かさぶた

私の右手中指の爪、今先端部分3~4ミリ四方、ない笑

家を掃除していた時に何か棚の鋭利な部分にて削ってしまった(?)みたいでふと気づいたら激しく流血してた。

 

怪我に気付いた瞬間は出てくる血の量にびっくりし、その後、普段意識したことがなかったけれども右手中指がいかに日常生活で大切な役目を負っていたのかを知った。

 

キーボードを打つと響いて痛い。

シャンプーをしようとしても怖くて指先に力を入れられない。

朝お化粧しようとしたときに毎日自分が右手中指を使ってファンデーションを塗っていたことに気付く。仕方ないので人差し指にて作業をしようとするのだがなんかうまくいかない。

あと一番困ったのは地味に痛い。水にぬれるととくに痛い。手を洗ってて何回アメリカ人張りのリアクションをしたことか。

 

なので、防水の絆創膏で厳重に傷口部分を守り、さらに衝撃を与えないように(うっかりぶつけると激痛なので。そりゃそうだそりゃそうだ普段爪が守ってくれている肉が直接出てしまってるのだから)テープでぐるぐる巻きにして1週間ぐらい過ごした。

 

ある晩、ルーティーンと化していた絆創膏の付け替えをしようとそれを外すと、傷口の皮膚はまだちょっと出来立てで頼りないものの皮膚として独り立ちできるレベルに復活していた。そして、爪の根元には、小さなかさぶたができていた。どうやら爪がある部分がえぐれた時、その部分も傷つけていたみたいだ。爪が剥げるという派手な怪我にばかり目が行っていたがこちらも触ると痛かった。絆創膏をきつめに貼っていたのでそのせいでジンジンと痛むのかと思っていたけれど、どうやらこのかさぶたの部分が痛かったみたいだ。

 

なんだかよくわからないけど、その瞬間絆創膏はるのがいやになってしまって、私は、かさぶたができ、爪は一部かけたままでまだまだ見苦しい右手中指をそのままさらしておくことにした。

 

今までは厳重にばんそうこうに守られていた右手中指だったけど、恐る恐るキーボードを打ち、シャワーを浴び、お化粧をしているうちに、全く問題がなくなった。

 

「意外と(治りが)早かったな」と思っていると、今朝、かさぶたがまるまるぽろりととれた。かさぶたが取れた部分はいつも通りのきれいな皮膚に戻っていた。

 

「これで、爪がきれいに生えるまであとちょっと待てば元通りだな」と思ったのだけど、その時、これって失恋と似てるな。と思った。

 

失恋直後は今まで普通にあった(居た)存在がいなくなり、もうどうしていいかわからないぐらい心は痛み、傷つき、ただただそれを守ってあげることしかできない。過剰なぐらいに。

その後、少しづつ起こった事実を受け止め、それでもやはり痛む傷を傷を守りつつ日々を生きる。

そんなに簡単に復活はできないけど、毎日を生きているうちに少しづつ元の自分を思い出し、思い切って傷を認識して、隠すのをやめる。

まだまだ完全に忘れられなくても前に進んでいくと、ある日突然かさぶたがぽろりととれるように突然吹っ切る瞬間が来る。

まだ、完全には吹っ切れていない。

 

けど、たぶん大丈夫。

あとは毎日日々生きていれば、前に進めばいつの間にか何ともなくなっている。

 

きっと私の欠けている爪が気付いたら元通りになるように。

 

人間の心と体は、どっちも傷を治せるようにできている。

感情というもの

概して、女というのは感情的で、男というのはその部分に無頓着である。

というのが世の中の通説である、となっているよね。

 

特に私は、自分でもいやになるぐらい感情で行動基準が決まっているところがある。それでも仕事だったり人間関係だったりは、ある程度感情を制御できるし(でも人より少なめ)、私にはとんでもなくすぐれた直感があるので、大体変なことにはならないんだけど、、、。

 

恋愛は例外。

 

恋愛においては、感情の制御ができなくなる、及び、直感がいかれる(直感以上に好きという感情が勝るから直感が働かなくなる)のである。

だからこそ、私は恋愛の感情のすべてを余すことなく味わってこれたし、何よりその感情の海に身も心も浸かりきり、この世のものと思えないような極上の時間を味わえるのだと思う。(やったことないからわかんないけど)たぶんドラッグ決まってハイになってるのと変わらないと思う。脳から出てるなんちゃらホルモンがもう体中に駆け巡ってる感じ。よく、ドラマとかで妄想シーンでお花が咲き乱れたり天使が下りてきて祝福してくれたり、とかあるけど、ほんとああいうの見えちゃう。

が、ジェットコースターと一緒で、いつもとは言わないが極上の時間の後に地獄のようなときが訪れることも、ある。というか、素晴らしい恋愛であればあるほど別れが訪れればそれは地獄になる。

 

私の友人たち(きちんと深い付き合いをしている「友人」。「知り合い」ではない)は、私が恋に落ち体験する感情のジェットコースターを間近で見、ああ、この子、またやってるわ。と、至福の時間は見守り、地獄の時にはサポートしてくれる。私は多分友人全員をロブションにでも連れて行ってご馳走しなければいけないような気がする。それぐらい地獄タイムの私は彼女たちなしでは生きてすらいけない。パンチを受けすぎたボクサーのように、普段まったく運動しないくせにノリで富士山のぼっちゃったから山頂に着くころには生まれたての小鹿のように手足が震えちゃってる人のように、人の支えなしには立つことすらできないようになる。

大学時代の友人は、「私にはあんたほどの感情の起伏がないから、あんたのように感情の波線グラフのプラスマイナスが上下する人を見るとうらやましいと思う。私はなだらかな波線だけ。どちらも死ぬ時の感情の上下はプラスマイナスゼロなのかもしれない。けど、私は天にも昇る気分を知らないまま人生終わるのかもしれないと思うとなんだか少し悲しくなるよね。もちろんあんたの地獄の時間は見ているだけで絶対無理、と思うからどっちがいいのかはわからないけどね」と言っていた。

こんなに感情に振り回されなければ、私の恋愛はもっとうまくいっているんだろうな。と思ったことは数知れない。相手の感情を機敏に読み、瞬時に戦略を練って自分史上最強にかわいい自分をバンバン投げつけて相手の心を落とす!!!みたいな。

でも、それって楽しいんだろうか。幸せなんだろうか。たぶん人が恋愛にはまるのって、ドラッグ決まっちゃってるようなハイな幸せが最高だからだよね?結婚のために、とかそういう感情じゃなくて生きていくための損得のために恋愛しちゃったら、何のために生きてるのかわからなくなる。少なくとも私は。

いつも、友達にもう少し冷静になれ!と怒られる私に、落ち着く日は来るのかな。

いつか、私ももう恋愛ハイはいらないや、ってなるのかな。

そうなったら私は毎日を淡々と、幸せに生きるのだろうか。

わっかんないや。来たら来たで楽しむのかな。全く想像つかないけど。