One Of A Kind

ツイッターには長すぎるつぶやき、感想とか。エンタメ系はなるべくネタバレはしないことを信条にしてます。

『ちょうどいいブス』はいらない、いつも心にデビ夫人を。

昨日から日本人女性(少なくとも私の周りの)の脳内にこびりついて離れない

『ちょうどいいブス』

というワード。昨日、止まらない思いをエントリー↓にしたためたわけなんですが

 

oneofakind.hatenablog.com

 

昨日一連のツイートをした時と上の記事を書いていた時にずっと頭にあった話がありまして。

 

それはアメリカ人歌手のアリアナ・グランデが朝の情報番組(『ちょうどいいブスのススメ』を放映する日テレの『スッキリ』)でお笑い芸人の春菜と共演した時のことなんです。春菜の鉄板ネタの

マイケル・ムーア監督じゃねーよ!シュレックじゃねーよ!」

っていうネタを司会の加藤浩二と一緒にアリアナにやったんですね。日本だったらみんなが知っているこのネタ。そして大体みんなが笑うやつ。これを、アリアナ・グランデは何が面白いのかまったく理解できてない様子で全然ほんとに笑わなかったんですよ。途中でたぶんほんとにわからなさすぎてアメリカ人がわからない時によくやる両手を上にあげながら肩をすくめるポーズ(ちびまるこちゃんの花輪君がやるやつね)までして、

「あなたは『カワイイ』わ!」

って言っていて、本当に本当に何が面白いのかわかっていなかったんですよ。

私、これ、リアルタイムで見ていたのでゲストで来てくれた大物歌手が笑ってくれなくて現場がちょっと焦ってるのが伝わってきてたんですよね。春菜は困った顔をしていた。で、後から分かったのはアリアナ・グランデはCM中に春菜に対して

「あなたは本当にマイケル・ムーアに似てない。私が約束する」

って声をかけたらしいということ。詳しくはこちらの記事を読んでください↓

 

www.excite.co.jp

 

この話を最初に知った時、

 

日本の常識、世界の非常識。

 

っていう言葉が浮かんだんですよね。こういうこというと海外かぶれとか言われるんでしょうけど、島国日本の価値観や常識は世界で通じないことがたくさんある。それはいい。別にいい。だってどの国だって独特の文化があって中には日本人の私たちには理解できないこともたくさんあるから。だけど、時代というのは常に前に進んで変わっていくものであって、時代は変わっていくのに自分は変わらない、っていうことは退化でしかないと思う。そして今の日本はそれが平然と行われていると思う。

 

常識・非常識、でいうと、私は女子高育ちなのですが、同じように

 

うちの高校の常識は世間の非常識

 

って言われてたんですよ。女しかいない世界でのびのびと育ったから、男性を意識することがなかったんですね。大学に入って家族以外の男性と日々接するようになって初めて、共学育ちの女子たちと違って色恋沙汰の際に「男に媚びる」方法を知らない自分に愕然としたんですよ。今思えばそんな媚び売る必要なんてそもそもないんだけどさ。18歳とかだしさ、当時。それでも、その時の論点はあくまでも一人対一人の話だったんですよ。

 

その後社会人になると、

上司というものは概して男性で、社会人だから上司の言うことには従わなくてはいけなくて、でも上にいる人が男性だらけだから女性の価値観は全く無視されて、女性の価値観は理解できない人たちだから女性は上に上がることもとても難しい、

というのを目の当たりにしたんです。

 

勉強ができる、歌が上手い、走るのが早い、絵がうまい、とか、純粋にその人そのものが持つ資質のみで人は「この人はこういう人」というキャラクターづけされるのが当然だと小さな時から疑いもせず思っていた私には、男と女、という性別があるだけでその定義づけや世界がまるで変わる、そもそもの出だしの待遇が違うっていうことがある、という事実に動けなくなるぐらいにショックだったんです。

 

今の世の中には、たくさんの『違い』がある。性別だけじゃない。国籍・宗教・文化…。本当にたくさんの『違い』がある。『違い』は全くもって悪いことではない。私は『差別』というのは相手の立場や状況を考えないで自分の考えを押し付けることだと思っていて、『違い』がもとで『差別』することは悪いことだしあっちゃいけないと思ってます。

これ絶対。

 

で、今回は自分が女だから、『ちょうどいいブス』の押し付けに対してキーキー言ってますけど、逆もあるからね。男性に女性が押し付けてることたくさんあると思う。たとえば男の人は男らしくたくましく頼りがいがあるのがいい!っていう概念を無意識に押し付けてしまっているかもしれない。それに苦しんでいるけど声を上げられない男性がいるかもしれない。

 

ただ、女性に押し付けられる男性世界の価値観が話題に上ることが多いのはやっぱり今の社会が(未だ世界中で程度の差はあれ)男性主導社会だからなんですよ。女性やその他のマイノリティが権利を主張するのは本来持つべき権利を持ってないからなんだよね。そして平等な権利を主張する女性の活動や言動に対してネガティブな批評がされたりするのは、今いい立場にいる男性(の大部分)が、自分の立場が今と変わってしまうことに恐怖を感じているからなのでは?『ちょうどいいブス』なら男性に恐怖は与えないから彼らは女性に『ちょうどいいブス』をもとめるのでは?

 

さらに怖いのは価値観を押し付けられている女性そのものがその押し付けられた価値観を正しいと思い込んでしまっていること。

 

要するに洗脳されてるんじゃなかろうか。

 

男も女も一緒の人間なのに「女は一歩引いて男を立てるべき」とか自分で思い込んじゃってないでしょうか?「男性を立てる」価値観が正しいんではなくて「相手を立てる」価値観が美しいんだと思うんです。だけどたぶん私たち日本人女性は武士の国日本の女性だから、男性を立てる=相手を立てる=正しいっていつの間にかずれてしまった価値観を正しいと思い込んでないだろうか?

