One Of A Kind

ツイッターには長すぎるつぶやき、感想とか。エンタメ系はなるべくネタバレはしないことを信条にしてます。

Hikaru Utada Laughter in the Dark tour 2018

宇多田ヒカルのライブ「Laughter in the dark」初日に行ってきました。

時間をかけて推敲して書こうとするとと昨日感じたことがどんどんFade outしてしまいそうなので熱いうちに書き殴ります。

 

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休止期間明け最初のライブ。過去の彼女のライブに参加したことはないので私にとっては初めての宇多田ヒカルの生の歌と空間。

青春時代宇多田ヒカルで育ったようなものなのでたぶん知らない曲はないと思うし、だからどの曲を聞いてもビビットにそのころの思い出がぶわ!っと思い浮かぶ。若いころの曲も深いけど、最近の楽曲はどんどん哲学みが増してきているなあと思うし、個人的にはもう宇多田ヒカルって輪廻転生の最終ステージなんじゃないか?と思ってます。

とりあえず簡単に言えばめちゃくちゃ大好きなアーティスト。本当に楽しみに横浜アリーナへと向かいました。

 

これからライブに参加する人が大勢いるのでまずネタバレをしない程度の感想を言おうとすると、ほんとに、宇多田ヒカルすごい…」「エモすぎてなんにも言えない」としか口から出てこなくなります(昨晩の私)

 

今まで数えきれないほど、ウォークマンの、そしてiPhoneのイヤホン越しに、家のスピーカーで、街中の有線越しで聞いていた宇多田ヒカル。その歌は何度も何度も何度も何度も聞いていて頭に入っているし理解してるしその深さに時には涙させられることも多々あった。私は宇多田ヒカルと言う音楽家が作る世界が大好きだ!…と、思っていました。でも、昨日ライブに行き、彼女が自分の身体を使って発するその「音」を彼女の存在している空間で生で聞いたら、大げさではなく世界が一段上がった気がしました。開けたというか。今までは聞こえてるだけ文字を理解しているだけで「わかっている気がしていたんだ」、と思わされたというか…。それぐらい宇多田ヒカルの生の歌声はすごかった。

 

例えるならば、今までは美術館で展示された展示品をガラス越しに見て、イヤホンガイドで解説を聞き、ギフトショップでレプリカを買ってその展示品を「わかった」気になっていた。けど、その展示品を守っているガラスをぶち破り、直接手に触れてその質感や重みや匂いを自分の体で感じたら本当にその展示品を理解できた、そんな気持ちになりました。

どんなに恋についての小説を読んで胸が高まる想いや死にたくなるぐらい切ない思いを疑似体験しても、本当に人間相手に恋をすることにはかなわないのと一緒というか。

 

ライブで生で歌声を聴くと言うことは音源から聞くのとまるで違うと言うことは今まで自分が行ったことがある好きなアーティストのコンサートで体験してきましたが、今までの体験とは桁が違った。宇多田ヒカルが彼女の身体を使って奏でる音が、私の身体の中に入ってきて染みわたる感覚とでも言えばいいのでしょうか。ぶっちゃけ宗教じみていたかもしれない笑。

 

これはたぶん私がデビュー当時からの彼女のファンであり、エンターテイナー、アーティスト、音楽家としての宇多田ヒカルのみならず、哲学家なのではなかろうかと思わせる彼女の広く深い歌詞に魅了されているせいももちろんあると思います。現に私の隣にいたカップルは男性が宇多田ヒカルファンで女性は連れてこられた、って感じだったので女性の感想は「生でも歌うまいね~ヒカルちゃんかわいいね~」って感じだったので。すいませんその横でボロボロ泣いてしまってほんとすいませんすいませんすいません。

 

あと、話がずれますが、そして上でも少し書きましたが、宇多田ヒカルが歌うのを見るといつも思っていたことがあって。彼女、自分の身体を楽器として扱っている感じを受けるんですよね。そしてライブに参加してさらにその感覚が強くなりました。普通の歌手の方を見ているときは歌ってる本人とその体は元から一つなので歌っている時もその人が歌っているって言う感じが当然するんですけど、なんというか、そうではなくて、宇多田ヒカルが『宇多田ヒカルというフィジカルの意味での身体』を演奏しているというか。そして宇多田ヒカルという人間は決して枯渇することのなくわき続ける何かをいつもその体の中にあふれさせていて、それを文字にし音楽にのせて身体を使って奏でているというか。うまく言えないんですけど…。

