”blank13”

齊藤工監督、高橋一生主演の"blank13"初日舞台挨拶に行ってきましたので感想というか思ったことを書きたいと思います(今回映画と同じくまろやかなテンションです)。

 

 

 ギャンブルに溺れ、借金を残して蒸発し、13年間音信不通だった父が余命3か月で見つかった。母と兄は見舞いを拒否したが、コウジは子供の頃キャッチボールをしてくれた優しい父を思い、入院先を訪ねる。しかし金を工面している父の姿に失望し、家族の溝は埋まらないまま、父はこの世を去った。葬式に参列するのは、数少ない友人たち。彼らが語る父のエピソードによってコウジは家族の誰も知らなかった父の真実を知り、13年間の空白が少しずつ埋まっていく……。

特別ではないかもしれない、でも世界にたった一つしかない、家族の物語。ストーリーのもととなっているのは、齊藤監督の短編「バランサー」の脚本も担当した放送作家・はしもとこうじの実体験。真実から生まれた物語は、普遍的な家族の愛と憎しみ、人生の機微をじんわりと、でも確かな強度で浮かび上がらせ、観る者の心に深く迫る。

 

このあらすじがすべてなんですよ。驚きの展開も映画を見る楽しみが減っちゃうようなネタバレもないんです。自分の表現力が低くて月並みの言葉しか出てこないのが悔しくてしょうがないのですが、本当に本当に素敵な映画でした。

映画を見る前わたしには「元モデル現イケメン俳優の斉藤工が作ったスタイリッシュなオシャレ映画なんだろうな」という先入観があったんですね。どうやら前半と後半でガラッと流れが変わるらしい、とか芸人さんがいっぱい出てるらしい、とかちょこちょこと私の先入観に反する情報が入ってきてはいたものの、だって斉藤工ですよ?と思ってました。すでに観た友人たちから聞いていた話で、心の柔らかいところを結構突いてくる映画だと言うことは知っていたのだけど、いやいやいや~フィルタがかかっているんでしょ?ぐらいに思ってました。だって、スチールの撮影がレスリー・キーだったり、妙におしゃれなタイトルロゴだったり、何より映画宣伝のためにテレビや雑誌に出ている齊藤監督と高橋一生のコンビはどう控えめに見たってかっこいいんですもん。みんな斉藤工高橋一生のこと好きだから「いい映画」って言ってるだけで本当はよくあるオシャレ系映画なんじゃない?って思ってました。

 

が、そんな私の非常に感じの悪い先入観は冒頭すぐにガラガラドッシャーン!と綺麗に壊されました。

 

役者、脚本、音楽、間、セット、エフェクト、それ以外のすべて、どれもが本当に映画が心の底から好きな人が、映画が心の底から好きな人たちを集めて作った映画だなと思わせる、映画への愛が溢れている映画でした。私は何の専門知識もないし、ただ単なる「映画が好きな人」なだけなのですが、自分が好きなものを好きな人って、本能的にわかるじゃないですか。「お?」って。そういう感じで、映画が終わった後心の中に温泉がわいたようなじんわりとあったかい気持ちになってなんだかよくわからないけどお風呂上がりのホカホカ気分みたいになりました。なんていうんですかね、よくわかんないけどなんか幸せだなあ!みたいな。

映像へのエフェクトが絶妙でちょっと荒くて青みがかかった映像は何となく昭和の温度を感じさせ、映画の最初に文字で入る火葬についての説明では、さりげなく日本人としては当然の火葬という「儀式」について考えさせつつこれから始まる物語への期待が高まり、過去の回想シーンで小さくずっと聞こえる時計の音のような連続音は落ち着くようでいてなんだか居心地の悪さを感じさせ(これはテレビの対談で齊藤工が音楽を担当した金子ノブアキに「木魚のビート」と依頼したというのをみて「ああ!!」ってなりました)、「blank13」のタイトルが入るタイミングは絶妙すぎて鳥肌が立ちました。

この映画により入り込んでもらうための仕掛けがたくさん見えて(でも他人からしたらしらけるようなテクニックを見せたいだけの自慰行為的なものでは全くない)、大好きな映画を作る幸せでいっぱいな、新しいおもちゃをもらった子供みたいな監督が浮かびました。

 

そして、主演のコウジ役の高橋一生のお芝居は本当に本当にとんでもなく素晴らしかった。けど、兄・ヨシユキ役の斉藤工も母・洋子役の神野三鈴も父・雅人役のリリーフランキーも葬儀参列者役の佐藤二郎もその他出演していた役者・芸人、みんなが自然で映画を観ている感じがせず、お芝居してないんじゃない?って思ったり。主演の高橋一生が「いい意味で」存在感がそんなにない。それがとてもいいと思った。今や高橋一生が画面に出てれば制作者・観客すべてのフォーカスが彼に行きがちじゃないですか。時の人だから。だけど、物語の登場人物としてただそこにいる、高橋一生じゃなくてコウジとしてどこか所在無くスクリーンに映る高橋一生こそが、高橋一生の真骨頂なんじゃないか?と思いました。いや齊藤工、高橋一生のことガチで大好きだよね。一番生きる使い方してるもん。

 

あと、すごいな、と思ったのは、とても短い映画なのに物語に必要なシーンは全てあって、必要のないシーンは一つもなかったこと(あくまでも私にとっては、ですが)。映画のことを思い出している時にそのことに気づいて鳥肌が立ちました。そんな映画を作った監督、映画死ぬほど観てる人だなあ、映画大好きなんだなあ、って思いました(しつこい)。

 

だけど、これだけ書くとスタイリッシュでいろんな映画技術を駆使した「点数の高い」だけの映画に聞こえてしまうのが怖いのですが、ほんとに全くそうではないです。この映画、過不足なく、丁寧に登場人物たちのことを淡々と見せてくることで、全く押し付けないのに、お涙ちょうだいじゃないのに、「家族」について否が応にでも考えさせるんですよ。考えたくなくても考えちゃうレベルに。全く控えめに見えるくせにグイグイ押してきます。

スタイリッシュなのに、泥臭くて、見る人の心臓をキュウキュウと締め付けるんですよ。あったかくて涙が止まらなくなって、今すぐ家族に電話をしたくなるような映画なんですよ(現に私は次の日いちご大福買って用もないのに実家に帰りました)。

自分の家族を作った父と母。一緒に育った兄弟姉妹。その父と母の育った家族を作った祖父母。自分という人間を作り上げる大きな要因である「家族」に、いてくれてそれだけでありがとう、と言いたくなってしまうんです。

 私自身は、本当に幸せなことに、家族誰も欠けることなく今まで生きてこれて、そして家族が何よりも大好きなので、正直コウジの気持ちもヨシユキの気持ちも洋子の気持ちも雅人の気持ちも想像上の理解しかできませんでした。

でもこの映画は、それでいいんだろうな、と思いました。

家族という、自分で選ぶことのできない、血でつながった存在。それがたとえヨシユキが雅人に持ったような嫌いで嫌いで顔も見たくないという嫌悪のような感情でも、血はつながってない家族でありながらも縁を切れずに雅人の身勝手も受け入れてしまっていた洋子の想いでも、失望をしながらも最後には父親への想いを捨てきれずに雅人に会いに行くコウジの期待でも、家族を大切に思っていても大切にできていなかった、でも大切にしていたと思っていた雅人の身勝手でも。そしてそのどれでもなくても。家族は、物理的にそこから逃げることは可能であっても、その血の繋がりは、そしてたとえ別れることとなろうとも一生のものなんだ、と。そこにはポジティブもネガティブもなく、優劣もなく、ただただ「家族」はそこにあるんですよね。