 

だから、男性は女性に何かを押し付けるべきではないし、女性は男性に何かを押し付けるべきではない。男性は女性に押し付けられた何かを甘んじて受ける必要もないし、女性は男性に押し付けられた何かを甘んじて受ける必要はない、そもそも人に何かを押し付けないほうがいいよ、と、私は思う。

男性とか女性じゃなくて、一人の人間として相手と向かい合うべきなのでは。

そしてその集合体が、社会なのかなって。

男も女もおんなじ人間ってことを心から理解することが大切なんだと思うんですよね。

 

 

だから、私たち日本人女性が自分でできることって、まずは自分は尊敬をもって扱われるべき人間であり、『ちょうどいいブス』ってちょうどいいんじゃない?なんて言われたらそんなやつとはスパッと縁を切ることだと思います。自分をきちんと扱ってくれない人や集団と付き合う必要ないでしょ。どうしても縁が切れないのであれば

「え?ちょうどいいブス?この私を捕まえてちょうどいいブス?オホホホホ!面白い冗談ですこと~~!」

って、心にデビ夫人(叶姉妹でも夏木マリ様でもお好みでお好きな方を)を降臨させませんか?

『ちょうどいいブス』という概念を押し付けられる私たち

(人物名敬称略させていただいております)

山崎ケイの『ちょうどいいブスのススメ』が2019年1月期にドラマ化とのことですね。

nlab.itmedia.co.jp

主演が夏菜なので「ブスじゃないじゃん!」って方向に騒がしくなってるのもありますが、私がこのドラマ化を聞いた時に最初に思ったのは

 

おいおい日本のキー局は『ちょうどいいブス』コンセプトを女に押し付けるんか!

 

でした(文字サイズと文字色は私の心の現れです)。

(ちょっとそれますけど夏菜さんが主演であることに関して言えば、「美人でしかない夏菜が自分をブスに見せるのが女優であって美人でしかない夏菜が美人にしか見えなかったらそれは夏菜の力不足だ」と思っております。シャーリズ・セロンの「モンスター」を見てくれ。)

 

ツイッターでも言いましたけど、私、山崎ケイさんかなり好きで飲みに行ったらめちゃくちゃ仲良くなれそうな予感しかないんだけど、それはあくまでも

 

山崎ケイという頭のいい女性がモテようとして自分をマーケティングした結果『ちょうどいいブス』という絶妙なブルーオーシャンを見つけたからそこにはまるために自分を磨いて自分のアイデンティティとして誇りを持ってお笑い芸人をやっている(現実世界でも芸人としての売りとしても)”

 

から面白いんであって、ドラマ化反対っていうわけではなく、その山崎ケイの『ちょうどいいブス』をドラマ化するって時に『ちょうどいいブス』というキャッチーなフレーズ部分のみをテンプレ化して不特定多数の女性にあてはめようとしているように見えてしまうから「え????」ってなってしまってるのが現状なんですよね。

 

だって、公式サイトに

www.ytv.co.jp

 

女性としての「生き方指南・共感ラブコメディー」をお届けします…ってあるんだよ…。生き方指南…。

 

絶対男性主導で企画進んでるんだろうな、と思って公式サイト見たら、チーフプロデューサーは当然男性、プロデューサーも4人中3人が男性で唯一の女性は1番下。監督も男性。脚本は女性。

見える…見えるよ、女性も参加してるんだから女性の意見も取り入れて作られたドラマだよ!ちゃんと原作は女性だし脚本も女性だぜ!という思考が透けて見える。あくまでもすべて私の想像というか推測なので本当は違うかもしれない。

 

でも、山崎ケイが自分のアイデンティティとして「私はこうなんだ」、っていってやるから『ちょうどいいブス』は賛同を得て本を出すまでになったのであって、自分が『ちょうどいいブス』になる『生き方指南』受けたいですか?

 

私は受けたくない。

 

自分がプロデューサーだったら、世の中に『ちょうどいいブス』って自分たちが思えるように女性に生き方指南してやろうぜ!ドラマ作ろうぜ!ってなる?

 

私はならない。

 

山崎ケイの本を読んで彼女の考え方を知りたいとは思うけどさ(彼女がオリジナルでたどり着いたその思考経路は面白いと思うから)。

 

今回の『ちょうどいいブス』は山崎ケイが生み出したコンセプトではあるし、そのマーケティングができて『ちょうどいいブス』というキャッチーなフレーズを生み出した山崎ケイは本当に頭がいい女性だと思う。彼女がそのコンセプトで生きていくのはあっぱれ!って思う。

 

ただ、本は読んだことないんですけどテレビやネットで彼女の発言や行動を見ていると、彼女は『ちょうどいいブス』だから成功したわけでも人気があるわけでもないよね。観察する限りとても気遣いのできて人のほしいものを見抜く力がある頭のいい女性だから、成功したし人気があるんだと思うんですよね。原作本読んでないからそっちはモテテクのオンパレードなのかもしれないのですが。

 

だから、『ちょうどいいブス』という言葉だけが今話題になって独り歩きしている感じがあるけど(自分もこの言葉に黙っていられなくてこのエントリー書いてるわけだけど)、ドラマが始まったらすごく素敵なドラマになるかもしれない。そこはまだ未知数だと思ってます。

 

まあ、少なくとも1話目は見よう、って思ったから番組マーケティング的には大成功だよね笑(面白くなかったらバッサリやめるけど)

 

素敵なドラマになることを願っております。

 

そしていつか本当に山崎ケイさんと飲んでみたい。

 

 

 

二者択一ポイント制

自分の中でなんとなくもやもやしていたことがちょっとだけすっきりしたのでちょっと備忘録程度に書きとめます。

 

よく考えれば非常に簡単な話なんですが、人の性格とか個性って『二者択一』の連続と積み重ねでできていますよね(まあ2つ以上の選択肢があるシーンもあるけど、それも優先順位が低いところから2つづつ選択を重ねると考えればある種の二者択一だし)。

