしっかりあるから彼の目を通してみるものを私は無条件で好きになれると思います。よくわからないけど。よくわかんないばっかり言っててこいつほかに言葉ないのかよ、って思われそうですけどよくわかんないしこの答えはそうそう簡単には出ないんですよね。

 

で、結論、高橋一生、素敵でした。

 

以上!

“THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY - リミット・オブ・スリーピング ビューティ” レビュー

この度、「THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY」(リミスリ)の舞台挨拶付完成披露上映会に行くことができました。

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女神のようなお友達のおかげで、こんな素敵な機会を与えてもらい、本当に、本当に本当に本当に感謝しかないです。70席に3715人の応募があったとのことで、自分の運の良さに怖くなるぐらいでした(正規ルートで購入されたチケットです、営利目的の転売は断固反対です)。

 

舞台挨拶がある、そして映画も一般公開より一足先にみられるということでもう盆と正月が一緒に来た状態なわけで、ちょっとその2つを一緒に書くとそれこそ私の頭の中が現実と非現実でごっちゃになりそうなので、まずは作品について書きたいと思います。どんなに素晴らしい作品だったとしても時間がたつとどんどんと見たその時の生な感情が消えてしまいそうなので・・・。逆に舞台挨拶に関しては冷静になって書かないとやばいことになる気がしてます。

 

↓公式ページ

sleepingbeauty-movie.com

 

 

作品について

「観てない人には『観て』としか言えない。観た人とは感想をひたすら語り合いたい」

 

というのが一番の感想。

これじゃ作品について伝えたことにならないのはわかってる笑

とりあえず私は観終わった後、同行者と2人揃ってちょっと持っていかれすぎておかしくなっており、1時間半ほど寒い中外で突っ立ってました。私は作品に脳みそを持っていかれ、同行者は高橋一生に持っていかれ・・・笑

 

うーん、この映画ね、ネタバレとか具体的なシーンとかセリフをまったく書かずに感想を述べるのが難しいんですよ。本当に難しい。公式サイトでのストーリーは

 

主人公・オリアアキは、29歳の売れない女優。女優を夢見て上京し、ふと立ち寄ったバーでサーカス団を営むカイトに出会う。それから10年、毎日小さなサーカス団でマジシャンの助手をするアキ。30歳を目前にしたアキには仕事への熱も生きる目標もない。ルーチンワークのように繰り返されるのは、催眠術にかかるという演技。体を浮かされ、剣を刺され、催眠状態を演じているうちに、やがてアキの精神は徐々に摩耗し、いつしか現実と妄想の境界が破たんを迎えようとしていた。何故生きるのか? 何を夢見たのか? 何を目指すのか? 唯一アキの中で美しい思い出として残るのは恋人・カイトとの時間・・・。自分が生きてきた人生の軌跡、アキが生きる現実と、叶えられなかった様々な妄想が入り乱れる。そして2つの世界の境界が壊れようとしたとき、アキの人生再生がはじまる・・・?!

 

となってるのだけど、現実と妄想、過去と現在が入り乱れるっていう通り、本当に入り乱れすぎて!!!普通の映画の起承転結とは違いすぎるんだよ。起承転結はあるんだけど、起承転転転起承転転起承承転承結、みたいな・・・。現実と妄想が入り乱れるのも、過去と現在が入り乱れるのも映画としてはそこそこ見る手法だと思うのだけど、現実妄想過去現在をすべてごっちゃこちゃにミキサーかけてその上シェイカーでさらにシェイクして「はいよ!」って目の前に出されたカクテルを一気飲みするような映画だった(絶賛してる)。今見ているシーンは現実妄想過去現在のどれなんだ?って考えることを途中で放棄しましたよ私は。これ、公式サイトに説明がありましたが、スポットライト理論というらしい。

 

「スポットライト理論とは、『時間は流れておらず、過去も現在も未来もすべて同じ空間の中で同時に存在している』という考え方です。アキは自分を取り戻す旅の中で、様々な時間を何度も自由に行き来します。まさにスポットライト理論を理解し、その中で自分の意識を操っています。そんなアキの物語を視覚的に描くために、時系列の錯乱をシームレスに見せたり、観る者の体感時間の感覚を揺るがす構成・演出の工夫を重ねました。目指したのは『一回の瞬き』の中で膨張した脳内宇宙の物語です」

 

監督が目指した通り、一人の人間の喜怒哀楽の感情のジェットコースターに乗ってるような映画。観終わった後ぐったり。だってジェットコースターって普通数分だからね。この映画1時間半あるからね!!!

観ていると、うわーーーーー!こんなシーンでこんな表現をしてくれるんだ、好き好き好き!!!ってなるシーンがあり、あああ自分が現実世界で感じるのと同じ感覚をそのまま切り取られた感じだと心臓にぐっさりナイフを刺される感覚に陥るシーンがあり、アキとカイトの鳥肌が立つぐらい生々しく美しいシーンもある。どこかで見たことあるようなシーンが全くないとは言わないし、ものすごい潤沢な予算がある映画ではないのがわかるシーンはあったし、手放しに100%ほんとに全部どのシーンも余さず大好き!!!とは言わない。ああ、男の監督が作った作品だなこれは女の人はしないよーというシーンもあったのけど(映画の具体的なシーンに関しては公開されてること以外一切言いたくないので監督に直接一言言いたい笑)、でも無駄なシーンは一つもなくて、すべてのシーンを全部突っ込んで一つの作品にしたときにこんなものができるとは・・・。「監督の頭の中をポンッと作品にしたような映画」みたいなことを高橋一生が舞台挨拶で言ってましたが本当にそうなんだと思う。老若男女が見ることを考えて作られるみんなが好きになれる大手映画会社配給の作品、という感じはゼロ(絶賛してる)!ただ、予告でも主人公が言っている生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」っていう気持ちになったことがある人が見たらドはまりするね。そんな気持ちになる人なんてそうそういないでしょ?って言われるかもしれませんが「生きる死ぬ」は言いすぎにしても、ありません?「あーーもう全部いやだいやだいやだやり直したい―!」って思うこと。「生きるべきか死ぬべきか」、って「進むべきか辞めるべきか」と考えると比較的多くの人に当てはまると思うんですよ。「進む(=“生きる”)」が必ずしもポジティブかつ正しいとも限らない。「辞める(=“死ぬ”)」方が楽なこともたくさんあるし最善の選択なことも現実世界にはいっぱいある。じゃあその選択は誰がする?あなたの人生は誰のもの?っていうのが監督が観客に提示したかったことなのかなあと思った。あなたは自分の人生のハンドルを握ってるの?握ってるつもりで誰かに握らせてないかい?って全編監督が問いかけて来ている気がしてた。喉元にナイフを突きつけながらね!