それを昨日のライブで強く感じたシーンがあったんですけど(これはプランされたものではないだろうからネタバレとは違うと思うので書きますが)、実は宇多田さん昨日一回歌い出しで間違えてしまって初めから歌いなおす、という場面があったんですね。ちなみに「間違えちゃった!」ってなったときの宇多田さんはとってもかわいかったです。宇多田ヒカルの歌の中でもとてもシリアスでディープな歌だったのですが、「間違えちゃった!ごめん!」ととってもかわいく謝って「やりなおしやりなおし!」となったその瞬間ほんとに一瞬でスッ!っとチューニングして歌いだした感じがまるで楽器を操るようだったんですよね、見ていて。 もちろんどんな歌手の人もプロであれば間違えてしまった時のリカバリーって瞬時でするものだと思うのですが、宇多田ヒカルを見ている時に感じる、その、身体を操っている感じ、に私は彼女の神秘性を感じて引き込まれてしまうんですよね。

 

宇多田さん、合間合間のトークをする様子がとても可愛くて、「ありがとうって言う言葉しか思い浮かばない」と何度も言っていたのが印象的でとても可愛かったんですけど(そしてそのたびにそれはこっちのセリフだよって思ってたんですけど)、彼女って歌っている時のなんか上の世界とつながってるんじゃないかな?って言うぐらいの存在感と、話している時の「普通の女子」感のギャップがとても魅力的だなあと思います。なんていうか、天才過ぎて、いつまでたってもいくつになっても人間として生きることに不器用な感じがする。だけどだからこそ彼女しか見えない世界があって生まれる言葉の数々があるんだろうな、と。

 

ちなみに宇多田ヒカルの考えでは絶望の反対語はユーモア、らしく、これは過去のTwitterとかインタビューでも言っていたそうで、今回のツアーでもそのテーマがベースに流れていたのはわかりました。ユーモアって客観の視点をもって初めて生まれるもののわけで、絶望の嵐の中にいるときに自分を客観視することはただでさえとても難しい。でもだからこそ、絶望の中でもユーモアを持つというのは生きていくうえでとても大切なことだと思うしそのテーマが彼女の楽曲のそこかしこに見えることを改めて感じました。

 

で、ツアー名の「Laughter in the Dark」って、ウラジーミル・ナボコフというロシア人の作家の小説の名前なんですね(「ロリータ」を書いた作家だそうです)。全く知らなかったので家に帰ってからどんな小説なのか調べてみたんですけど、なかなかダークな小説でした笑 宇多田さんはこの「Laughter in the Dark」をツアー名にするぐらい好きと言うことでしょうから、きっとこの小説の中に絶望とユーモアをみたんだろうな。プロットを読んだだけでは正直ユーモアが全く見つけられなかったので笑、機会があったらこの小説を読んでみたいなと思います。

日本語でプロットを書いてあるリンクを見つけられなかったので英語ですがWikipediaを張っておきます。ご興味のある方は読んでみてください!

Laughter in the Dark ↓

Laughter in the Dark (novel) - Wikipedia

 

 

とりあえず走り書きですが書いて少し興奮が収まりました!お読みいただきありがとうございます!

 

最後に、これからツアーに参加するラッキーな方々に言いたいのは、何にも考えないでツアーに参加できる喜びを味わってください。ってことです。ほんとに、ほんとに、パーフェクトですから!今回残念ながら落選した方、なんとなく、宇多田さんはこれからもずっとずっと歌い続けてくれるような気がするので、次を楽しみにしましょ!