そしてこの『二者択一』はたぶん人の行動思考すべてについてまわる。たとえば、ちょっと風邪気味の日に大事を取って休むのか無理をして会社に行くのか。予算より1000円高いけど好物のランチを食べるのかそれとも予算に収まるようにするのか。気になるあの人にメールするのかしないのか。自分が生きる1分1秒、すべてが選択の連続でできていて、その選択が自分を構成している。

そしてこの『二者択一』、自分のことだけじゃなくてすべての対人関係に対しても言えるなって思ったんですよね。長年生きていると自分にとって「話の合う人間・合わない人間」「趣味の合う人間・合わない人間」「感性の合う人間・合わない人間」のような様々な『二者択一』が人間関係で出てくると思う。そしてたとえば、「話が合う」ひとつとってもそれが仕事の話なのかプライベートの話なのか、じゃあプライベートの過ごし方となったらアクティブに過ごしたいのかおうちでのんびり過ごしたいのか、おうちでのんびり過ごすとしたら、となったら一日ゲームをしたいのか料理をしてお酒飲んでのんびりしたいのか、等々どんどんと細分化もされるし。そしてこの気の遠くなるような『二者択一』のかけ合わせによって人間関係やら相性が出来上がる。

 

で、みなさん、この『二者択一』ってどんなふうにできてるのか考えたことありました?私はなかった。私はこのことが頭に浮かんで自分のケースで考えているとき、これは私だけかもしれないのですが、この『二者択一』が加点法・減点法ともに適用されるポイント制みたいになっているな、と感じたんですよね。これ、すごいドライだな、と思いますが同時にとってもシンプルでわかりやすいなって。

0点を基準点として、二者択一の選択が自分と合う(=受け入れられる)部分はプラスに加点され、合わない部分はマイナスとして減点されていくんですよね。で、マイナス〇〇点未満になるとちょっと分かり合えなさすぎて友達にはなれないな、とかプラス〇〇点以上行くと物理的には年に1回も会えないような人でも生涯の友だな、って思える、とか。

自分の中の基準点として持つマイナス〇〇点未満、の〇〇点が低ければ低いほどたぶんその人は比較的どんな人とも仲良くできるし、プラス〇〇点が高ければ高いほど「知り合い」レベルの人が周りに多い(=友達が少ない)のかもしれない。

別に好きな人が多いのがいいこと、とか嫌いな人が多いから嫌な奴、とかいう話でもないと思うし、でもこのルールを自分に当てはめて考えたときに結構面白いなって思いまして。

この『二者択一』の答えがどちらであっても気にならないような要するに「自分にとってどうでもいいこと」に関しては自分はどうでもいいから人に合わせられるけど、逆にものすごくクリティカルな『二者択一』もあって、そういう時は一つの選択肢が自分と違うとそれだけで分かり合えなかったりしてしまう、というようなこれだけは譲れないという絶対ルールが人それぞれあるんですよね。

そしてその譲れない部分、こそがその人のアイデンティティなんだなあ、と。

 

 

という感じで、人間の個性っていろんな測り方があると思ったのですがこの『二者択一』方式のかけ合わせと譲れないポイントはなかなか奥が深いなーと思いました。

 

 というわけで、特に落ちはありません!

Hikaru Utada Laughter in the Dark tour 2018

宇多田ヒカルのライブ「Laughter in the dark」初日に行ってきました。

時間をかけて推敲して書こうとするとと昨日感じたことがどんどんFade outしてしまいそうなので熱いうちに書き殴ります。

 

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休止期間明け最初のライブ。過去の彼女のライブに参加したことはないので私にとっては初めての宇多田ヒカルの生の歌と空間。

青春時代宇多田ヒカルで育ったようなものなのでたぶん知らない曲はないと思うし、だからどの曲を聞いてもビビットにそのころの思い出がぶわ!っと思い浮かぶ。若いころの曲も深いけど、最近の楽曲はどんどん哲学みが増してきているなあと思うし、個人的にはもう宇多田ヒカルって輪廻転生の最終ステージなんじゃないか?と思ってます。

とりあえず簡単に言えばめちゃくちゃ大好きなアーティスト。本当に楽しみに横浜アリーナへと向かいました。

 

これからライブに参加する人が大勢いるのでまずネタバレをしない程度の感想を言おうとすると、ほんとに、宇多田ヒカルすごい…」「エモすぎてなんにも言えない」としか口から出てこなくなります(昨晩の私)

 

今まで数えきれないほど、ウォークマンの、そしてiPhoneのイヤホン越しに、家のスピーカーで、街中の有線越しで聞いていた宇多田ヒカル。その歌は何度も何度も何度も何度も聞いていて頭に入っているし理解してるしその深さに時には涙させられることも多々あった。私は宇多田ヒカルと言う音楽家が作る世界が大好きだ!…と、思っていました。でも、昨日ライブに行き、彼女が自分の身体を使って発するその「音」を彼女の存在している空間で生で聞いたら、大げさではなく世界が一段上がった気がしました。開けたというか。今までは聞こえてるだけ文字を理解しているだけで「わかっている気がしていたんだ」、と思わされたというか…。それぐらい宇多田ヒカルの生の歌声はすごかった。

 

例えるならば、今までは美術館で展示された展示品をガラス越しに見て、イヤホンガイドで解説を聞き、ギフトショップでレプリカを買ってその展示品を「わかった」気になっていた。けど、その展示品を守っているガラスをぶち破り、直接手に触れてその質感や重みや匂いを自分の体で感じたら本当にその展示品を理解できた、そんな気持ちになりました。

どんなに恋についての小説を読んで胸が高まる想いや死にたくなるぐらい切ない思いを疑似体験しても、本当に人間相手に恋をすることにはかなわないのと一緒というか。

 