劇中、自分に言われてるのかな?って思うような心に突き刺さるセリフもたくさん出てきました。書けないけど。すっごく書きたいけど書かないけど。

 

私は(たぶん)多くの人と一緒で、大好きな高橋一生が出ているということでこの映画の存在を知ったレベルでした。

 

だから、正直、わたしこの映画そのものには観る前全く期待していなかったんです。

なんというか予告編を観た時に、MVみたいに映像美をひたすら追求する系の若手監督の(言葉は悪いけど)自己満映画なんだろうな、と思ってしまったんですよ。

 

本当に本当に本当に期待を裏切られました。

自分でも一番びっくりしたのは、映画を観ながら気付くと泣いていたことです。しかもぜんぜん泣くところじゃないと思われるようなシーンで・・・(高橋一生もまるで関係ないシーン)。

なんというか本当に揺さぶられました。

もう一度言うけどずっと喉元にナイフを突きつけられてる感じでした。

 

ねえ、二宮健監督さぁ、こんな映画作れるって、本当に25歳なの?年齢詐称してない??笑 (サインも写真も快く応じてくださったのにひどい)

私はこの映画はハリウッドリメイクされるんじゃないかなって思ってます。なんていうか、とてもいい意味で日本映画ぽくなかった。なんでなんだろうかわからないけど。

いつか遠くない未来にそんな日が来るのがちょっと楽しみ。

 

 

出演者について(メイン)

高橋一生(カイト)

私はこの映画を観終わった後、純粋にこの人が怖くなりました。怖くなって寒気がして、家に帰って温かいお風呂に入ってやっと自分の体温を感じられたぐらいに。

スクリーンに映る物理的な人物は確かにみんなが知っている高橋一生なのに高橋一生じゃないんですよ。

お芝居がうまい、とかでは到底片づけられないんですよこの人。

よくインタビューなどで、「役作りはしない」「誰かに『なる』のではなくて自分の中にあるものを出す」「その場所に行ってお芝居をするだけ」などと言っていますよね。この方。

それを踏まえたうえでこの映画を観て感じたのは、『高橋一生』は『箱』なのかな、『高橋一生』という人は存在しないんじゃないかな?ってこと。それぐらい『カイト』でした。

それこそ映画の中で象徴的な小道具として使われていたCDじゃないですけど、『高橋一生』はCDプレイヤーであって、そこに入れるCDが『役』なのかな?って。ここに関しては長くなるからまたいつか・・・。

カイト役が高橋一生でなかったら、ほかのすべての条件(監督・配役etc)が一緒だとしても、まるで違う映画になっただろうな、と思いました。

あと、彼がこの役を引き受けたことでこの映画が多くの人の注目を集めていることは事実だと思うので(わたしもその一人ですし)、本当にカイトが高橋一生でよかったと思います。

 

桜井ユキ(オリアアキ)

はじめて観る女優さんでした。

正直予告を観た時は「演技が私のタイプではないなあ」と思ったんですよ。なんていうか「演技をしている」感じがする人だなあ。と。

ただ、本編を見たら、それも計算というかお芝居だったんだな、と思いました。彼女は本当にこの映画出ずっぱりで、イコール現実妄想過去現在すべてを彼女が表現するんですよ。年齢で言ったら17~29歳。さらにはもう一度言いますがそのすべてがごちゃまぜなんですよこの映画。観ている観客もいまどこにいるのか何をしてるのかオリアアキが誰なのかわからなくなるのに、オリアアキ本人はますますわからないですよね。おかしくなる前とおかしくなる後・過去と現在・妄想と現実、みたいなもの(ごちゃまぜでわけわかんなくなってるんだだけど)が同時に存在するオリアアキの世界に、桜井ユキさんが観客をきちんと連れて行ってくれていたなあ、と思いました。

 

古畑新之(ブッチ)

予告にも登場するピエロです。

いや~この人うっまい!もちろんメイクに助けられてる部分ってすごくあると思うんですけど、私てっきり誰か経験豊かな俳優さんがやってると思ったらまだ若いし芸歴が長いわけでもないし・・・で本当にびっくりでした。

私は彼が出ているシーン、ほかに登場人物が映っていても彼から目が離せませんでした。

 

成田 凌(バーテン)

コードブルーのフェロー役の後最初に見たのがこの役なので、おおおってなりました。

何というか現実と妄想の門番っぽいイメージというか、出演シーンも多くないしセリフも少ないけどなくてはならない清涼剤でした(いや、役は決して清涼剤ではないけど)。

私この方のことコードブルーで知った感じなのでほかの作品知らないのですけど、観てみたいです。

 

満島真之介(チャーリー)

癒し!最高!