言語で世界が広がるんじゃなくて世界を広げたいから言語がついてくる

本格的な秋になってきましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

突然ですが、「どうやったら英語を話せるようになるか」という質問をリアルでもツイッターでもよく受けるのですね。もともとの友人にも聞かれますが最近はTwitterで酔っ払いツイートをするためさらに…。

※ちなみに私はネイティブじゃないのでそこんとこはあしからず。

 

そんなわけで、私の周りには2言語以上話してる日本人及び外国人が結構多いので自分以外のサンプルも取ってみて、どうやったら英語を話せるようになるのか、を、少し考えてみようと思い周りを観察してみました。で、ネイティブレベルで外国語を使いこなすようになるための環境としては以下のようなものがあるのかなと思います。

 

  • 英語が母国語の国に住む
  • 英語が母国語の人とつきあう
  • 英語を仕事で使う
  • 英語を話す人に囲まれる(友人グループなど)
  • 英語を母国語とする人と友達になる

 

上から習得スピードが速いと私が感じる順です。

そして、私が思う言語習得に絶対必要な2つの柱は以下です。

 

①プレッシャー:英語が話せないと著しくQOL(Quality of life:生活の質)が下がってしまう!というプレッシャーが高ければ高いほど言語習得は早くなる

②モチベーション:その言語が使いこなせることによって得ることができる何かが起爆剤となり言語習得が爆速で早くなる

 

①のプレッシャーパターンとしては住む、仕事で使う、囲まれるがあるかと思います。やはり住むのは本当に強いと思います。何となくでいいので、気づいたら自分がいきなりニューヨークにいて、マンハッタンに住むことになったと想像してみてください(お金的なことは無視)。住む場所はどうしますか?アパートの契約なんてたぶん言葉が話せないとできないのでまずはとりあえず目についたホテルにチェックインすることとなりますよね。たぶんそれぐらいならできる。部屋に入り、ベッドに腰掛け頭を抱えながらこれからどうしたらいいか途方に暮れるあなた。そんな時でもお腹はすきます。便利な世の中ですのでコンビニエンスストアに行けば生きるために必要なものは大体手に入ります。マンハッタンってコンビニらしきもの少ないけど。が、セブンイレブンが、ローソンが、ファミマが、恋しくてあなたはきっと泣いてしまう。なぜならアメリカのコンビニ飯は本当にまずい。それでもあなたは仕方なく毎日ぱさぱさに乾いたパンにうっすいハムとチーズが申し訳程度に挟まれたサンドイッチを食べます。あと缶詰のスープとか。毎日そんな寂しいご飯を食べていたあなた。言葉もわからない日々。ストレスで体調を壊し救急病院に運ばれたら?体調の説明を求められたら?現代はスマホというものがありますので翻訳機能や辞書アプリ等を使ってある程度はやっていけますがあくまでも補助。人と人の間と書いて人間なわけで人間一人では生きていけませんから必ずコミュニケーションは必要になるかと思います。そうすると我々に備わった「火事場の馬鹿力」機能が起動します。そして生きていくために絶対的に必要な手段として英語を使いこなそうとなります。人の発する一語一句を逃さず聞き取ろうとし、わからない単語をその場で調べ、何とか知ってる言葉のみで自分のニーズを人に伝えようとします。恥ずかしいなんて感情はどこかに飛んでいきます。だってそんなことより生きていくことの方が大切だから。崖っぷちに立った人間は強いです。

 

②のモチベーションパターンとしてはつきあう、友達になる、があてはまると思うのですが、こっちも何となく想像してみてください。ランチを食べに出た昼休み、いつも入る喫茶店のパスタランチがお気に入りのあなたは今日もそれを食べようとお店へ。その日のパスタランチはほうれん草と海老のクリームソース。お気に入りの組み合わせです。気分よくSNSを見ながらパスタを待っていると隣の席にすらりと背の高い男性が座りました。注文の声が片言だったのでふと顔を見ると、え!何このイケメン?ブラピなの?いやどっちかっていうとライアン・ゴズリングなの?とあまりのかっこよさにボーっとしたあなたはうっかりグラスを倒してしまいます。彼のスーツにかかったセットメニューのクリームソーダ。よりによってクリームソーダ「す!すいません!」とあなたが言うと「It's OK, I'm fine. Don't worry about it」と言われます。とりあえず怒っていないっぽいことは彼の笑顔と態度でわかったもののあなたはとにかく申し訳なくて急いでハンカチで彼の高そうなスーツにかかってしまったクリームソーダを拭きます。「スーツのクリーニング代出させてください!本当にすいません!」と一生懸命謝るあなた。でも彼はあまりあなたの言葉を理解できないようです。「ダイジョブ」と言ってくれますがいやどう見ても大丈夫じゃない。あなたはお財布の中に入っていたお札を取り出しジェスチャーでいらないと言っている彼に無理やり持たせます。「(これでは足りないと思うので不足分は請求してください。その場合には大変お手数ですがこちらまでご連絡ください、って英語で言えない!)ううう、コールミー!」と名刺を渡し、恥ずかしさから嵐のようにお店を去ります。翌日、PCを立ち上げるとライアン・ゴズリングからメールが。図らずも「コールミー(電話して)」などと言ってしまったあなたにライアンは、心配する必要がないこと、またハンカチを返したいからランチをしましょう、と同僚に訳してもらったという日本語でメールをくれました。もしかして:恋の予感!となったら、どうします?英語話せるようになろうと必死で勉強すると思いません?だってあなた、ライアン・ゴスリングですよ?!