ライブで生で歌声を聴くと言うことは音源から聞くのとまるで違うと言うことは今まで自分が行ったことがある好きなアーティストのコンサートで体験してきましたが、今までの体験とは桁が違った。宇多田ヒカルが彼女の身体を使って奏でる音が、私の身体の中に入ってきて染みわたる感覚とでも言えばいいのでしょうか。ぶっちゃけ宗教じみていたかもしれない笑。

 

これはたぶん私がデビュー当時からの彼女のファンであり、エンターテイナー、アーティスト、音楽家としての宇多田ヒカルのみならず、哲学家なのではなかろうかと思わせる彼女の広く深い歌詞に魅了されているせいももちろんあると思います。現に私の隣にいたカップルは男性が宇多田ヒカルファンで女性は連れてこられた、って感じだったので女性の感想は「生でも歌うまいね~ヒカルちゃんかわいいね~」って感じだったので。すいませんその横でボロボロ泣いてしまってほんとすいませんすいませんすいません。

 

あと、話がずれますが、そして上でも少し書きましたが、宇多田ヒカルが歌うのを見るといつも思っていたことがあって。彼女、自分の身体を楽器として扱っている感じを受けるんですよね。そしてライブに参加してさらにその感覚が強くなりました。普通の歌手の方を見ているときは歌ってる本人とその体は元から一つなので歌っている時もその人が歌っているって言う感じが当然するんですけど、なんというか、そうではなくて、宇多田ヒカルが『宇多田ヒカルというフィジカルの意味での身体』を演奏しているというか。そして宇多田ヒカルという人間は決して枯渇することのなくわき続ける何かをいつもその体の中にあふれさせていて、それを文字にし音楽にのせて身体を使って奏でているというか。うまく言えないんですけど…。

それを昨日のライブで強く感じたシーンがあったんですけど(これはプランされたものではないだろうからネタバレとは違うと思うので書きますが)、実は宇多田さん昨日一回歌い出しで間違えてしまって初めから歌いなおす、という場面があったんですね。ちなみに「間違えちゃった!」ってなったときの宇多田さんはとってもかわいかったです。宇多田ヒカルの歌の中でもとてもシリアスでディープな歌だったのですが、「間違えちゃった!ごめん!」ととってもかわいく謝って「やりなおしやりなおし!」となったその瞬間ほんとに一瞬でスッ!っとチューニングして歌いだした感じがまるで楽器を操るようだったんですよね、見ていて。 もちろんどんな歌手の人もプロであれば間違えてしまった時のリカバリーって瞬時でするものだと思うのですが、宇多田ヒカルを見ている時に感じる、その、身体を操っている感じ、に私は彼女の神秘性を感じて引き込まれてしまうんですよね。

 

宇多田さん、合間合間のトークをする様子がとても可愛くて、「ありがとうって言う言葉しか思い浮かばない」と何度も言っていたのが印象的でとても可愛かったんですけど(そしてそのたびにそれはこっちのセリフだよって思ってたんですけど)、彼女って歌っている時のなんか上の世界とつながってるんじゃないかな?って言うぐらいの存在感と、話している時の「普通の女子」感のギャップがとても魅力的だなあと思います。なんていうか、天才過ぎて、いつまでたってもいくつになっても人間として生きることに不器用な感じがする。だけどだからこそ彼女しか見えない世界があって生まれる言葉の数々があるんだろうな、と。

 

ちなみに宇多田ヒカルの考えでは絶望の反対語はユーモア、らしく、これは過去のTwitterとかインタビューでも言っていたそうで、今回のツアーでもそのテーマがベースに流れていたのはわかりました。ユーモアって客観の視点をもって初めて生まれるもののわけで、絶望の嵐の中にいるときに自分を客観視することはただでさえとても難しい。でもだからこそ、絶望の中でもユーモアを持つというのは生きていくうえでとても大切なことだと思うしそのテーマが彼女の楽曲のそこかしこに見えることを改めて感じました。

 

で、ツアー名の「Laughter in the Dark」って、ウラジーミル・ナボコフというロシア人の作家の小説の名前なんですね(「ロリータ」を書いた作家だそうです)。全く知らなかったので家に帰ってからどんな小説なのか調べてみたんですけど、なかなかダークな小説でした笑 宇多田さんはこの「Laughter in the Dark」をツアー名にするぐらい好きと言うことでしょうから、きっとこの小説の中に絶望とユーモアをみたんだろうな。プロットを読んだだけでは正直ユーモアが全く見つけられなかったので笑、機会があったらこの小説を読んでみたいなと思います。

日本語でプロットを書いてあるリンクを見つけられなかったので英語ですがWikipediaを張っておきます。ご興味のある方は読んでみてください!

Laughter in the Dark ↓

Laughter in the Dark (novel) - Wikipedia

 

 

とりあえず走り書きですが書いて少し興奮が収まりました!お読みいただきありがとうございます!

 

最後に、これからツアーに参加するラッキーな方々に言いたいのは、何にも考えないでツアーに参加できる喜びを味わってください。ってことです。ほんとに、ほんとに、パーフェクトですから!今回残念ながら落選した方、なんとなく、宇多田さんはこれからもずっとずっと歌い続けてくれるような気がするので、次を楽しみにしましょ!