「blank」を辞書で引くと、「空白・白紙・空欄」「空虚な・ぼんやりした・白紙の」「隠す・削除する・見えなくする」などの意味が出てきます。父・雅人が家を出て、亡くなるまでの空白の13年間。その13年間、雅人はいなかったけれど、ヨシユキ・コウジ・洋子の心の中から消えることはたぶんなかったし、これからも、ない。ホントにうまく言えないんだけど、家族ってそういうものなんだな、と思いました。

 

映画を見た翌朝、齊藤工、高橋一生、あと音楽を手がけた金子ノブアキの対談をテレビでやっていたのですが、そこで金子ノブアキ

映画はそれを見た誰かにとっての鏡となるもの

と、言っていたんですね。言い得て妙、で、この映画はまさに観た人にとっての鏡だと思います。人によって感想は全く違うだろうな、と思うし、同じ人でも観る時期で感じることは変わるだろうな、と思います。鏡だから。鏡に映る自分は毎日違うから。

 

 

 

実は、今回、このエントリー書きながら、まあ自分でもびっくりするぐらいまとまらないんですよ。なんていうかいい意味で想像を裏切られる本当に素敵な作品で、この映画がなんで好きなのかどんなに考えてもスマートにまとまった表現ができなくて。だから読みずらいだろうな、と思います…。ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。

とりあえずですね、私が伝えたいのは

高橋一生が好きじゃなくても、斉藤工が好きじゃなくても、邦画にあまり興味がなくても、とりあえず観て欲しい、と言いたい映画です。というか言います。これ読んだ人はぜひ見に行ってください。

ちなみにこの映画はDVD化する予定はないそうですのでますます劇場で見て欲しいです(ていうかじゃないと見れないので笑)。そのせいなのか、パンフレットの最後には全てのスクリプトが記載されていました。教えてもらって買いに行ったら本当に全部ありました。そんでもってまたパンフレットがオシャレでした。

齊藤工監督には、これからどんどん素敵な映画を作っていってほしいし、早く次の作品が見たいです!

”キングスマン:ゴールデンサークル” レビュー

大ヒットしたスパイ映画、「キングスマン」の続編、「キングスマン:ゴールデンサークル」です。そう、秒でアガるやつです。

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公式サイト↓

予告かっこいい♥↓

 

とりあえず、観終わって最初に口にした言葉は「マジ最高」でした。2言目は「え、ちょっと何これ最高なんだけどほんと最高なんだけどもう一回見たい!!!続編いつ?!でした。一緒に観ていた人と2人で楽しみすぎてキャッキャキャッキャ笑ってたので周りの席の人には申し訳なかった(平日遅めの時間で空いてたとはいえ…)。最初から最後まで最高に面白すぎてもうほんとにほんとにありがとう!って感じ。何にも考えずに2時間ちょっと監督が連れて行ってくれる世界に浸りきって脳内のストレスが全部ふっ飛びます。ただし、この映画、絶対ダメな人たくさんいる。みんながみんな好きな映画ではない笑(理由は後ほど)

 

続き物の映画って単品で見ても平気になっているもの(基本設定はどれも同じだけど前作のストーリーを引き継がないもの)と前作見てないとダメなもの(設定が繋がってるので前作見ないと理解できない部分があるもの)があると思うんですけど、ゴールデンサークルに関しては前作を見てから映画館に行くことを強くお勧めします。本当に強くお勧めします。これだけで楽しめる、と書いてある紹介記事もありましたし実際楽しめると思うんですけど、せっかくいいランチ食べられるお金払って劇場の大きなスクリーンで見るなら、余すことなく楽しむほうがいいじゃないですか!私、貧乏性なので特に!私は1作目公開時から観たい観たいと思いながら見られずじまいだったので、ゴールデンサークルの公開が始まる前のお正月休みに観ておきました。あと、1作目を見てちょっと好きじゃないと思ったら2作目は見る必要ないですしね笑

 

で、この映画、映画好きな人はより楽しめる映画なんじゃないかなあと、個人的には思います。一言で言えば「スパイ映画」、二言で言えば「コメディのスパイ映画」なんですけどね、今まで作られた有名どころのスパイ映画があるからこそ作れた映画だと思うんですよ。一作目で主人公イグジーくんがスパイ組織のトップにパートナーの犬の名前を聞かれて「JB」と答えるんですね、でトップが「それはJames Bondジェームズ・ボンド:「007」シリーズ)? Jason Bourne(ジェイソン・ボーン:「ボーン」シリーズ)?」と聞くと主人公が「Jack Bauer(ジャック・バウアー:「24」シリーズ)」と答えるシーンがあるんですね。こちら↓

まぁ、まずスパイ作品の主人公の名前のイニシャルに「JB」が3人もいるのにもびっくりですしそれを犬の名前として出しちゃってるあたりもこの監督っぽい笑 そして、主人公二人(コリン・ファースタロン・エガートン)がイギリス人なのでガチガチのイギリス英語であることと大量のスパイガジェットが出てくるところにめちゃくちゃ「007」を意識しちゃうし、ポップでコメディなスパイ映画という意味では「オースティンパワーズ」ぽいなって思うところもたくさんあるんですよ。1作目も2作目も一番山場の戦闘シーンに特にそれを感じます。なんかね、ホントにスタイリッシュでポップ!そして2作目のゴールデンサークルではアメリカのスパイも多数出てくるんでボーンシリーズとかミッションインポシブルとかも意識しちゃうんですね(ただしすんごいデフォルメされた南部のカウボーイでかつすんごい南部訛りなので意識するだけで全然寄せてはいないです。ただなんていうか製作者の狙い通りにベタなアメリカvsベタなイギリス感があった)。で、私はそこまでの映画オタクには誠に残念ながらまだまだなれていないので、どのシーンがどの映画からとった、とか具体的に当てることはできないんですけど、もういっろんなスパイ映画で出てきたシーンがあるんですよ。だからなんていうか今までの名作スパイ映画を積み重ねてそこにポップ感とグロ感と大量にお金を使った大人の悪ふざけをめっちゃ加えた映画、って感じなんです。だからわたしは監督の「映画愛」をつよーーく感じてなんかもう一人の映画好きとして嬉しくてしょうがありませんでした。

 

と、ごちゃごちゃ言いましたが、この映画の私が思う鑑賞ポイントは以下。

①スーツ

スーツ着た男性がツボな女性(及びスーツが好きな男性)にはたまりません。わたくしスーツ姿の男性大好きなので、だいっすきなので!!もうたまりませんでした。ダブルのスーツ着てる人見てカッコイイー!ってなることはそんなにないですからね。

②映像

とにかく映像が気持ちいい!たくさん出てくるドラえもんクラスのスパイガジェットと、肉体に不可能はない!みたいなバトルシーンのアクションが本当にダイナミックでかっこよく作られてるのでそれだけでも観る価値あると思います。あんまりCG多用しすぎな映画って興醒めしちゃうことも私は結構あるのですが、この映画に関しては興奮しすぎて声出るレベルにいいです。