 

と言う感じで、英語を話すにはプレッシャーもしくはモチベーション、もしくはその両方が絶対に必要だと私は思います。 

 

私は留学前、読み書きに関しては大学受験レベル、聴き話しに関しては表面的な意思疎通はできるけどそれ以上のことになると笑ってごまかすレベルでした。そして①の生きるか死ぬかパターンで英語を身に着けその後②のモチベーションでさらに底上げをしたタイプです。

留学して2週間目に原因不明の高熱を出し日本から持って行った解熱剤で何とかしのいでいたものの食べ物を買いに行けず、1度しか会ったことのない日本人の知り合い(というか面識あるだけ…)に頼って生き延びたからです(海外に出ると日本人同士の助け合いは何よりありがたい。炊飯器借りたりしたなあ。)。人間高熱が出ている時にはただでさえ頭を使わないと話せないような言語は出て来ませんので、日本語が話せる人は天使に見えておりました。そして、ああ、この国で生きていくにはきちんと自分の状況を人に伝えられるようにならないといけない、と実感したわけです。そしてすっかり元気になり留学生活を過ごす中ローカルの友人や恋人もでき、「この人たちともっと話がしたい!」というモチベーションでさらに勉強を頑張りました。

 

 と、この『プレッシャー&モチベーション』が私の知っている最速で他言語を話せるようになる環境なのですが、世の中のほとんどの人はこんな状況にはなりませんよね。①であれば留学や駐在とかありますし、②であれば六本木にナンパされに行ったりネットで知り合ったりあるのかもしれませんが、そしてそれが一番早いのですが、そうそう都合よくもいかないですし日々仕事も生活もあるといろいろ難しい。

 

そこで、流暢に他言語を話す友人たちを観察した結果、上記2つ以外で高確率で見られた特徴がありましたのでシェアさせていただきます

 

 

推し活です。

(推し活:自分の好きな芸能人やアニメや漫画などをひたすら愛する活動)

 

  

 私の友人には、

  • GTOの漫画が好きすぎて英語版では飽き足らずオリジナル(日本語版)を購入して読みアニメ版も全部取り寄せ日本語がしゃべれるようになったアメリカ人
  •  流星の絆」というドラマをネットで見て、某嵐の二宮和也氏に一目ぼれをし、独学及び日本人の友人から日本語を勉強し2年間でペラペラになって日本に渡ってきたカナダ人(そして嵐仲間を作り彼女の日本語はさらに流暢に)
  • 韓国ドラマにハマりすぎて韓国人俳優にお熱になり新大久保に通いまくって韓国人の友達を増やし韓国語がペラペラになった日本人
  • とにかく日本のドラマが何でも好きすぎて休みのたびに日本に旅行に来て自国にいても日本のテレビばかり見ていて日本語がペラペラな香港人

など、計り知れない情熱をもって本気で推し活をして言語をマスターしている人が少なからずいるのですよね。

 これは、上で私があげている②のモチベーションパターンなのですが、恋人を作ったり友人を作ったりという、同じ言語を話す相手だとしても思い通りにならないことに、さらに他言語を話す相手を見つけるという条件を重ねるのは間違いなく条件達成の難易度をよりあげることとなる。だったら、一方的に情報を仕入れそれを思う存分満喫し愛することができる相手(芸能人・ドラマ・漫画等)を見つける方が早いし効率もいいですよね?!