言語で世界が広がるんじゃなくて世界を広げたいから言語がついてくる

本格的な秋になってきましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

突然ですが、「どうやったら英語を話せるようになるか」という質問をリアルでもツイッターでもよく受けるのですね。もともとの友人にも聞かれますが最近はTwitterで酔っ払いツイートをするためさらに…。

そんなわけで、私の周りには2言語以上話してる日本人及び外国人が結構多いので自分以外のサンプルも取ってみて、どうやったら英語を話せるようになるのか、を、少し考えてみようと思い周りを観察してみました。で、ネイティブレベルで外国語を使いこなすようになるための環境としては以下のようなものがあるのかなと思います。

 

  • 英語が母国語の国に住む
  • 英語が母国語の人とつきあう
  • 英語を仕事で使う
  • 英語を話す人に囲まれる(友人グループなど)
  • 英語を母国語とする人と友達になる

 

上から習得スピードが速いと私が感じる順です。

そして、私が思う言語習得に絶対必要な2つの柱は以下です。

 

①プレッシャー:英語が話せないと著しくQOL(Quality of life:生活の質)が下がってしまう!というプレッシャーが高ければ高いほど言語習得は早くなる

②モチベーション:その言語が使いこなせることによって得ることができる何かが起爆剤となり言語習得が爆速で早くなる

 

①のプレッシャーパターンとしては住む、仕事で使う、囲まれるがあるかと思います。やはり住むのは本当に強いと思います。何となくでいいので、気づいたら自分がいきなりニューヨークにいて、マンハッタンに住むことになったと想像してみてください(お金的なことは無視)。住む場所はどうしますか?アパートの契約なんてたぶん言葉が話せないとできないのでまずはとりあえず目についたホテルにチェックインすることとなりますよね。たぶんそれぐらいならできる。部屋に入り、ベッドに腰掛け頭を抱えながらこれからどうしたらいいか途方に暮れるあなた。そんな時でもお腹はすきます。便利な世の中ですのでコンビニエンスストアに行けば生きるために必要なものは大体手に入ります。マンハッタンってコンビニらしきもの少ないけど。が、セブンイレブンが、ローソンが、ファミマが、恋しくてあなたはきっと泣いてしまう。なぜならアメリカのコンビニ飯は本当にまずい。それでもあなたは仕方なく毎日ぱさぱさに乾いたパンにうっすいハムとチーズが申し訳程度に挟まれたサンドイッチを食べます。あと缶詰のスープとか。毎日そんな寂しいご飯を食べていたあなた。言葉もわからない日々。ストレスで体調を壊し救急病院に運ばれたら?体調の説明を求められたら?現代はスマホというものがありますので翻訳機能や辞書アプリ等を使ってある程度はやっていけますがあくまでも補助。人と人の間と書いて人間なわけで人間一人では生きていけませんから必ずコミュニケーションは必要になるかと思います。そうすると我々に備わった「火事場の馬鹿力」機能が起動します。そして生きていくために絶対的に必要な手段として英語を使いこなそうとなります。人の発する一語一句を逃さず聞き取ろうとし、わからない単語をその場で調べ、何とか知ってる言葉のみで自分のニーズを人に伝えようとします。恥ずかしいなんて感情はどこかに飛んでいきます。だってそんなことより生きていくことの方が大切だから。崖っぷちに立った人間は強いです。

 

②のモチベーションパターンとしてはつきあう、友達になる、があてはまると思うのですが、こっちも何となく想像してみてください。ランチを食べに出た昼休み、いつも入る喫茶店のパスタランチがお気に入りのあなたは今日もそれを食べようとお店へ。その日のパスタランチはほうれん草と海老のクリームソース。お気に入りの組み合わせです。気分よくSNSを見ながらパスタを待っていると隣の席にすらりと背の高い男性が座りました。注文の声が片言だったのでふと顔を見ると、え!何このイケメン?ブラピなの?いやどっちかっていうとライアン・ゴズリングなの?とあまりのかっこよさにボーっとしたあなたはうっかりグラスを倒してしまいます。彼のスーツにかかったセットメニューのクリームソーダ。よりによってクリームソーダ「す!すいません!」とあなたが言うと「It's OK, I'm fine. Don't worry about it」と言われます。とりあえず怒っていないっぽいことは彼の笑顔と態度でわかったもののあなたはとにかく申し訳なくて急いでハンカチで彼の高そうなスーツにかかってしまったクリームソーダを拭きます。「スーツのクリーニング代出させてください!本当にすいません!」と一生懸命謝るあなた。でも彼はあまりあなたの言葉を理解できないようです。「ダイジョブ」と言ってくれますがいやどう見ても大丈夫じゃない。あなたはお財布の中に入っていたお札を取り出しジェスチャーでいらないと言っている彼に無理やり持たせます。「(これでは足りないと思うので不足分は請求してください。その場合には大変お手数ですがこちらまでご連絡ください、って英語で言えない!)ううう、コールミー!」と名刺を渡し、恥ずかしさから嵐のようにお店を去ります。翌日、PCを立ち上げるとライアン・ゴズリングからメールが。図らずも「コールミー(電話して)」などと言ってしまったあなたにライアンは、心配する必要がないこと、またハンカチを返したいからランチをしましょう、と同僚に訳してもらったという日本語でメールをくれました。もしかして:恋の予感!となったら、どうします?英語話せるようになろうと必死で勉強すると思いません?だってあなた、ライアン・ゴスリングですよ?!

 

と言う感じで、英語を話すにはプレッシャーもしくはモチベーション、もしくはその両方が絶対に必要だと私は思います。 

 

私は留学前、読み書きに関しては大学受験レベル、聴き話しに関しては表面的な意思疎通はできるけどそれ以上のことになると笑ってごまかすレベルでした。そして①の生きるか死ぬかパターンで英語を身に着けその後②のモチベーションでさらに底上げをしたタイプです。

留学して2週間目に原因不明の高熱を出し日本から持って行った解熱剤で何とかしのいでいたものの食べ物を買いに行けず、1度しか会ったことのない日本人の知り合い(というか面識あるだけ…)に頼って生き延びたからです(海外に出ると日本人同士の助け合いは何よりありがたい。炊飯器借りたりしたなあ。)。人間高熱が出ている時にはただでさえ頭を使わないと話せないような言語は出て来ませんので、日本語が話せる人は天使に見えておりました。そして、ああ、この国で生きていくにはきちんと自分の状況を人に伝えられるようにならないといけない、と実感したわけです。そしてすっかり元気になり留学生活を過ごす中ローカルの友人や恋人もでき、「この人たちともっと話がしたい!」というモチベーションでさらに勉強を頑張りました。