ジュリアン・ムーアのぶっ飛び具合

ジュリアン・ムーアってすんごい美人で完璧感がある女優さんだなあと思っているのですが、まあ、よくこの役受けたな、って思うぐらいにハマり役。ハマり役ならいいじゃん、ってなるんですけど、今後ジュリアン・ムーアを普通に見られなくなるんじゃないかなって言うぐらいに完全に頭狂っちゃってるサイコパスの敵役がハマってたわけで、もうなんかもうなんかもうなんか最高なんです。一日こういう女の人になってみたいなあって思いました。ぜったいにそばにいて欲しくないですが笑 (あと個人的には50年代風の衣装がとても好みだった)

④特別出演のエルトン・ジョン

特別出演のエルトン・ジョン。とってつけた話題作りの特別出演かな~と思いきやめちゃくちゃ存在感出してます。映画終わった後今まで全く興味のなかったエルトン様が本当に愛しくて大好きになりました。多分あなたもなります笑 エルトン様がナイトに叙勲されてるすごいおじさんで大金持ちで同性愛者であることを知った上で見ていただくとより楽しめるかと。

コリン・ファース大切だからもう一度言うけどコリン・ファース

え、世の中にさ、例えばコリン・ファースにバーで「この後僕の部屋に来ないかい」って誘われて断れる女性っているの?いないよね?いるわけがない。この人のためだけに何回でも劇場に行きたくなるぐらいに、かっこいいしかわいいし愛しいしかっこいいしかっこいいしかっこいいです。もしかしてこの映画コリン・ファースのためのPVなんじゃないの?!ってなります。ていうかたぶんそうです。好き大好き結婚して!ってなります。

 

と、私は大好きすぎて配信されたら購入確定のキングスマンですが、見てはいけない人がいます。それは、

  • グロいのがダメな人
  • エロいのがダメな人
  • 言葉が悪いのがダメな人

です。多分そういう方がこの映画を見ると気分悪くなるかも…。グロさに関しては一作目を見て平気な人は多分大丈夫、かもしれないけど1作目よりかなりパワーアップしたグロさです。グロいの全然平気な私でも「オエー」って声出ました。エロさに関してはなんと言えばいいかわかりませんが女性はダメな人いそうだな、と言う感じ。けっこう際どい。言葉の悪さに関しては一作目が平気なら全く問題ないです。オレンジ色のスーツを着てる主人公のイグジーさんがまあ口が悪くてですね、息をするようにF*ckとSh*tを使います。私はどれも全然問題ないので心の底から楽しめましたが念のためご注意ください。

 

と、ごく一部の人はご注意が必要かと思いますが、2018年の初映画としてはさいっこうにお勧めです。頭全然使いませんから!ほんとに使いませんから!ただし、こういう現実離れしたアクションシーンがある映画を観終わった後に主人公の気分でかなり気が大きくなりがちなので危険なスタントなどをしないようにお気をつけください。私は帰り道にものすごい万能感を感じて風を切って歩いており、気付いた時に一人でかなり恥ずかしかったです。

とりあえず、ほんとに、私は大好きな映画ですのでぜひ!

ネコになりたい(劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き コトラ家族と世界のいいコたち)

突然ですが、猫派ですか?犬派ですか?

私は断然ネコ派です。でもそんなこと言ってる私も昔は圧倒的にイヌ派でした。だって犬かわいいじゃん。あの子たち、めっちゃ人懐っこく寄ってくるし飼い犬ちゃんたちは「ご主人様がいないと僕死んじゃいます!」って感じで飼い主ラブ!ってなってるし(番犬とかは他人にはきちんと怖いけどさ)。別にネコも嫌いじゃなかったんですけど全般的に他人さまには懐かないし。自分のいる位置より高いところに居座られるのが比較的苦手なのでかわいいけどちょっと怖いと思ってました(だから鳥はあまり得意ではない)。が、ある時仲の良い友人がネコちゃんを飼いだしたんです。おうちにお招きしてもらった時に、雑種ということなのだけどとっても気品あふれる美人なその(当時)子猫ちゃんと遊んでいたら突然神からの啓示が下りてきたかのように完全にネコ派になりました。もうぐでんぐでんの泥酔状態のネコ好きになりました。

人生ホントに何が起こるかわかりませんね。一寸先は闇です。でもその闇が素敵なサプライズをくれる闇だったりするから人生辞められないわけです。

そんなわけでネコ好きになって早数年経つんですけど。何でも好き好き言ってると寄ってくるものなのかもしれませんね。別の友人が『劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き コトラ家族と世界のいいコたち』の招待券をくれたので去年の12月に行ってまいりました。

nekoaruki-movie.com

世界的動物写真家 岩合光昭氏がネコの目線で撮影した世界の街角のネコを紹介するNHK BSプレミアムの人気番組「岩合光昭の世界ネコ歩き」。劇場版では、岩合氏が1年以上をかけて子ネコたちの成長を追った、番組ファンの間で人気の《津軽の四季》より“コトラとその家族”を中心に、岩合氏お気に入りの世界6カ国のネコたちの思わず笑みがこぼれる仕草や野生的な瞬間を捉えた映像を再編集。TVでは放送されなかった、選りすぐりの未公開シーンとともに、2017年7月の津軽ロケで撮影された“コトラの子どもたちの今”をご紹介します。青森県津軽の大地で、太陽を浴びて真っ赤に育ったリンゴのように愛くるしく、そして力強く生きるネコたちの姿を大スクリーンでお楽しみください。

(サイトより)

ということで、ネコ写真で有名な岩合光昭さんの『世界ネコ歩き』という番組を劇場用に再編集した映画らしいですね。「らしい」というのはオリジナルを見てないから確認できないのでどの程度の再編集なのかわからないからです。ただ、内容とかテンポとかはテレビで観るネコ歩きと似ていました。

「だったらテレビでいいや、わざわざ劇場行く必要ないじゃん」

と思ったそこのあなた。バカバカ!あんぽんたん!お前の母ちゃんでべそ!あのね、これネコ好きならホント映画館で観てよかった!ってなります(友達!ありがとう!)、かわいすぎて。あと岩合さんのネコたちへの愛がこんなにもあふれていたのか、とがっつり来ました。普段、家でこの番組をちょこちょこ見るんですけど、岩合さんの目を通してひたすらかわいいネコちゃんたちを見る番組なんですよ。ほんとかわいいの。ほんとかわいいんだけど、特にゾンビが出てくるわけでもなく、未確認生物が東京湾から出てくるわけでもなく、何も疑ってなかった彼氏が全くの別人だったことがわかるわけでもないんですよ。だから、ついつい”ながら見”になってしまうんですね。LINE来たら返信しちゃったり、喉乾いたらお茶入れちゃったり。ですが。映画館で観ると何が起こるかというと、もうネコちゃんに全力集中、そしてその映像を撮っている岩合さんの意識がシンクロするんですよね。ドキュメンタリーって怖いなあと思いました。ほんとに制作者その人が出ますね。

まずね、オープニングの雪の中歩く一匹のネコにやられましたよ。降り積もる雪の中を一匹で凛と歩いている映像なんです。なんだか動物というものの野性と、それに対する岩合さんの畏敬の念をとても感じる映像でした。まず涙もろい私はこの雪の中凛と歩くネコちゃんに対して恵まれた生活の中でぶーぶー文句言ってる自分が恥ずかしくなってつーんとくるものがありました。