 

私はまだあまり英語がわからない頃、ドラマ「24」を英語字幕で見なくてはいけなくなったことがありまして。その際自分でも驚くような驚異的な集中力を発揮してジャック・バウアーの言うことを理解しようとした結果、24時間を繰り返すごとに理解できる単語や文章が増えていくのが目に見えて分かりました。(ジャック・バウアーは大好きなキャラクターですが決して「推し」ではありませんでしたが…。)

 

これだけは間違いないと思っているのですが無理やり逃げ場のない状況に入れられない限り(①のパターン)、漠然と「他の国の言葉が話せるようになりたいな~」と思っていても話せるようになりずらいのではないかな、と思います。そうではなくて、知りたい世界がまずそこにあり、その世界とつながるための手段として言語が必要である、となって初めて人間は本気で言葉を勉強するのだと思います(②のパターン)。言語を知って世界が広がるのではなく、広げたい世界があるから言語が使えるようになるのではないかと。だから広げたい世界を見つけるのが一番手っ取り早いと思います。

 

もし仮にこの記事に対して反応があればもっと具体的な方法も書いてみようかなと思うんですが、そういうのって世の中にあふれてるから需要がなさそうなのでとりあえず今日はメンタリティのみご紹介させていただきました…。 

 

まあ、いろいろ書きましたが、「暇だから」ぐらいのノリで大した苦労もせずに3か月でフランス語マスターした、とか言う神に愛された天才の知り合いなどもいるので、この話は私のような凡人の話と思っていただければ幸いです。

星野源のアイデアを聴き人生について思ったこと

先に断わっておくが私は決して彼のファンではない。

 

ツイッタ-の相互フォロワーに1名ものすんごい星野源ファンがおり(そう、あなただよ)、しょっちゅう彼の名前と顔を見ているため「ああ、お向かいの星野さんとこのおにいちゃんね」ぐらいの感じの親しみと近しい距離感を勝手に感じてはいるが決してファンではないしましてや全然知り合いではない。

さらにいうと私の家族の女性メンバーは星野源が熱烈に好きで、歌番組に彼が出るときなどはファミリー女メンバーのグループラインで連絡が来るしヤツが歌いだすと「かわいい!」「かわいい!かわいい!」とラインが流れてくる。一緒に飲んだら絶対楽しそうだな、とは思うがかわいいはわからない。※もう一度言うが私は彼のファンではない。

 

そしてもっというと私は一般人が持ってる星野源の情報にちょっと毛が生えたぐらいしか持ち合わせていない。もちろん毛が生えた部分は上記の星野源ファンたちからの情報である。

 

以下、私が持っている星野源情報

 

  • 飛ぶ鳥落とす勢いで爆売れしてる
  • ラジオが下ネタ満載でめちゃくちゃ面白いらしい
  • 脳系の病気でほぼ死にかけたらしい
  • 笑いのセンスがかなりハイレベル
  • 歌うまい
  • 演技もうまい
  • 本も書いてる
  • 木琴みたいなやつ演奏する人らしい
  • 陰キャらしい

 

ぐらいのもんです。

 

そして私が彼を知ったのは世の中の多くの人と同じく彼が主演した「逃げるは恥だが役に立つ」の主題歌「恋」です。ドラマを観てたので、あ~なんか元気出る感じでいい歌だよね~ぐらいの感じでした。はやりすぎて聴きすぎて、ね、なに?ねえ、恋ってなに?何なの?聴きすぎてなんかちょっとゲシュタルト崩壊起こすんじゃないこれ?って感じには聴いてました(聴いてなくてもゲシュタルト崩壊起こしてる感は否めないが)。

 

その後のドラえもんは…まあいいや。歌の良し悪しではないんです。私、ドラえもんは大好きだけど大山のぶ代世代なんでちょっとドラえもんについて話し出すと核弾頭とか持ちだしそうな自分がいるのでやめときます。

 

で、今回の「アイデア」。

初めてフルで聴いた時に、1番と2番の歌詞の内容が陽と陰なのには「恋」と同じ流れを感じておおー星野源って物事とか世界の裏表みたいなのを知りたかったり表現したい人なんだな、と思ったんですが。

イデアで私が鳥肌立ちまくったのは、1番と2番でメロディが半音ずれる(っていうんですか?私音楽ド素人なのでどう表現するのが正しいのかわからないんですけど)ところなんですよね。