 

 と、この『プレッシャー&モチベーション』が私の知っている最速で他言語を話せるようになる環境なのですが、世の中のほとんどの人はこんな状況にはなりませんよね。①であれば留学や駐在とかありますし、②であれば六本木にナンパされに行ったりネットで知り合ったりあるのかもしれませんが、そしてそれが一番早いのですが、そうそう都合よくもいかないですし日々仕事も生活もあるといろいろ難しい。

 

そこで、流暢に他言語を話す友人たちを観察した結果、上記2つ以外で高確率で見られた特徴がありましたのでシェアさせていただきます

 

 

推し活です。

(推し活:自分の好きな芸能人やアニメや漫画などをひたすら愛する活動)

 

  

 私の友人には、

  • GTOの漫画が好きすぎて英語版では飽き足らずオリジナル(日本語版)を購入して読みアニメ版も全部取り寄せ日本語がしゃべれるようになったアメリカ人
  •  流星の絆」というドラマをネットで見て、某嵐の二宮和也氏に一目ぼれをし、独学及び日本人の友人から日本語を勉強し2年間でペラペラになって日本に渡ってきたカナダ人(そして嵐仲間を作り彼女の日本語はさらに流暢に)
  • 韓国ドラマにハマりすぎて韓国人俳優にお熱になり新大久保に通いまくって韓国人の友達を増やし韓国語がペラペラになった日本人
  • とにかく日本のドラマが何でも好きすぎて休みのたびに日本に旅行に来て自国にいても日本のテレビばかり見ていて日本語がペラペラな香港人

など、計り知れない情熱をもって本気で推し活をして言語をマスターしている人が少なからずいるのですよね。

 これは、上で私があげている②のモチベーションパターンなのですが、恋人を作ったり友人を作ったりという、同じ言語を話す相手だとしても思い通りにならないことに、さらに他言語を話す相手を見つけるという条件を重ねるのは間違いなく条件達成の難易度をよりあげることとなる。だったら、一方的に情報を仕入れそれを思う存分満喫し愛することができる相手(芸能人・ドラマ・漫画等)を見つける方が早いし効率もいいですよね?!

 

私はまだあまり英語がわからない頃、ドラマ「24」を英語字幕で見なくてはいけなくなったことがありまして。その際自分でも驚くような驚異的な集中力を発揮してジャック・バウアーの言うことを理解しようとした結果、24時間を繰り返すごとに理解できる単語や文章が増えていくのが目に見えて分かりました。(ジャック・バウアーは大好きなキャラクターですが決して「推し」ではありませんでしたが…。)

 

これだけは間違いないと思っているのですが無理やり逃げ場のない状況に入れられない限り(①のパターン)、漠然と「他の国の言葉が話せるようになりたいな~」と思っていても話せるようになりずらいのではないかな、と思います。そうではなくて、知りたい世界がまずそこにあり、その世界とつながるための手段として言語が必要である、となって初めて人間は本気で言葉を勉強するのだと思います(②のパターン)。言語を知って世界が広がるのではなく、広げたい世界があるから言語が使えるようになるのではないかと。だから広げたい世界を見つけるのが一番手っ取り早いと思います。

 

もし仮にこの記事に対して反応があればもっと具体的な方法も書いてみようかなと思うんですが、そういうのって世の中にあふれてるから需要がなさそうなのでとりあえず今日はメンタリティのみご紹介させていただきました…。 

 

まあ、いろいろ書きましたが、「暇だから」ぐらいのノリで大した苦労もせずに3か月でフランス語マスターした、とか言う神に愛された天才の知り合いなどもいるので、この話は私のような凡人の話と思っていただければ幸いです。

星野源のアイデアを聴き人生について思ったこと

先に断わっておくが私は決して彼のファンではない。

 

ツイッタ-の相互フォロワーに1名ものすんごい星野源ファンがおり(そう、あなただよ)、しょっちゅう彼の名前と顔を見ているため「ああ、お向かいの星野さんとこのおにいちゃんね」ぐらいの感じの親しみと近しい距離感を勝手に感じてはいるが決してファンではないしましてや全然知り合いではない。

さらにいうと私の家族の女性メンバーは星野源が熱烈に好きで、歌番組に彼が出るときなどはファミリー女メンバーのグループラインで連絡が来るしヤツが歌いだすと「かわいい!」「かわいい!かわいい!」とラインが流れてくる。一緒に飲んだら絶対楽しそうだな、とは思うがかわいいはわからない。※もう一度言うが私は彼のファンではない。

 

そしてもっというと私は一般人が持ってる星野源の情報にちょっと毛が生えたぐらいしか持ち合わせていない。もちろん毛が生えた部分は上記の星野源ファンたちからの情報である。

 

以下、私が持っている星野源情報

 

  • 飛ぶ鳥落とす勢いで爆売れしてる
  • ラジオが下ネタ満載でめちゃくちゃ面白いらしい
  • 脳系の病気でほぼ死にかけたらしい
  • 笑いのセンスがかなりハイレベル
  • 歌うまい
  • 演技もうまい
  • 本も書いてる
  • 木琴みたいなやつ演奏する人らしい
  • 陰キャらしい

 

ぐらいのもんです。

 

そして私が彼を知ったのは世の中の多くの人と同じく彼が主演した「逃げるは恥だが役に立つ」の主題歌「恋」です。ドラマを観てたので、あ~なんか元気出る感じでいい歌だよね~ぐらいの感じでした。はやりすぎて聴きすぎて、ね、なに?ねえ、恋ってなに?何なの?聴きすぎてなんかちょっとゲシュタルト崩壊起こすんじゃないこれ?って感じには聴いてました(聴いてなくてもゲシュタルト崩壊起こしてる感は否めないが)。