その後、メインである津軽の「コトラ」家族の四季を追いかけつつ合間合間に岩合さんが世界で出会ったかわいいネコたちの映像が流れるんですけどね。えっとね、私、世界のネコのとこで一旦夢の世界に行きました。いや、いやいやいや、言い訳させてもらうとものすごい立て込んでて忙しい日が続いていたのと、あとネコが癒しすぎたの!!!ホントに夢なのか映像なのかわからないぐらい幸せなふわふわした時間があって、結構最後までふわふわしてました。正直下手なマッサージ行くより全然癒されたし体もなぜかとても楽になった。

 全般的にそんな感じで多少の起承転結やドラマがありつつもネコの日常をひたすら観る映画なんですが一番の感想はネコひたすらかわいい。2番目の感想はネコってすごい。というか動物全般すごい。昨今「保育園落ちた日本死ね」やら「ワーママ」やら「ワンオペ育児」やらありますが。自分はそうではないですが友人や親族を見ていると大変だな、こりゃどうにかしないといけないな、って日々思うんですよ。でもね、

ネコ、保育園、ない。

ネコ、常に、ワーママ。

ネコ、常に、ワンオペ。

なんですよ。だから人間だってできるはずだろ、とかそういうことをいう気は毛頭ないですほんとに。私は保育園入れなくて仕事に戻れない友人を見るたびに日本てバカなのかな?って思いますしあんな何もしない殿さま姫様状態の赤子を一人で育てながら人間界で普通の生活するのは無理ですって。ただ、ネコってほんとにお母さんが一人で全部やるんですよね。なんていうか知っていたはずなのに映像としてがっつり見るとただただ「すごいな」ってなります。しかも多産だから5匹とか育てるんですよ。いや人間が5つ子産んでみ?毎日白目でしょ。世の中のネコのお母さんたちに本当に畏敬の念しか起こりませんでした。あとね、

ネコは子供もほんとに命がけで生きてる。

と思いました。動物って基本的にそうですよね。人間と違って生まれた時から基本的に一つの個体として厳しい自然の中を生きて行かなきゃいけない。もちろん親は大切な子どもを守りますがさっきも言ったように基本ワンオペなのでご飯探しに出かけたり敵から子供を守ったりほかの子供の世話もある。そういう中で運の悪い子や弱い子は残念ながら生き残れない。自分が小さな頃ってそういう感覚ってなんとなく自然にもっていたように思うのですよね。遠足で山登りをするときに「この道から落ちたら死んじゃうのかな」とか校庭で遊んでる時にも「この土管から落ちたら死んじゃうかもしれない」とか。だけど、大人になって毎日PCとにらめっこして整備された街の中で暮らして食べ物もいつでもどこでも手に入るこの状況に慣れきってしまい、「生きる」ってそれだけですごいってことを忘れていました。

そして、同時にネコたちはとっても自由でした。ほんとーーーーに自由でした。お腹がすいたらご飯を食べるし、食べ物が見つからなかったら人間に媚びに行く。そこに登りたい樹があったら自分の体のサイズなんて考えない。迷子になるかなんて考えないし車にひかれるかもなんて考えないし眠くなったら寝る。シンプルに「生きること」が彼らのやっていること。生きることはシンプルなことで、彼らはやりたいことをやりたい時にやる。

自分がネコを好きなのはそのかわいさだと思ってたけど、そしていろんな人がすでに言っているから使い古しだけど、自分はネコの自由さにただただ憧れているんだな。と思いました。でも人間もさ、もっとネコみたいに自由に生きたらいいんだと思うの。べつに言いたい奴には言わせとけばいいんだな。と。だからやりたいようにやりましょうね。みなさま。人間はそんな簡単には死にません。

 

(最後に…申し訳ないのですが…たぶんこれ今はもう劇場ではやってないかもしれないです…観たの12月の中ごろだったから)

ネット世界ありがとう

あっという間に2018年ですね。

ちょっと早すぎて1ヶ月ぐらい気を失ってたのかな?と心配になりましたがこの1ヶ月呑んだくれてたことはしっかり覚えているのでどうも気は失ってないようでした。

 

というわけで明けましておめでとうございます。

 

世の中は相変わらず素敵なことも悲しいことも色々起こった一年でしたが、2017年は自分的にはじんわりと素晴らしい1年だったな、と思います。その大きな一因って自分が好きなものを純粋に好きだと言うことの素晴らしさと心地よさを学んだからだな、と思うので忘れないうちにそれについて短めに。

このブログにも書いている私の好きなものは高橋一生だったりウォーキング・デッドブラックリストをはじめとしてアメリカドラマ全般だったり他にも猫だったりお酒だったり素晴らしい料理だったり頭のいい人たちとする会話だったり色々あるんですけど。今までってそれは自分とごく一部の仲良しの友達としか共有してこなかったんですね。ていうか普通みんなそうだと思うんですけど。それが、私は2017年Twitterという新しい世界を開いてしまったんですよ。あれってもう言い古されてますが外見とか所属と関係なく繋がる究極の内面の世界ですよね。自分と好きなものが一緒な人たちが自然と集合してコミュニティ作るじゃないですか。出だしは俳優なりドラマなりで集まっていった人たちでもなぜか他にもセンスだったり趣味だったりが似通った同士が集まるもんなんですかね。そんな人たちと好きなものについて話したり、それぞれが好きなものについてみんなにシェアしたり、なんていうかほんと「コミュニティ」なんですよね。考え方だったりが似通っていたり尊敬できるような人たちが超同時多発テロみたいなことになってボッコボッコ湧いてきて今やなくてはならない友達がたくさんできました。

あとこのブログ。このブログは私を長く知っているほんとに尊敬しかない友人が腰の重い私に何度も何度も勧めてくれて書き始めたのですよ。恐れ多くも読んでくれたことある人はわかると思うのですが私暑苦しいんですよ多分。自分でも自分の感情を持て余してるんですよ。好きなものとか自分の思考に対してもう周りが見えなくなるんですよ(恋愛も同じだ)。そんな私を知っている友人はそれをブログで発散しなさい、と再三言ってくれたんですね。そしてそんな私がここに書きなぐった文章に対して自分が思った以上に反応をもらったり感想をもらったりしたんです。自分の思いを書いた文章に対しての反応をもらうのって正直小学生の時の日記や作文に担任の先生がくれる「頑張って最後まで徒競走走ったのですね。偉いですね」的な赤ペン返信以来でした。担任の先生の赤ペン返信も嬉しかったけど、本当に多くの素晴らしいものが溢れているネットの世界で私のブログをたまたま読んでくれただけでもすごいのに、その上その感想をわざわざ伝えてくれるってほんとに何?みんな優しさだけでできてるんじゃないのバファリンなの?ってなりましたよね。

ネットの世界に慣れ親しんだ人には「いや、普通じゃない?」ってことばかりなのかもしれませんが、今まで全くこっちの世界は完全に傍観者として生きてきた私には、会ったことのない人と心が通じ合ったり同じものを慈しんだりするってとてもすごいことでした。そうやって好きなものや欲しいものや素敵だなと思うものについて話すということを毎日やっていたら、それがとても気持ちよかったんですよね。だって、人間生きていくにあたって自分が好きなものに囲まれて好きなもののことだけ考えて美味しいもの食べて毎日笑ってたらそれ以上の幸せってないですよね??