舞台挨拶のことは別途書くつもりなんですけど(HP回復したら)、舞台挨拶でも場の空気を明るいものに一瞬で変えるあの才能(及び顔力)が映画の中でも存分に活かされてました。

いいですね。ほんとはもっといろいろ書きたいけど、とにかくもう一番言いたいのは癒しだった!ファンタスティック!

 

 

音楽について

公式サイトに4曲載っているのですが、どれもいいです。

ツイッタ-で教えてもらっていたので映画を観る前日にすべてダウンロードしてあって、映画の前はいい曲だな~って聴いてたんですよ。普通に。聴けてたんですよ。映画の後も昨晩は聴いてたのですが、今日になって聴いているとあの世界に戻ってしまって何にもできなくなることに気づいていったん止めてます笑

 

どれもいいのですが一曲お勧めするとしたら間違いなく主題歌のKyla La Grande “Hummingbird”です(そりゃそうだ主題歌だもん)

 


Kyla La Grange - Hummingbird 360° Music Video

 

映画を観る前から歌詞を聞いてて、この曲はこの映画のために作ったんじゃないの?となるぐらいにオリアアキの心情が描かれた歌だなと思ったのですが、映画を観たらもっとそう思います。

ドヤ顔で書きましたが公式サイトにも“見事にアキの気持ちを代弁している”とあります。

 

サビもよいのですが出だしから持ってかれました。

こういうのって歌詞書いちゃいけないのかな?全部書いたら怒られそうだから出だしだけ(ダメって言われたら消します)。

 

Oh baby I’m a light left on

Still waiting for the moment

Burn steady and the fuse is gone

Hang heavy, and I’ve blown it

 

ねえ、私ってつけっぱなしの電気みたい

ずっとあなたが帰ってくるのを待ってるの

待ちくたびれて壊れちゃった

(すべてが)重くのしかかってきて、全部台無しにしちゃった

 

みたいな(注:スーパー意訳)。アキじゃん・・・ってなりました。映画を観る前にとりあえずYoutubeで聴いてみることをお勧めします。

 

 

 

さて。脳みそが満身創痍の状態でここまで書いたので、まとまりもないし言いたいことを全部言えてるかもわからないけど(ネタバレできないし!)。

後はみんなが映画を観た後に感想を言い合うのを楽しみにとっておきます。

 

 

 

最後に。

高橋一生ファンでこの映画を見に行く方。

間違いなくやられます。

この映画はR15ですが、

予告編はR15にはなっていません!!!

車に乗るときは必ずシートベルトをするように、きちんと心のシートベルトをしてから観に行ってください。

映画の後は何もできないと思いますのでご飯は外で済ませ、家に帰ったら寝るだけでいいようにきちんとお部屋を掃除しベッドを作ってから、劇場に向かってください。

 

以上、#リミスリ レポートでした。

ウォーキングデッドによって語彙力を失っている話

あのですね。よく言われることですが最近ほんとに身に染みて分かったことが一つあります。

 

人は本当に好きなもの(こと・ひと)の前で語彙力を迷子にしてしまう

 

たとえば私は敬語が死ぬほど苦手なのですが、会社で他部署に依頼メールを書かなくてはいけない時は、「これほんとにわたしが書いたの?」って驚愕のあまり息をするのを忘れるような敬語メールがすらすら書けるし、お嬢さん方は何回断ってもデートに誘ってくる殿方への言い訳付きお断りメールは、居酒屋で「とりあえず生!」っていうより簡単にできちゃいますよね、ね?だって、そこに心はないからねー!気持ちこもってないからねーー!でも人という生き物は本当に好きなものと直面すると言葉を失うんですよ。私は好きな人の前に行くと、いつもの「お前はさんまの隠し子なのかよ!」ってぐらいのマシンガントークは息をひそめて代わりに高倉健が黄色いハンカチで汗を拭きながら「自分、不器用ですから」って言いだしますし、「なんで高橋一生好きなの?」って挨拶みたいに聞かれると(まじ挨拶のように聞かれる、一回その話してる人でもほんとに挨拶みたいに聞いてくる、なぜ?あと「まだ」好きなの?!って言われる。)表面的な答えはすぐ出るのに本当に本当になんでそうなったのかは自分でもわからなくてラビリンスに落ちていって「わから・・・な・・・い・・・」って白目の姫川亜弓みたいになります。

 

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さて、前置きはこれぐらいにして。

高橋一生を好きになるずっと前からずっと大好きで、私の人生に影響を与えたのではないかといっても過言ではないこの作品。

The Walkind Dead(ウォーキングデッド)

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 (日本の公式サイトが私的にダサかったので敢えてリンクは貼りません)

 

このブログでもいつかこの作品について書こう!って言っていたのですがなかなか書き出しても文字が続かなくてなんとなく書かずにいたんですよ。好きすぎて安易に書けなくて。あとネタバレしないで面白さを伝えるのが難しすぎて。

あと、前シーズン(Season 7)が終わった今年の2月からお預け食らってるので(新シーズン:Season 8は10月後半スタート)、そんでもって私高橋一生にギャーギャー言い出したの3月とかなのでうまく乗り替えちゃったって言うかゾンビが私のもとを去ってぽっかり空いた心の穴にイッセイタカハシがあのキラースマイルで無言で入ってきたっていうか…。入ってきたの!!!たぶんゾンビのことは大好きなんだけど、新しい男(=高橋一生)に夢中で考えてる暇なかったと言えばなかった。ごめん。そうだそれが理由だ。全部高橋一生のせい!当たり前じゃんねあの人すごいから。いや嘘嘘嘘嘘嘘!ゾンビも大好き!!!