 

その後のドラえもんは…まあいいや。歌の良し悪しではないんです。私、ドラえもんは大好きだけど大山のぶ代世代なんでちょっとドラえもんについて話し出すと核弾頭とか持ちだしそうな自分がいるのでやめときます。

 

で、今回の「アイデア」。

初めてフルで聴いた時に、1番と2番の歌詞の内容が陽と陰なのには「恋」と同じ流れを感じておおー星野源って物事とか世界の裏表みたいなのを知りたかったり表現したい人なんだな、と思ったんですが。

イデアで私が鳥肌立ちまくったのは、1番と2番でメロディが半音ずれる(っていうんですか?私音楽ド素人なのでどう表現するのが正しいのかわからないんですけど)ところなんですよね。

あの“音がずれる”ことで、「陽と陰」というのは「表と裏」じゃなくてほんの少しずれただけの隣同士なんだな、ってずどーーーーん!って来たんですよ。表裏だと背中合わせになるので、陽と陰はお互いが見えない。けどほんの少しだけずれてる隣同士って、見えるじゃないですか。それでもって普段生活してて自分が感じる陰と陽ってどちらも同時に見えるじゃないですか。ものすごく悲しい気持ちの時ってものすごく幸せだった時のことを思い出して(見て)余計悲しみでいっぱいになったりするし、本当に幸せで一杯の時って万が一それを失ったらっていう恐怖を感じてしまったりもするじゃないですか。

もっというと、生きていく中の陽と陰って表裏っていう1つづつしか存在しないものじゃなくて、ストライプみたいに重なってるものだな、って思ったんですよ。イデア聴いてて。いいことも悪いこともうれしいことも悲しいことも生きていれば波のようにどんどんやって来て重なっていくわけですよ。悲しいことに飲み込まれても絶対にそれはいつまでも続かないし、嬉しいことはなるべく長く続いて欲しいけどそこにあぐらをかいちゃいけないよ、って。

 

イデアの1番と2番のメロディのずれを身体で感じて私はそんなことに天啓のように(勝手に)気付いて星野源すごいな、って思ってたんです。

 

なんていうか、人生ってそういう感じに流れていくからさ、いろいろあるけどがんばっていこうぜ、って星野源は「アイデア」を通して、もっと言ったらたぶん彼の全ての作品を通してみんなに言いたいのかなって思ったり。

私は、がんばっていこう!って思えた。

 

で。

 

実は、今日、初めてフルでMV見たんです。

 

www.youtube.com

 

そしたら、なんか知らないけど、涙がぼろっぼろ出てきたんですよ。やっぱり案の定、1番から2番に移行するところで。

あかん、このMVはあかん。よすぎる。

ねえなんで?なんでなの?ほんとになんでなのかはわからないんですけど。このMVめちゃくちゃいいですね。

お葬式を連想させる衣装やセット、とかなんかもっと深い分析はいろんな人が書かれているので、何度も言いますが星野源は好きだけどファンではない私は書きません笑

 

とにかく、この「アイデア」という曲に刺激されたこの興奮を最初はツイッタ-に書きなぐろうと思ったんですけど非常に長くなりすぎて下書きがなんとも真っ赤になってしまったので、ブログに書きなぐりました。

多分私がこの曲を聴いて思ったことってみんな思うことなんだろうな!と思ったけどどうしても書きたかったので!

 

 

 

最後に。

 

北海道の地震での被災者の方々、そして関西の台風での被災者の方々に、1日でも早く元どおりの生活が戻りますように。

 

いつもと同じ一日が過ごせている方は良い夜を。

”オーシャンズ8”

やっと見れました、オーシャンズ8

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wwws.warnerbros.co.jp

この映画については情報公開になってビジュアル(↑)と予告編を見た時点で「たとえこれがどんなにつまらないと評判の映画となろうとも槍が降ろうと嵐が来ようと何があっても劇場に行く」と決めていたんですね。予告編だけでめちゃくちゃオシャレだしキャスト豪華だしなにより大好きなリアーナさまが出る!!!と。でも台風は来たけれど槍は降らなかったしめちゃくちゃ面白かった!

試しにツイッターで「オーシャンズ8」って検索してみてください。いろんな人の興奮コメントが見れて面白いです(ほぼ女性だった)。

 

そんなわけで私は大満足だったのですが、この映画の何がいいか簡単にまとめてみました(あくまでも私的)

 

オーシャンズシリーズが単純に好きだから

映画って色々あると思うんですよ。人生とは、みたいな深いことを考えてしまうようなものもあるし、モチベーションを上げてくれるものもあるし、何にも考えないで見られるコメディもあるし、女性ホルモン補充のために見たいようなラブロマンスもあるし。もしかしたらノンフィクションしか観ないような人にはこの映画は合わないと思う。でもそんな人もともとこれ見ようとしないでしょ?笑 で、このオーシャンズシリーズは「スピーディーでスタイリッシュでクールすぎるから観ているこっちまで最高にイケてるんじゃないかという気分にさせるポップコーンムービー」っていうのが過去作では一貫してましたよね。まあそりゃプロットがどれも似通ってて新鮮味が減ってくる、とか、2時間ちょっとの中で映画を成り立たせるために説明不足が多め、とかあると思うんですよ。でもって今回のオーシャンズ8でも同じような感じの意見がありましたよね。正直それは否めないと思いました。え、突然?どした?みたいになるところがなかったとは言えない笑 でもね、オーシャンズシリーズに関してはそんなのどうでもいいんですよ。とにかくスピーディーでスタイリッシュでクールっていう部分がこのシリーズのコアだから。それでもって種明かしのシーンでニヤリってなるのがお約束だから!