 だから、そんな風に思えた、そしてそんな日々を過ごすために必要不可欠な場所を与えてくれたTwitterにもそしてブログにも、感謝の心いっぱいで2018年も過ごして生きたいなと思います。

今日はワイン飲んでてこれ以上書けなさそうなのでとりあえず新年のご挨拶はこれぐらいにさせていただきます。

今年もよろしくお願いいたします。

”嘘を愛する女”完成披露試写会&舞台挨拶

昨日、”嘘を愛する女”の完成披露試写会と舞台挨拶に参加させていただきました。

 

usoai.jp

 

あのね、「参加させていただきました」とかさらりと言ってるけどね、これね、すごいことだから。まあほんとにここ数か月特になんですけど「ああ、神様いるな。そんでもってわたしなかなか目をかけられてるな」と思っているぐらいにはいろいろ私は運が良すぎる。この舞台挨拶、もんのすごい応募があったはずなんですよ。とはいえ大きな劇場だったしなんとなく「絶対行けるでしょ」と思っていたので当たる気満々だったんですが見事に全部外れたんですね...。会社のOutlookブロックしてたのに…って切なくなってたんですよ。が!が!が!前回の女神さまに続き今回は私の教祖様(と勝手に呼んでいる方)が連れてってくれたんですよこれが!もうどうするよ宗派を超えてどの神様でもいいけどほんとありがとうございます!!!

というわけで、行ってきました。

しかも、配付された席は1階のかなり前!!!!!(教祖様の力)

テンション爆上げの酩酊状態(うそ、シラフです)で会場に入るとなぜか客席中央に大きなステージが作られてる。そんでもってこのステージは位置が高いから座ってる席から立ち上がってやっと目線に舞台上の人の足が来るぐらい。「え?何これ。ちょっとスタッフーーーー!こんなとこにステージ作って舞台挨拶されるとマジ見えないんですけどちょっと東宝さんなにやっとんねんあなたたち天下の東宝でしょ!?担当者ーーー!担当者ちょっと前出てきて―――!」ってなってたんですが。ここは伊達に年齢と経験重ねてないんです私。スタッフの人の立ち位置、ステージ上の照明の設置具合、なんかすみっこにある空気砲みたいなやつの向き、最後列と最前列に座るマスコミ、といろいろな情報を寄せ集め、「いやいやいやこれ大丈夫だわ。これあれだ、真ん中のステージはCM用の映像撮るために最初か最後に出演者が立ってタイトル言った後に紙ふぶき舞うやつだ。舞台挨拶は絶対スクリーン前だわ。だってじゃないとこのマスコミの配置おかしいしスタッフの立ち位置もバランス悪いし間違いないわ。待てよ、と、するとこの中央にある階段から降りるね。出演者ここ降りて舞台に向かうね…待って待って待って待って。待って待って待って待って待って。てことはすごい至近距離じゃん…。やばいです。やばいです事件です。」と、教祖様の横でずっとまくしたててました、私。教祖様は清らかな笑顔で「落ち着いて」とおっしゃいましたが、落ち着けるわけない。だってマジ近いんだもん。私の想定ルートを通るとしたらマジ近いんだもん。

で、実際の舞台挨拶始まったら私の読み通りでしたYO!奥から登場して手と笑顔を振りまきながら中央ステージへ進み、そこでなぜか自撮りをし、出演者がそろってカメラに向かったところでパーンとゴールドのリボンが舞い上げられました(紙ふぶきではなかった)。

それでみんなが息を飲んだあのエスコートをして正面舞台へ向かったんですけど(やっぱり手と笑顔振りまきながら)、あのエスコートはやばかったですね。ちなみにエスコートは高橋一生×長澤まさみ、DAIGO×川栄李奈吉田鋼太郎×監督でした。高橋一生はもちろんなんだけどさ、最後に監督をエスコートした吉田鋼太郎がかっこかわいかった。もう一回言うけどかっこかわいかったわ。高橋一生長澤まさみの場面はみんなキャーキャー言っててそりゃそうだそりゃそうだそりゃそうだ!!!ってなりました。ホントにかっこよかったの。まさみはお姫様みたいだったの。それでもってエスコートされる側もする側もナチュラルにできてて素敵!ええ、私もキャーキャー言いましたよもちろん。この時ほんとに近くて(お鼻の傷も見える近さ)「ああ、高橋一生動いてる。高橋一生人間だった。高橋一生手振ってる。高橋一生生きてる。」ってなりました。

しゃべった内容とかはネットでも流れてるのでこんな感じでしょうか。とりあえずすっごく和やかで運びもスムースな舞台挨拶で、さすが東宝さん!って感じでした(さっきはごめん)。

 

 

出演者の印象

 

高橋一生

  • テレビで見る「ザ・高橋一生」だった。
  • 和やか。笑顔が多くてリラックスしてる感じ。
  • エスコートがすごい素敵だった。
  • ツイッタ―やら周りの反応を見る限りあまり衣装の評判がよくなかったみたいなんですが、私的にはもう超絶ツボすぎた。会場が丸の内・銀座エリアだったんですけどほんとに高橋一生があの衣装で丸の内を歩いてたらウォーリーを探せ状態だわ。ってぐらいに丸の内リーマンスーツ。ただあのグレーともちがうねずみ色のスーツ×ブルーシャツ×黄色ネクタイはプロの丸の内リーマンだったら結構上級者レベルのオシャレさんだと思う。だけど舞台挨拶というお祭りの衣装としては評判良くないのもわかるかな…。ちょっと地味目だよね。ただね、靴が完全にリーマンじゃなくて芸能人だったよ。
  • 最近ついた嘘はなんですか?に「僕は嘘をネガティブにとらえてないんです」、で、「(嘘は)よくついてます(か、しょっちゅうついてる)」みたいな返しをしていたんですが、おまえさんまたやりよったな。と思いました。もうね「ザ・高橋一生」ここにも!みたいな。この人はほんとに言ってることがほんとなのか嘘なのかわからないですね…。

 

長澤まさみ

  • オーラが出すぎている。
  • スタイルが良すぎる。
  • オシャレすぎる。
  • 顔が小さすぎる(教祖様は「一般人の顔が肉まんだとしたら長澤まさみは小籠包ね」とおっしゃってましたがほんとそのぐらい顔小さい」)
  • テレビで見るより100万倍ぐらいきれいだった。
  • 自然体!だからかなのか仲良いのかはわからないけど高橋一生長澤まさみの間の空気感がなんかよかった!
  • 元から大好きだったけどますます好きになっちゃいましたよ…。

 

DAIGO

  • さすがのムードメーカー
  • パリッと決まってた。安定の芸能人感。
  • 演技うまくてびっくり(あ、これは映画内の印象か)。ホントに別人のようで芸能人オーラは全くないのがすごい。この映画で一番のダークホースというか予想外の収穫でした。

 

吉田鋼太郎

  • あのね、くそかっこよかった。もう一度言う、くそかっこよかった。
  • これぞイケおじ。
  • 5人の中で一番芸能人オーラ(もしくは一般人ではないオーラ)出してた。
  • 正面ぐらいに座ってたからだと思うんですけど確実に目があったんですよ。そしたらさ、その時にニヤって笑ったんですよ!イケおじ真骨頂!!!もう大好きになっちゃった。(私もともと吉田鋼太郎さん大好きで、彼が挨拶するときにもうたぶん満面の笑顔で見ていたからかわいそうに思ったのかもしれない…。吉田さんありがとうございます。)