 

なんて言い訳書いたって、ウォーキングデッドのことがうまく書けるようにはならないわけで。本当に、好きすぎて、語彙力が出てこなかったんです。でもね、どうしても書きたい理由があるの。あと今日金曜日だし。

 

私、ゾンビとか幽霊とかとりあえず一般的に「生きている」と定義できないもの全般的に嫌いだったんですよ。

おばけは今も絶対無理だし、何なら生きてるものだけど昆虫系ほんと無理だし、あとまずい寿司は悪だと思ってる。だから生きてないものが出てくるテレビ映画は見たくないし(XFILESは例外)、テレビで昆虫映ったら即チャンネル変えるし、入ったお寿司屋さんがまずかったら黙って箸を置いて瞑想する。

でもさ、それは、自分が日々おかれる状況がありがたいことに本当に豊かで、多くの選択肢が提供されてるからなんですよ。おばけ出そうなところに近づかなければいいし、昆虫系も都会生活ではそこまで遭遇しないし、お寿司は安いとこはいらなければいい。でも選択肢がなかったら?私が、おばけと虫が大好きそうな深ぁい森の山小屋に住んでたら?そもそもお寿司なんて食べられないしね!

それと同じような感じで考えてください。動画サービスサイトで見たいドラマがない時の絶望感わかりますか?選択肢がない時の絶望感わかりますか?

 

Breaking Bad(ブレイキングバッド)最後まで見ちゃって

breakingbad.jp

 

SUITS(スーツ)も全部見ちゃって、

www.suits-tv.jp

 

見たいドラマが一個もない時の私の姫川亜弓感伝わりますか? (ちなみに上であげた2つも本当に面白いです)

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ウォーキングデッドに出会ったのはそんなときでした。

忘れもしない、あれは金曜、夜中の1時半。

ブレイキングバッドが終わって、アドレナリンが出すぎて全く寝られる気がしなかったんですよ。友達からGame Of Throne(ゲームオブスローン)を見ろって言われたんですけど、あれね、壮大すぎて(=登場人物多すぎ)1話目3回見たからね私。見る→誰が誰だかわからなくて疲れ果てて1話でストップ→友達から「見たか?」→1話見る→以下繰り返しを3回やったからね。

もう4回目めんどくさいな。どうしようかなって思ってたらHuluさんが『姉さん、ウォーキングデッド、おすすめでっせ』って言ってきたんですよ。『え~ゾンビでしょー。私ゾンビとかそういうの、怖いから一人で見れない♥』ってぶりっ子かます私に『お前他に選択肢ないだろこのハゲー!』って言ってきたんですHuluが。もう眠れないしいいや、と思って見たんですよ。べつに嫌ならすぐやめてもう一回SUITSのイケメン弁護士みればいいや、って。

 

・・・人生変わっちゃいましたよ。完全にゾンビ前とゾンビ後ですよ。

 

本当に、出会いってどこにあるかわからないですね。

 

ウォーキングデッドについて詳しく知りたい方は↓を使っていただきたいのですが、

www.google.co.jp

 

Googleを入り口に膨大すぎるデータの樹海から欲しい情報を見つけるのがめんどくさい方のためにものすごいまるっと言えば、まず最初にゾンビがどっかから湧いてきます。そこから、ゾンビから逃げる→ゾンビと戦う→ゾンビから逃げる→ゾンビの来ない安全な場所見つける→ゾンビに襲撃される→ゾンビから逃げる→以下リピート、です。ループ2週目からは、戦う及び逃げるのパートには対ゾンビだけではなく人間ももれなく入ってきます。ちなみにWikipediaは視聴前には見ないほうがいいです!ネタバレの地雷だらけです!

 

ところで、はたしてゾンビ映画は一般的に、そしてウォーキングデッドはどのジャンルに定義されるんでしょうか?ホラー?SF?あ、アクションの時もあるよね?

自分から疑問を呈してなんですが正直どのジャンルでもいいですよね。

 

なんていうか要するに大きく言えばファンタジーなんだと思うんです、私。現時点では。たぶん2017年現在ゾンビの実在は確認されてないから。ゾンビ、空想の世界のものだから。

 

ウォーキングデッド=ファンタジー。

でもこのドラマのすごいところは、他と違うところは、ファンタジーのオブラートに包んで、痛いぐらいにぐりぐりと現実を突きつけてくるんですよ。

ゾンビという(しつこいようですが2017年現在は実在していない)ファンタジーの存在がメインと見せかけて人間という罪深い、けど美しい生き物の現実をめちゃくちゃに突き付けてきます。大切なことなので言い方を変えて2回言いました。テストに出るからねここ。

 

極限状態に置かれた人間がどんな行動をするのかどんな心理状態になるのか生きるとはなんなのかそもそも生きる意味はあるのか?

 

恐怖

希望

生と死

別れ

成長

愛情

友情

喜び

人間関係

集団心理

仲間割れ

ズル

裏切り

・・・

 

これらは全部、生きること、です。

 

そして、ちょっとでも手を抜いたら視聴者がすぐに冷静になっちゃう(ファンタジーだから)この「ゾンビが実在する」世界を、完璧すぎる出演者・脚本・技術そして何より作り手の熱量が支えています。なんていうか、本当に本当に今までなかったすごいものをつくろう、という強い意志が見ていると伝わってくる。アメリカのドラマって映画にできるレベルのハイクオリティなものがごろごろしていて、だから世界中に輸出できる一大産業なんだと思うんですが、その中でもこのドラマは群を抜いていると思います。それがSeason 8まで続いてるんだから本当にすごい。

 