種明かしのニヤリ、ではないですが私が映画の中でめちゃくちゃ好きだったシーンの写真だけ貼っておきます。(アン・ハサウェイ氏のInstagramの投稿写真です)

映画観てる人なら、ニヤリ、するのではないでしょうか。

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②男いなくても全く問題ない感が最高

これは映画を観る前からツイッターでちょろちょろ流れてくる各所の感想で期待値を上げていた点なのですが、ラブロマンスではない映画で女が団体で「ちゃんと」主人公してる。無駄に力の入ってるわけではなくあくまでもナチュラルに「たまたま」女性が主役だったぐらいの感じで、反男尊女卑を声高に訴えるわけでもなく、頭が良くて能力の高い女性たちがチームを組んで盗みを計画実行する、という映画を作りました、と言う感じ。もちろん男性は出てくるし色恋沙汰がゼロとは言いませんが、監督は男性なのに完全に女目線でしか作られてないからすごいと思いました。と同時にラブロマンスではなく、女性が主体性をもって主人公の映画って少ないんだな、という事実に気づいてしまいましたね。もちろんありますよ、女性が主人公の素敵な映画はたっくさん!でもなんていうかこういう男の存在がうっすい映画、そんなになかった気がするの。そしてこういう作品がこの映画が発端となってこれからどんどん増えればいいな、と思いました。だって人口比率で考えたら男性主人公と女性主人公の映画は半分ずつでいいわけなので。逆に男性が主人公の超甘々ラブロマンス映画ももっと増えていいと思うし。

 

③キャストやばい

サンドラ・ブロック

スピードでブレイクしてその後コメディエンヌとして花開きましたが彼女は本当に演技がうまいと思うんですよ。私が一番好きな彼女の映画は「しあわせの隠れ場所(The Blind Side)」という実話に基づく映画。本当に泣かせます。って感じなのにたまにラジー賞とっちゃったりなんていうかとっ散らかってるアメリカの姐さん、って感じで昔から大好きなんです私。そして何より絶対に友達になりたいタイプなんですよ。完全無欠の性格の良さのぶりぶりっこな感じはゼロで、嫌な奴になんかされたらやり返すけどなにか?的な、日本人の古いタイプの男性には好かれなさそうな本当に(演技ではない)サバサバ感!そしてこの人どんな時でも肩に力が入ってないんですよねー。そんなサンドラがオーシャンズシリーズのダニー(ジョージ・クルーニー)の妹役で新生オーシャンズを結成するとかはまり役すぎて面白くないわけなくない?っていう。実際映画本編も完全にはまり役。はまりすぎて演技してるように見えなかった笑 

 

ケイト・ブランシェット

きれいな女優さんだなあ、いろいろ出てるよねー、米国SKⅡのスポークスマンしてたけど納得の白さだよねー、ぐらいのイメージしか正直なかったのですが!もうね観終わった後一緒に見てた人に「ねえ、ケイトイケメンすぎじゃない?ケイトイケメンすぎじゃない?」ってオウムのように言ってました、私。イケメンすぎて「抱いて!」しか感想が出てこない。この方こんなスタイリッシュな方だったの?!素敵。超素敵。お召し物も全て素敵。でもこれに関しては自分が着たいとかならないの。ケイトさまをひたすら崇めたいの。ってなる。もっと品行方正系の真面目キャラな人かと思ってたけど(いや役柄なのはわかってたけど)こんなおっとこまえだったとは!

 

リアーナ

大好き。ごめん好きすぎてなんにも言えない。めっちゃくちゃかっこいいしセクシーだしああああああああもう超クールなのに要所要所かわいいんですよ。それはまあ脚本がそうなってるんですけど、ご本尊のかわいさがにじみ出てるの。あと予告とかでも公開されてるからネタバレじゃないと思うけどリアーナさまのドレス姿はさすが!ってなります。圧巻。

 

アン・ハサウェイ

アン・ハサウェイはこの映画出て本当によかったと思う!会ったことなんてもちろんないし実際の彼女は知らないのですが、ハリウッドの嫌われぶりっ子が定着していたアンさん、この映画でそれを完全に逆手にとってやりたい放題やってた。たぶんこの映画でのアンさんが現実のアンさんに1番近いんじゃない?と思わせるほどの楽しそうな演技!いやー、わがまま女優っぷりとか、かわいいだけじゃないのよ、とかあんまりいうとネタバレになるから言えないけどとにかくこの映画で一番株を上げたのはアンさんじゃないかな?と個人的には思います。

 

ヘレナ・ボナム=カーター

癖のある役をやらせたらこの人の右に出る人はあんまりいないですよね。何をやってもヘレナ・ボナム=カーターなんだけど全部違う、みたいな。今回も絶妙な「一昔前の人感」がめちゃくちゃうまくて笑いました。

 

あとの3人、は、オーシャンズ11・12・13と同様まあサブクラスの扱いだな、と思ったのですがそれぞれきちんと役割はしっかりしていてうまくはまってるな、と思いました。(急に雑になったのはちょっとこの後飲みに行くからですごめんなさい、あとで時間できたら追記します)

 

 

と言う感じでめちゃくちゃ見に行ってよかったです。

 

ぶわーっと書いたのでさらさらっとした感想になってしまいましたが、女性の方はとりあえず深く考えずに観に行った方がいいと思います!できれば大きい劇場で!絶対テンションあがるよ?あと男性の方は女性と観に行ったらいいと思います。たぶん彼女は映画終了後ちょっとだけいい女になるのではないかと思います。

 

ちなみに、私はいくつか「本当にメンタルがどん底まで落ち込んだ時にただただ自分の気持ちを抱きしめてあやしてあげるために見るお薬映画」というのを持っているのですが、オーシャンズ8は最初の10分でこのお薬映画の仲間入り確定しました。なぜなら、ブルゾンちえみじゃないですが、この映画を観れば

「女に生まれて、よかった~~!」

と思えるからです。

 

それでは皆様よい週末を!