 

川栄李奈

  • わたし彼女大好きなんですよ。よくいそうででもいない可愛さ。
  • テレビで見ていた時も思ったし実物見ても思ったんだけど、背も高くないしかわいらしい女子高生、って感じでどこにいてもなじめそうな感じの外見(もちろんとてもかわいいのだけど!)。なのでほんとにいろんな役やれそう。
  • 亜人」での彼女の演技を観て、この子すごいな。自分のこと無くしてどんな役でもできるタイプだな。と思って目を付けてたのですが、この映画でもよかったですね。演技うまい。

 

映画の感想

全体的に「安定・安心の東宝映画」という感じでした(伝わって…)。起承転結がしっかりあって、「うん、今は後半のオチに向けて準備してる時間だな」「よし、今山場に向かって走ってるな」って言うのがわかる。なので寿命を縮めることなく観られます。

タイトルにもある「嘘」を起点にし、その「嘘」を追いながら謎を解いていく、その謎が解けた時に主人公は何を選択するのか、というストーリー展開は公式にもある通りです。伝えたかったのは、その「嘘」は、誰かを愛するときの障壁になるのかならないのか、愛は「嘘」を乗り越えられるのか、愛は「嘘」に勝てるのか、ということなんだと思うんですよ。観ながら考えさせられるわけですよ。自分が主人公だったらどうするんだろう…って。だって人間嘘が全くない聖人君子みたいな人の方が少ないじゃない?自分だって嘘のつもりはなくても隠し事だったり言いたくないこととかはあるわけじゃない?映画の中の嘘は大きな嘘だったけど(お話だし)たとえ小さなものでも嘘をつかれていたことを知ったらそれを乗り越えられるのかな?と。

ストーリーは正直、見る前からある程度読めた通りでした。でもその読めるストーリーに「なぜ」至ったのか、はなかなかしんどかった。ちょっと見るのしんどい人もいるんじゃないかな?でさ、いいシーンたくさんあるんだけどネタバレできないと言えないんだよおおおお!言えるのはイッセイ好き!まさみ好き!吉田さん好き!ってことだ。

一つホントに残念だったのは、ストーリー展開で唐突な部分がところどころあったこと。ちょっともったいないなあ、と思ってしまった。面白かったのよ。面白かったけどもう少し内容絞ったらよかったのかなぁ。多分2時間でやるのはもったいないぐらいに内容がもりもりありすぎたせいかな、って思ったんだ…。監督、100回書き直したって言ってたけど、え?マジ?じゃあたぶん編集の都合上いろいろ端折らざるを得なかったのかなあ、っていう感じ。たぶん映画にしないでドラマにして丁寧にエピソードを見せたらもっともっと今以上に素敵な作品になったのではないかなあ。ストーリーの進行上は、説明がなくても自分の中の想像で事足りるので問題はないのだけど、どうしてそうなったのかの細かい描写が観たかったなあ、と思うところが何か所かあったんですよね。(ていうかドラマでやってくれたらもっと長い間みられるじゃないですか高橋一生長澤まさみを…。)

長澤まさみは「嫌な女」を演じてくれ、と言われていたらしいのですがほんとに嫌な女でしたw 奈々緒がよくやる的な「悪女」じゃなくて、自分勝手でわがままで自由奔放。自分がそうであることすら気付いていない、周りに一人はいるような感じが、悪い方に出た「嫌な女」でした。あとちなみにこれはそんなにネタバレにならないと思うから書きますが長澤さんはなかなか酒癖のお悪い部分もある役で、私はめっちゃ親近感わきました。というかそこが一番共感したのどうなのよって感じだけど…。

そして一生さんが出てくるシーンはほぼ全編癒し。「嫌な女」長澤まさみを静かに優しく受け止める感じなんですよーーーー。宇宙飛行士とその旦那さんを演じたドコモのCMを彷彿とさせたんですよねえええええええ!私が一番大好きなあのCM!ストーリー上も彼の存在は(謎でもあるけど同時に)癒しだし、なんていうかみんなが好きな高橋一生を煮詰めて作った高橋一生って感じの役でした。あと面白いなと思ったのが、設定として劇中でくも膜下出血で倒れるところから話が回り始めるので、出てくるシーンって大体回想なんですよね。それが、彼が一番最近出演していたリミスリ(リミット・オブ・スリーピング・ビューティ)と似てるなあ、って思ったんですよ。高橋一生って変幻自在だからなんかみんなの中で自分が好きな人物像に理想化されやすくてこんなに人気出たんじゃないかなって思ってるんですけど、2つの映画で立て続けに回想シーンが多い役だったのでますますそう思いました。

 

高橋一生が好きな人は絶対に見たほうがいい映画です。あと、高橋一生長澤まさみのセットは美しすぎて神々しいです。

 

(実は、映画そのものの感想はもう少し自分の中で消化して書こうと思ったのですがやっぱり記憶が風化しちゃうので、そうならないうちに!と、ぶわああと書きました。ので、雑な書き方をしていたり嫌な思いをする箇所があったら申し訳ございません。)

高橋一生についての考察②

高橋一生のお祭り騒ぎが始まったのって正確にはいつからなんでしょうか?

 

おんな城主直虎とカルテットが始まった2017年1月からなんでしょうか?

 

私自身が祭りに参加し始めたのが3月の終わりとかなので、私がわーきゃー言いだしたころにはもう彼はすでに教祖様だったため正確にはわからないんですけど、それでももう半年以上高橋一生で日々きゃっきゃさせてもらっているんだな、それでもって祭りに初めから参加している人はもう1年ぐらい祭りしてるんだな、と気付いてびっくりしました(もちろん祭り前から高橋一生ファンな人はたっくさんいるのは承知です、だって素晴らしい俳優だし)。本当彼には感謝しかないなって思うんですが、人間何かを好きになるとそれがなんであれ日々に張りが出ますよねほんとに。今までゲームとかアニメとか自分が特に興味がないものにはまってる人がいても「ふうーん」ぐらいだったけど、なんかもう祀り上げる対象は違うとはいえこのお祭りテンションを味わっている人なんだって思うと仲間だよね!同志だよね!ってなるね。あと高橋一生の場合は女性ホルモン出るからね、ひとつ買ったらもうひとつついてくるよ!みたいなね。(これ、前も書いたからしつこいけど、恋愛感情をもって日々ときめいてると女性ホルモンが出るんだけど、そのときめきの対象は3次元である必要がないらしいので。高橋一生3次元に生きてるけどテレビで見てる分には2.5次元みたいなもんだけどいいってことなの!)。

 

そんなわけでいろいろほんと感謝しているんだけど、おうちの場所がわからないからとりあえず生家のある赤坂方面を拝んでおこうと思う。

 

さて、そんな(私の中では)8か月に渡る長いお祭りなんですけど、さすがに少し落ち着きを見せてきましてね(私の中の人の話)。最初の頃の御神輿と山車を一緒にソイヤソイヤ!ってしながら同時にビール飲みつつ焼きそば食べてるテンションはとりあえず一旦落ち着いた。局地的にドラマでお色気シーンがあったりすると大変!息ができない!!!!!ってなるけど平常時は全く平常。(これも前も書いててしつこいけど)高橋一生そのものが生きていて息をしている人間、そして俳優なんだ、と脳みそが認識をしたときから、高橋一生に関しての私の想いというのは達観レベルに入ったんですよ。