メインで大量に死んでいくのは(いや、もう死んでるんだけど)ゾンビたちなのですが、人間も死んでいきます。物語が始まった時には比較的大きな集団で動いていた人間たち、視聴者もドラマを見ていれば、主役・メインキャスト・名脇役・名もない脇役、とわかってきますよね。で、視聴者はちょっと油断するんですよ。メインキャストは死なないって。だってウォーキングデッドと言えばドル箱ですよ。各人気キャラクターグッズも超人気ですよ。なのに。え!うそでしょ!?って画面の前で思わず叫んでしまうぐらいに、想像してないシーンで想像してない人が想像してないやり方でいなくなったりします。安室奈美恵さんの引退ぐらいの衝撃です。それが毎シーズン。語彙力奪うでしょ?そしてその「死の前での平等」をきちんと描くことがリアリティがあるストーリーに一役買ってると思います。現実世界は出番が多いから死なない、なんてことないですもんね。 

 

ストーリーもすごいんですが、ファンタジーをいかにリアルに見せるか、すべてのシーンがほんとに細かいところまでこだわって制作されてます。たとえば、ゾンビを倒すときにゾンビから出る赤黒い血の飛び方や、匂いまで画面の向こうから伝わってくるようなゾンビの腐った皮膚感、そしてシーズンを重ね時間軸が進むにしたがって、ある意味このドラマの主役であるゾンビはどんどん朽ちていきます。そしてゾンビが朽ち力を失っていくにつれ人間の醜さはどんどんと巨大化していきます。

あと上に貼り付けた画像(姫川じゃない方)、Season 1のものなんですがこれすごくないですか?私はこの画像を最初に見たとき衝撃を受けました。ここはそんなにネタバレにはならないので言うと、ゾンビが大量発生した街から逃げようとしていた大量の車が街から出て行く方面の高速で渋滞を起こしてるんですよ。でもこの車は全部止まっていて、生きている人間は一人もいません。そして1人の男性が街へ入って行く高速を馬で進んで行く。このコントラストはすごいと思いました。ゾンビの発生した世界でゾンビから逃げられた人間と逃げられなかった人間。動と静。生と死。ドラマのあらすじを一枚の写真でこんなにも伝えられるのか!と。対比がすごい。そしてまた、役者ありきの日本のドラマの広告とまるで違うな、とも思いました。アメリカドラマは何よりもストーリーありきなんですね。キャストはそのストーリーをきちんと伝えられる実力があることが重要で知名度は最優先事項ではない。だから馬に乗る男性の顔で視聴者を引きつける必要はないんですよ。

 

このファンタジーとリアリティの神がかったバランス、そしてそれを支える最高の能力と熱意を持った人たちに、ウォーキングデッドは作られ、毎シーズン進むんですよ。

1シーズンでも見た人がいたらもういくらでも細かいところについて語り合いたい。でも見てない人にはネタばらししたくない。見て欲しいから。だからやっぱりこれぐらいしかかけない。語彙力ないから。新入社員面接での学生にありがちな熱意しかなくて申し訳ないが、見てほしい!本当に見てほしい!!私はSeason 1からSeason 6まで一気に見たのですがウォーキングデッドの世界に入り込みすぎてしまい、普通の人には見えないもの(見えちゃいけないもの)が見えてしまう、要するに霊感強い友人に「ねえ、大丈夫。なんか。。。なんかあなた今やばいよ?」と心配されるレベルにまでウォーキングデッドに入り込みました。

 

所詮はテレビドラマのはずなのに、エンターテイメント作品のはずなのに、人間というもの、そして人間として生きるということを考えさせられます。自分はあくまでも画面のこちら側にいるはずなのに気がつくとゾンビがいるファンタジーの世界で生きることに必死になっています。

 

ファンタジーの中の現実を通して、生きていることにただただ感謝したくなります。

平凡な日常は前兆なく一瞬で壊れる危うさと常に隣り合わせということ。

自分が今おかれる状況がとてつもなく恵まれているのだという実感。

 

ゾンビとかスプラッターとかが本当にだめ!っていう人には確かに難しいかもしれない(意外と私の周りにはそう言うのは男性に多い)ですが、そうでなかったら、HuluとかNetflixとかAmazon videoとか他にもほとんどの動画視聴サービスで見れるので、見てみてほしいです。

 

ちなみに、わたしが書きたいけど書けなーいと思っていたこのブログを今日どうしても書きたかったかというと、

こちらも好きという言葉では定義できなくなってきてしまっている高橋一生氏が、とある雑誌のインタビューで「ウォーキングデッドが大好きです」って作品名を出しているのを立ち読みしたからです(うれしすぎてその雑誌はきちんと購入しました)。

本屋で本当に泣きそうでした。吐きそうでした。

 

自分が好きな人が自分が好きなドラマを大好きといっている、そしてどちらも好きって単語じゃ片づけられないぐらい自分に影響を与えているその二つがコラボ!なんというかその興奮と感動は忘れないけど、読んだ時に全身に鳥肌が立ったあの感覚とか雑誌の紙の手ざわりとかを忘れたくなかったので、早めに書かなきゃ!と思って書きました。

私はこのドラマが日本でリメイクされる可能性はほぼないと思っているのですが、いつかそんな奇跡が起こるとしたら、絶対に高橋一生には出て欲しい。

 

 ドラマ見たことない人にはなんのこっちゃなエントリー、最後まで読んでいただきありがとうございます。

では。週末お時間あったらぜひチラッとでも見てみてください!

私はこれから飲みに行きます!