 

な・の・に!何に驚くって、私かなりの飽き性なのに、テンションが落ち着いたのに、相変わらず高橋一生が好きなことに驚くんですよね。(要するに達観レベルに入っていてもまあ傍から見たらただの高橋一生好きなBBAなわけだ)

 

そんなわけで今日ランチでスンドゥブ食べながら、なんで(自分含め)世の中の女性は高橋一生に飽きないのか、を考えたんですよ。私の結論は

 

高橋一生って一人ジャニーズじゃん。

 

でした。いや、ジャニーズじゃなくてもいい。ビジュアル系なのかオシャレバンドなのかなんでもいい。でも一番わかりやすいのはジャニーズなんだよ。

 

ジャニーズってさ、ほとんどの場合グループで活動するじゃないですか。日本の女子は大体一度ジャニーズを通っていくと思うんですけど(もちろん通らない人もいるけど)、王道の流れとしては最初はメンバーの内の一人を好きになるんですよ、グループの中で。あんまり、「いや、もうグループ全体でのハーモニーがたまらなく好きだから○○が好きなんですよ!」って最初からグループ全体から入って好きな人っていないと思うのよね。

例えばさ、嵐の二宮くんをなんかのドラマ見て好きになったとするじゃないですか。そうすると、自分の好きになった二宮くん目的でテレビを見ているうちに「ああ、二宮くんほんとかっこいい。それに嵐は仲良さそうでいいな~あ~二宮くんかっこいい♥ あれ…でも、待って。なんか今まで気に求めてなかった大野くんって普段静かにしてて自分からそんなに話さないけど、ここぞの時にいいボケかましてる。大野君…も…素敵っ!好き!桜井くんキャスター似合すぎだし相葉くん天然かわいいし松潤はザ・松潤だし、みんな…好きっ!嵐最高!!!」ってなりません?(ごめんなさい、嵐ファンの方怒らないでくださいね。国民的アイドルだから一番例えやすかったの…。)

 

そんなジャニーズのグループによる波状攻撃&囲い込み作戦を高橋一生って一人でやるんですよ。

 

まずなんかのドラマとか映画で高橋一生が気になりだすとするじゃないですか。「あれ、この人結構昔からいるけど、今まで気にしたことなかったけどすごい演技うまいしかわいい...」って。まあいいや、ただ顔が好きだった、とかでもいいんだけど。そうすると、この時代、ツタヤにいけばDVDがぶわーーーーーーーーっと並んでますし、出不精のあなたにはNetflix、Hulu、Amazon videoがあるじゃないですか(わたし、全部入ってる)。とりあえず高橋一生が出ているドラマで好きそうなの観てみるじゃないですか。と、あなたが最初に見た高橋一生とは違う高橋一生がそこにいるんですよっ!!!!!それで「なにちょっと最初に見た真面目な童貞ドS秘書役とこのイケメンツンデレ社長役、全然違う!なのに両方かっこいいしなんなのこれ?!」ってなるんですよ。そこで止めたら『好きな俳優はぁ~、高橋一生かな、あの人演技うまいじゃん』ぐらいで終わってたものを、あなたはまたほかのドラマを観るんですよ。もうアウトですね。「やだ・・・何このおさえた演技…。冷た家老…っ!なにそれ!しかもなにこの手!指!演技だけじゃなくてパーツでも殺しにかかってくるのかっ…!え、待って…、ねえ待って!私、秘書も社長も家老も全部好きなんだけど…。何これどういうこと?」はい、お答えしましょうもうアウトです。ご自分でもわかってるでしょう。もうアウトです。

 

あのね、高橋一生という人の中には役柄の数だけメンバーがいるんだと思うんですよ。で、個々のメンバー(=役柄)が好きな人が高橋一生というグループを好きになるんですよ。それでもって高橋一生というグループがそのメンバーをすべて内包してテレビに出ている時(バラエティとかインタビューとか)には、それぞれの役柄の片鱗がちらっと見えつつも(しゃべり方から始まり、しぐさだとか、顔とか手とか指とか指とか指とか)、グループ全体で最高のハーモニーを演奏するんですよ。気付いたら高橋一生をまるっと好きになっちゃうんですよ。

 

たぶん、他の俳優さんでもこういう方ってたくさんいると思うんですけど、高橋一生の場合はメンバーの個性が強いんですよなんか。よくカメレオン俳優とか憑依型俳優とか言われてますけど、あれ、たぶん違う。それじゃ足りない。カメレオンは擬態だし憑依型は外から誰かが入ってきてる。そうじゃないんだよね。私思うにあの人グループなんだよ!だって別人すぎるんだもん。じゃなきゃ説明がつかないんだよ!

 

とここまで考えたところでスンドゥブ食べ終わりましてね。

 

私的には高橋一生はカメレオン俳優でもあり憑依型俳優でもあると思うんですけど、新しく、ジャニーズ的グループで作り出す複合的魅力を一人で作ってばらまく俳優、っての足したいな、と思いました。

 

以上。

男女の友情について

ちょっと真面目な話ですが(私にしては)。

 

男女間の友情はあり得るのか、というのが議論のテーマになることはよくあると思うのですが、これに関して私は限りなく白に近いグレーというポジションを取らせていただいております。基本的には双方に恋愛感情がなく、今後生まれる可能性が限りなくゼロに近い場合には『男女間の友情はある』と思っているのですが、同時に『世の中に「絶対」はない』というポジションも取っているため、何があるかわからないから限りなく白に近いグレー

なんでそんなことを突然言い出したかというと、めちゃくちゃ仲がいいけど本当に本当にこれだけは120%の自信を持って言えるけど私たちは絶対に恋愛関係にはならない、と思っている異性の友人が、自分の国に家族も連れて帰ることにした、と言ってきたんです。そして彼は旅立ちましたよ。初めて会った時から初対面の距離感はゼロ、あっという間に仲良くなり、よく終電ぎりぎりまで飲みにも行ったもんです。性別・国籍・育った環境が違っても人間ここまで同じ考えになるのか、となるような、血の繋がってない双子みたいだよねってお互いに言うような。歳も同じだし。

友達がなぜか海外へ次々と旅立っていくもしくは帰っていく星の下に生まれてる私は(日本にずっといる仲良しももちろんもちろんいる!!)、今まで何人の門出を見守ったかわからないんですなー。毎回毎回、寂しくなるなぁとは思うけれども、最終的に地球は一つだからね!イッツアスモールワールド!って送り出してきた。ましてやここ何年かの通信手段の発達(特にLINEとFacebook messenger)は本当に地球の距離をゼロにしたからね。時差さえクリアすれば家族と同じかそれ以上にコミュニケーションをとることだって可能になったし私はそれに今までどれだけ助けられてきたかわからないんですよ。

 

のに。

 

今回はなぜかダメだったんですよ。私の心がついてこなかった。やっとリカバリーしてきたけどなんだか心にはまだすっぽり穴が開いてる気分。だからなんでダメなのか分析したんですね。私とこの双子の弟は分析グセが酷いところも一緒なんだ、そう言えば。気になったことは考えたくなくても考えてしまうこの性分(でも気にならないことは全くもってスルーする)。そして考えるスピードに自分の口がついていけなくて、どんなにマックスフルスピードの早口で喋っても足りないあの感覚。嬉しいことも楽しいことも心の底から怒ったことも涙したことも全部なぜか理解しあえたんですよね。もちろん日々の出来事を全て伝えるなんてことはないよ、だって大人だしそもそもそんなこと必要ないし。飲みに行くのだって多くて月一回、ふつうは数か月に一回だったですし。