日本のドラマがつまらないのか、それとも私がつまらないのか(追記:「ごめん、愛してる」の最終回感想)

ちょっと前に日本のドラマが面白くなくなったのはなんでか、的な記事がTwitterで流れてましたよね。

(ごめんなさい、元ネタを探す時間がもったいないのでうろ覚えですけど。もし後から見つけたらリンク貼ります)

 

あれ、私記事自体も途中までしか読まなかったのでどんなふうに結論付けたのか知らないんですが(なんか事務所対制作サイドの押し問答とかそういう感じだった気がするけど)。じゃあそれを持ち出すなって言われるかもしれないけど、「日本のドラマは本当に面白く“なくなった”」のかどうかについて私的に思ったことを書きたくてですね。

 

ちょっと前まで(高橋一生にはまるまで)は、私も日本のドラマは正直真面目に見てませんでした。

だって、(ほぼ)面白くないんだもん!

面白くないっていうか、中にはすっごい面白いものもあることも知ってるけど結構な確率で「ビジュアルが良い女優俳優をマジョリティとして1時間あれこれやるもの」という認識が強かった。演技がうまいなあ!っずっと見ていたくなる女優俳優もいるんだけど、そういう場合も脚本がチープだったりセットに説得力がなくて何かしらしらけちゃったり。たまにすべてがある素晴らしい作品が出てくるわけですが、それを見出すためにオンタイムで時間を使うのはもったいないなあって思っていた。なんていうか本当に評判が良くて面白いものが出てきたら後でまとめてみればいいや、でもそこまでしてみたいと思う作りこまれてリアリティのある日本のドラマってないな、という印象。 

なんていうか、「演技がうまい役者さんだけで構成されている見入ってしまうようなドラマが数少ない」ことと「(トレンディではないにしても見世物としての)ドラマ作ってます」感にしらけちゃう、っていうのが私が日本のドラマを見たくない一番の原因だった。

 

たとえばの話、普通のOL役の人がいたとするじゃん。田舎から東京に出てきて一人暮らし24歳、みたいな。24歳ってことは大卒って考えたら働き出して2年でしょ?新卒で専門職でもなく普通のOL、特に外資金融みたいな生き馬の目を抜く高給取りの設定でもなく、定時にはしっかり帰ってるように見受けるその(多分一般職の)24OLがさ、都内だったら家賃20万ぐらいしそうな所に住んでるわけ!なにその広いリビングにクイーンサイズのベッド!みたいな。お前それ給料ほとんど家賃じゃないか!みたいな。でもって家具とかもしっかり揃ってるし、なんか知らないけど毎日違う服着てるし、下手したら猫とか飼っちゃってて。おいおいおいおいおいおいおいおい、おいおいおいおいおいおいおいおい!東京のどこに行けばそんな生活できるのよ教えてよ!!!みたいな。100歩譲って23区じゃないにしても、そりゃ無理だよお嬢さん!みたいな。そのくせなんか知らないけど妙にある生活感あふれる歯磨きシーンが(話の流れに対して関係なく)挟まれて、提供の会社の商品である200円ぐらいの歯磨き粉がばっちり映るシーンがあったりしてさ。いやね、こっちも長く生きてますから、ある程度社会の仕組みとかわかってるよ、歯磨き粉うつさなきゃいけないよね、だってスポンサー様様だし。なんちゃらマーケティングってやつでしょ?わかる。それについては文句は言わない。だけどさー、とりあえず、主人公の一か月の家計簿見せてもらおうか?話はそこからだ。何人パパいるんだよ!夜はキャバクラでバイトしてる設定だけど会社にも視聴者にも隠し通してる設定なの??って。でもってさらにおいおいおいおい、ってなるのはその平々凡々なはずのOLにいきなり会社社長の御曹司が目を付けて求愛してきたり、街を歩いてたらお忍びで買い物してた大スターに目を付けられて別世界に!とかさ、街でけんかになったイケメンがある日突然義理のお兄さんになったりだとかさ!

ぅおーーーーーーーい!

 

ってなる。

もうちょーい現実味クレィ!ってなる。

 

あとね、いい加減、演技下手な人にメジャーな役を演じさせるのやめません??

せめて、真面目にお芝居をしたいと思ってる俳優女優を主役にしません?

いやね、わかるんですよ、ある程度力のある事務所の売り出し俳優女優を出さなきゃいけない、とか、やってるうちに演技うまくなる、とか、視聴率取れる人使わないとテレビ局的にリスクは負えないとかさ。ならば脇役とか出番の少ない役でいいのでは?オトナの世界の裏事情とか力関係でまだ準備のできてなさすぎる演者を大役に当てるのはまわりまわって本人のためにならないと思うんだよね。顔がいいからスタイルがいいからっていうんならその人はモデルすればいいわけですよ。私は(だし、真面目にドラマを見ようとする人はすべて)きちんとその世界に引き込んでくれる作品が見たいわけで、その一要因として俳優女優はとても重要なわけですよ。一度は許されてもさ、2回3回と学芸会みたいな演技見せられたら、もうその女優俳優は「演技が下手な人」ってレッテルを張られちゃうよ。こっちは学芸会見に来た親じゃないんだよ、演技が下手な女優俳優は目に入れたら痛いんだよ!ってなる。

それって俳優女優にとっても、もっというと事務所にとっても長期的に見て投資としてはだめなのでは?

そういうのって見ている側に伝わるのでは?と。(ちなみに朝ドラは新人女優さんが長丁場の作品に関わることによって飛び抜けて役者として成長するのを見るのも楽しみであるし、それをカバーできるだけの他の出演者や環境が整ってるから例外だと思ってる)

めちゃくちゃ上から言ってるけど誰、私?夏木マリなの?桃井かおりなの?(二人とも大好き♡)

 

・・・で、ここまで言っておいてなんですけど、最近、はっ!となったのですが、ドラマは見ているこっち側(視聴者)のスタンス、心理状態、環境とかも大きく影響するっていうことです。ここからが私が言いたかったとこです!

 

というのは、私今期(2017年7~9月期)、

「ごめん、愛してる」www.tbs.co.jp

 

というドラマを見てるんですね。

これ、上でさんざん演技力が、とか設定が、とか言っておきながら「ごめん、愛してる」を見た理由は主演の長瀬智也がかっこいいからです。あと坂口健太郎が好きだからです。演技力とか求めてませんでした!!!ごめん、イケメン大好き!!!!!が、実際見始めたら、長瀬智也はいつも長瀬智也なんだけど役に合った安定の上手さな演技してるし(頭が痛くなるシーンはドラマティックすぎて、え、ちょっとちょっと!ってなるけど)、坂口健太郎はおボンボンで苦労してない、ほしいものはぜ~んぶママが手に入れてきてくれた的なイラつく演技うまいし、大竹しのぶさんはさすが!としか言いようのない、息子を溺愛して周りが見えない嫌味なお金持ち役がうまい(うちの母はこのドラマの演技で本気で大竹しのぶが嫌いになってわざわざLINEで報告してきた)、直虎でナレーションやってる中村梅雀さんも完全癒し系でいい味出してる。正直出てる人みんな演技うまいんです笑 あれ、ヒロイン吉岡里帆は?って思ったそこのあなた。私、吉岡里帆をどう評価すべきか未だにわからないんですよ。なんか演技うまいのかもしれないけど全部同じに見えちゃうんですよあとバラエティでのずれ感が私が苦手なタイプなんですよだからコメントは控えます。あ、カルテットのキチガイアリスちゃん役は好きでした。あとあの外見になれるなら当然喜んでなります。お金払います。生涯賃金積みます。

 

なのでこのドラマ、上で言ってる「演技のうまい人」の条件は完全クリア。が「ドラマ作ってる感」はありありです。だってストーリーをさらっと簡単にまとめると、吉岡里帆は坂口健太郎がずっと好きだったんだけど突然出てきた長瀬智也に反抗してるうちに気付いたら好きになってる、でも長瀬智也はとある事情で命短し!さあどうする吉岡里帆!みたいな内容なんです(細かくは公式サイト↑を見てください)。かなりの80年代テンプレみたいなドラマだな、って思いました、設定聞いた時。そしたら元ネタが韓国ドラマなんですね。なるほどー、へええええ、まあいいか、一回目見てつまらなかったら辞めよう。って思ったんですよ。見たら実際ああ韓国ドラマ~!的な。ヨン様いつでてくるの?みたいな。正直見るのやめようと思ったんだけど、大竹しのぶの鬼気迫る演技にちょっと目が離せなくて見ていたんです。みんな演技はうまいけど設定にご都合主義がちょいちょいある。知的障害のある役の池脇千鶴が道端でホットドッグ売ってたりするシーンがあるんですけど「え!保健所の許可とか絶対取ってないじゃん!ダメ!」とか。アメリカに一人行こうとする吉岡里帆長瀬智也が具合が悪くなり行くのをいったん止めるシーンがあるんですけど、「行かなくていいのかよ?」という長瀬智也にめっちゃさらっと「ううん、今日はもういいの」っていうんですけどね。「今日は」て!個人で留学するためにチケット買っててしかもものすごい裕福でもない吉岡里帆が「ううん、今日はもういいの」で済むのか、いや済むわけがない!アメリカのチケットって少なくとも10万はするよ?「今日は」ってなによそれ!とか。一人で屋台で飲みつぶれてる吉岡里帆長瀬智也が見つけて背負って帰るシーンとかあるんですけど、「え?ちょっと待って?!なんで吉岡里帆のこと見つけたの?こいつカメラ回ってないところで長瀬智也に酔っ払ってLINEとかしてるの?」とか。みたいなご都合主義は多々あるんですよ。

 

でも、ね、私、なんだかいいドラマだなって思ってしまったんですよ。

 

なんでかな、って考えたら、吉岡里帆が(バカ)正直なんです。

吉岡里帆以外の役の人が比較的思ってることを溜めてしまったり口に出すのをやめようって判断をすることが多いんですよ。なんていうか、一般常識のある大人というか。自分が傷つくことは避けたいしむやみに人を傷つけるのもよくない、みたいな。

そんな中、吉岡里帆(役)は。こうした方がいいってわかっててもああしちゃう、とか言わないほうがいいってわかってても思ったことすぐぺろって言っちゃう、とか、とにかく正直。典型的ドジっ子ヒロイン。そのアクションによって自分が傷つくとか人を傷つけるとか潔いぐらい考えていない!それを見てたらね、お姉さん、イライラするんじゃなくて純粋にああ若いって素敵だし自分の心に正直なのっていいなって思いました。私、物事なんでも深く考えてしまうタイプなので、いつもなにか選択肢がある時いろいろ考えちゃうんですよ。だけど、昔は何にも考えてなかったしこのドラマの吉岡里帆のように正直に思ったように生きていたはず、私はいつから思ったことに正直に動けなくなってたんだろう、いつから自分のことを「大人」と認識しだしたんだろう。って。器用になったってことなのかもしれないけどはたして器用になる必要はあるのかな?って。

 

なにか自分の中にそういう風(最近の自分正直じゃないな、みたいな)に考えているところがあったから、たぶんこのドラマが刺激剤となって私の感情を揺さぶったんでしょうね。一見「ああなんか量産型のドラマだな」みたいな作品だとしても(「ごめん、愛してる」がそうだとは言っていないですよ!最終回楽しみだよ!)、見ているこちらの受け取り方でその人の人生を変えうるものすごい大きなきっかけになるし、それが本来ドラマやら映画の醍醐味なのかなあと思ったんですよ。もちろん、スポンサーだ事務所だなんだかんだ大人の事情を中心に回すのではない、作者はじめ関わる全ての人が思いを込めて作った作品の方がかなりの確率で心に響くものがあると思うけどね。