恋とか煩悩とかの理由(下心)がある時、人は相手を理解しようとか理解したと思ったり、逆に理解してもらったって思ったりしがちで、でもそれってそう思い込んでるだけで実際には思ったほど自分のことは伝わってなかったり相手のことをわかってなかったりとかすると思うのですが、この双子弟とはほんとおおおおおに下心はまったくなく、かといって努力をして分かり合おうとするわけでもなく、息をするようにしてお互いの考えが理解できたんですよ。だから話してる最中でも「はいはいはいはいわかるよ。」ってなって、相手の話の結論まで聞いてないのにその聞いてないけどわかってしまった結論を踏まえた話をフライングで話し始めちゃったりするんだけどお互いにそうだからまったく気にならなかったり(そうじゃなかったらただの感じ悪い人ですね笑)。なにかが起こった時に瞬時にプランA・B・Cぐらいまで考えちゃうところとかでも脳みそのCPUがオーバーヒートして電源落ちちゃうと何にも考えられなくなるところまで一緒だった。人としての性質が本当にそっくりで、話がとにかく止まらなかったんですよ、話が。

 

そんな片割れが旅立ちまして、私は、彼は私にとって双子の弟であって、かつ、灯台だったんだな。と気付いたんですよね。

 

私は生粋の日本人なのだけど、いつもこの国にハマりきれないでいるんですよねどこか。小さい時は何にも考えずにやりたいようにやっていて(そりゃそうだ子供だし)、たぶんほんとに何にも考えなかったから自分がみんなと違うことをやってしまった時に何が起こるかなんてことは気にもしてない、そんな子供だったんですよ。それがいつからか、大人に近づいていくにつれ「こうするべき」「こうしなさい」の壁にぶつかり、ぶつかりまくり、満身創痍の身体で、いつのまにか自分のやりたいこととやるべきことのギャップを計算し、最も労力が少なく進む方法を考えるような大人になっていたんですよね。一概にそれがいいことなのか悪いことなのかわからないけど。大人になってからも、おかしいなぁ一時は離れていたとはいえ自分が生まれ育った国なのにどうしてなんかハマりきれないんだろう、といつも思っていたし今でも思う。毎日思う。でも、きっとこの国ではみんなそう思っているんだと思う。だってみんな一人ひとり違うじゃん。なのに「みんなで同じ」がいいといまだに学校で教えられているこの国。会社なんて入ったらその無言の圧力はもっとある。私はあえてそこに大きな反旗を翻していこうとは思わないし、自分は自分のやりたいようにしつつ日々なるべく平穏に要領よく生きたいと思っているんですよ。そしてどこにもハマらなくても大して困ることはない、と思えるだけの経験を経てきたことで、私は自分の唯一無二の人生を純粋に愛するようになったしそれやそれに対する愛を理解してもらえない人に理解してもらおうと思わない、「良い諦め」、を手に入れたんですよ。それからは本当に日々楽しいんですよね。

でもね、やっぱり見えないふりをしている小さな小さな居心地の悪さというのはあって、それは少しづつ気付かないうちに細かい塵のように心に積もっていくんですよ。最初は見えなかった塵なのにいつの間にかそこに積もって、そして心から輝きを少しだけ奪っていく。まるで毎日使うお気に入りのグラスがいつの間にか曇ってしまっているような。

 

双子弟はそんな私の小さな居心地の悪さに気づいて、

「あんたはなんにもおかしくないよ。居心地悪く思う必要ないんだよ、みんなと一緒にいなきゃいけないとかみんなと同じでなきゃいけないなんて全くないし今の自分を人に合わせる必要なんて本当に全くない。あんたはそのままでいいんだ。どこもおかしくなんてない、そうじゃなくて日本におかしいところがたくさんあるんだよ。どこの国にもおかしいところはたくさんあるけど、日本はおかしいと思ったことを誰も簡単には言わないし変えようとしないだけ。日本は本当にいい国だし俺は日本が大好きだけど、すべてが正しい国なわけじゃないよ。だからJust fuck it!」

って言ってくれてたんですよ常々。(こんなこと、異性から言われたらふつうその人のこと好きになっちゃいますよね。ていうか私はなる。でも、これを言ったのは双子の弟だったから全くならなかった笑)

 

外見が「外国人」だとこの国ではいろいろ区別されることも多いけど、でもそれは「みんなと一緒」を求められない分とても楽だったりすると双子弟は言っていたし私もそれはよく見る光景だと思う。逆に外見が「日本人」もっと言えば「アジア人」だとこの国では「みんなと同じ」が求められる。誤解しないでいただきたいが私は日本の文化を愛しているし、「行間を読む」という日本人が身に着けている超能力のような力こそが繊細で優美な日本文化を作ったと思っているんですよ。だけど、たまに「みんなと同じ」の荒波に私は沈没しそうになる。そんな時、私はいつも灯台の光に向かって船を進めていた。そこに行けば必ずある、「そのままでいい」という絶対に変わらない彼の言葉を求めて。一緒にビールを飲んで、でもビール飲む暇もないくらい話し通して嫌なことも楽しいことも笑い飛ばしてしまえばまた次の日から私は「社会の荒波」へ航海に出ることができていた。

 

もちろんこれからも私は私の双子の弟と、笑っちゃうぐらいムカついた出来事とか、素敵な報告とか、かと言えば真面目に国際政治のこととか、たくさん話すんだと思う。現代技術の発展のおかげで。

 

だけど、やっぱり、お互いの顔を見ながら、大好きなビールがぬるくなっちゃうぐらいにたくさんくだらないこともまじめなことも話をするのと、携帯の画面で話をするのは違うんだろうな。と気付いてしまっているんですよね。私の中に音もなく溜まっていく塵を、これからは自分でお掃除をしてきれいに捨てなきゃいけないし、双子弟も自分で自分に溜まった塵をお掃除しなきゃいけない。でもたぶん大丈夫。話を聞いてくれる家族も素敵な友達もいる。それは双子弟も同じ。私の心の中に今ぽっかりあいている穴は私が自分で自分の心の掃除を上手くできるようになっていくにつれ、小さくなって埋まっていくんだと思うんですよ(埋まってしまうまでは、その穴から私の塵を捨ててしまうのに使おうと思う)。

 

それに、海をこえて十何時間飛行機に乗れば、双子くんには会える。用事がなかったら一生行かないような場所だけど、私は多分会いに行って、今度は彼の家族とみんなでビールを飲むんだと思う。数百年前には海外に行くのは生死の覚悟をもってするようなことだったんだ、って思えばなんて素敵な世の中になったんでしょうね!

 

家族みたいな関係なので、旅立つ前に最後飲みに行ったときも「じゃあ、双子の弟よ、元気でね、またね」ってあっさりした挨拶でした。だって恥ずかしいし。だから彼には読めないだろうこの長ったらしい文章は、素晴らしい友情を共に築いてきたそしてこれからも築いていく、

 

 

私の双子の弟へ。