 

なにがいいたかったかっつーと、一見興味なさそうだな、学ぶことなさそうだな、って思うようなことがあったとしても、食わず嫌いはなるべくせずに時間の許す限り新しいものを自分に取り込むのっていいな、そうありたいな、ってことです。そうすることによって新しい自分を見つけたり、毎日のいろんな大人のしがらみが積み重なって見つけられなくなってた元の自分を見つけたりするのかもしれません。

 

最後に。私は高橋一生が好きですが、長瀬智也が目の前に現れたらとりあえず手を引いて家に連れて帰りたいと思います。

 

 

**********ここから「ごめん、愛してる」のネタバレ含む追記**********

9月17日に「ごめん、愛してる」の最終回がありましたね。

私的には思った以上にきれいな結末、かつ、嫌な人だらけだったドラマから嫌な人がいなくなって終わるといういい裏切りばかりでした。あー、これは諦めずにオンタイムで見てよかったな、と思いました。上で書いたことと矛盾してしまうけど、人に評価された後のドラマだと、はずれはなくてもどうしても前情報(内容や結末なんか)が耳に入ってしまうから。このドラマに関しては、私は原作の韓国ドラマも見ていないしネットで情報を調べるほどはまってもないし毎週さらっと日曜夜に見てたんですよ。

なので、どこまで原作に寄せていたのかはわからないのですが、原作と結末が違うというのを最終回後にネットで知りまして。

日本版は、長瀬智也(役)の死後、吉岡里帆(役)は2人の出会いの地韓国・ソウルへ行き、思い出の地から、晴れ晴れとした顔で前に進んでいく、的な終わりだったんですよね。すがすがしい。これに対して原作では、ヒロインは後追い自殺をするらしいんですよ。その時に「(あなたが望んでないだろうことはわかっているけど私はあなたが好きだから離れたくない。ので追いかけます。)ごめん、愛してる(から)」というという結末らしいんですね、聞いたとき、うへーーー!ってなりました。

対して日本版は長瀬智也が言うんですよ。もう、死期が迫っていることを感じた長瀬智也は、自分がいなくなった後に、吉岡里帆がそして自分とかかわったすべての人が自分のことを想い続けないように、生きた痕跡をすべて消して行こうとします。自分の生きた証(もしくは死後のビデオレター)のつもりで携帯に撮りためた動画、吉岡里帆の携帯にある自分の写真(ここで吉岡里帆の携帯に彼専用のフォルダがあるのがまた泣けたんですけど、これは演出上「写真は全部消したよ」というのをわかりやすくするためなのかもしれない。)を消し、旅立つためのすべての準備ができた後に彼女に電話を掛けるんですね。そして「(あなたが俺を愛してくれているのは知っている。でも、いなくなる俺があなたのことを愛するのは、あなたに悲しい思いをさせるとわかっているからそれはあなたを傷つけることになる。でも、)ごめん、愛してる」と言い残すんですよ。その後物語はそのシーンから1年経ち、冒頭の、吉岡里帆がソウルに行くシーンで終わります。(ただ単なる時間的縛りの可能性は高いけど)その1年の経過を省いたことで、視聴者がその一年のヒロインの苦悩を想像する余韻が与えられました。その想像はきっと視聴者一人一人が自分の経験をもとに想像できたんですよ。

なんていうか、私の解釈は、ベタだけれども、「愛した人を失うつらさを乗り越えたヒロイン」が「前へ進んでいく」というもの。愛する人が亡くなる経験をする人は多くはないと思うけれど、愛する人を失う経験ってみんなきっと一回はあって、それは人によっては決して振り返りたくない辛い出来事として胸の奥にしまわれてたりする。けど、純粋に心の底から人を愛することはどんなに悲しい結末を迎えるとしても決して無駄にならないんだろうな、と最後の吉岡里帆の晴れ晴れとした顔が思わせてくれたんですよね。

たぶん、私がそう思えたのは、今の私に恋人及び想い人がいないからなんだろうな、と思います。いる状況でこういうドラマ見ると、自分を重ねすぎてダメなんですよ。だから、やはり、このポストでもともと書いた

>見ているこっち側(視聴者)のスタンス、心理状態、環境とかもドラマには大きく影響するなっていうことです。

というのはほんとなんだな、と改めて感じた次第です。

 

後これは完全に言いたいだけなんですけど、大竹しのぶ長瀬智也にご飯を作ってあげるシーンは圧巻でした。彼が(自分が息子であると告げていない、本当の母親である)大竹しのぶに人生最初で最後となるご飯(卵粥)を作ってもらうシーンなのですけど、大竹しのぶがご飯を作ってくれるところを見つめる長瀬智也の目は本当に自分の母親を見つめるずっと天涯孤独だった男の目だったし、卵粥を口にしたら本当のことを告げたくなってしまい、そんな自分をおさえることができなくなる限界で逃げるように帰る、自分の心を何とか抑えようとするお芝居は見ていてこっちが吐きそうになるというか、本当に見ていて抱きしめてあげたくなるような、いいんだよ、と言ってあげたくなるようで圧巻でした。で、大竹しのぶ。この人ほんとに天才だというのはみんな知ってることなんでしょうけど、すごいですね。長瀬智也が息子だとは知らないのに、彼が帰った後なぜか涙があふれ出す演技!!!で、しのぶ先生、「なんで?」と、涙が出る自分に戸惑うんですけどもう見てるこっちが「なんで(そんなお芝居できるの?!)」でした。

 

以上。