あの“音がずれる”ことで、「陽と陰」というのは「表と裏」じゃなくてほんの少しずれただけの隣同士なんだな、ってずどーーーーん!って来たんですよ。表裏だと背中合わせになるので、陽と陰はお互いが見えない。けどほんの少しだけずれてる隣同士って、見えるじゃないですか。それでもって普段生活してて自分が感じる陰と陽ってどちらも同時に見えるじゃないですか。ものすごく悲しい気持ちの時ってものすごく幸せだった時のことを思い出して(見て)余計悲しみでいっぱいになったりするし、本当に幸せで一杯の時って万が一それを失ったらっていう恐怖を感じてしまったりもするじゃないですか。

もっというと、生きていく中の陽と陰って表裏っていう1つづつしか存在しないものじゃなくて、ストライプみたいに重なってるものだな、って思ったんですよ。イデア聴いてて。いいことも悪いこともうれしいことも悲しいことも生きていれば波のようにどんどんやって来て重なっていくわけですよ。悲しいことに飲み込まれても絶対にそれはいつまでも続かないし、嬉しいことはなるべく長く続いて欲しいけどそこにあぐらをかいちゃいけないよ、って。

 

イデアの1番と2番のメロディのずれを身体で感じて私はそんなことに天啓のように(勝手に)気付いて星野源すごいな、って思ってたんです。

 

なんていうか、人生ってそういう感じに流れていくからさ、いろいろあるけどがんばっていこうぜ、って星野源は「アイデア」を通して、もっと言ったらたぶん彼の全ての作品を通してみんなに言いたいのかなって思ったり。

私は、がんばっていこう!って思えた。

 

で。

 

実は、今日、初めてフルでMV見たんです。

 

www.youtube.com

 

そしたら、なんか知らないけど、涙がぼろっぼろ出てきたんですよ。やっぱり案の定、1番から2番に移行するところで。

あかん、このMVはあかん。よすぎる。

ねえなんで?なんでなの?ほんとになんでなのかはわからないんですけど。このMVめちゃくちゃいいですね。

お葬式を連想させる衣装やセット、とかなんかもっと深い分析はいろんな人が書かれているので、何度も言いますが星野源は好きだけどファンではない私は書きません笑

 

とにかく、この「アイデア」という曲に刺激されたこの興奮を最初はツイッタ-に書きなぐろうと思ったんですけど非常に長くなりすぎて下書きがなんとも真っ赤になってしまったので、ブログに書きなぐりました。

多分私がこの曲を聴いて思ったことってみんな思うことなんだろうな!と思ったけどどうしても書きたかったので!

 

 

 

最後に。

 

北海道の地震での被災者の方々、そして関西の台風での被災者の方々に、1日でも早く元どおりの生活が戻りますように。

 

いつもと同じ一日が過ごせている方は良い夜を。

”オーシャンズ8”

やっと見れました、オーシャンズ8

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wwws.warnerbros.co.jp

この映画については情報公開になってビジュアル(↑)と予告編を見た時点で「たとえこれがどんなにつまらないと評判の映画となろうとも槍が降ろうと嵐が来ようと何があっても劇場に行く」と決めていたんですね。予告編だけでめちゃくちゃオシャレだしキャスト豪華だしなにより大好きなリアーナさまが出る!!!と。でも台風は来たけれど槍は降らなかったしめちゃくちゃ面白かった!

試しにツイッターで「オーシャンズ8」って検索してみてください。いろんな人の興奮コメントが見れて面白いです(ほぼ女性だった)。

 

そんなわけで私は大満足だったのですが、この映画の何がいいか簡単にまとめてみました(あくまでも私的)

 

オーシャンズシリーズが単純に好きだから

映画って色々あると思うんですよ。人生とは、みたいな深いことを考えてしまうようなものもあるし、モチベーションを上げてくれるものもあるし、何にも考えないで見られるコメディもあるし、女性ホルモン補充のために見たいようなラブロマンスもあるし。もしかしたらノンフィクションしか観ないような人にはこの映画は合わないと思う。でもそんな人もともとこれ見ようとしないでしょ?笑 で、このオーシャンズシリーズは「スピーディーでスタイリッシュでクールすぎるから観ているこっちまで最高にイケてるんじゃないかという気分にさせるポップコーンムービー」っていうのが過去作では一貫してましたよね。まあそりゃプロットがどれも似通ってて新鮮味が減ってくる、とか、2時間ちょっとの中で映画を成り立たせるために説明不足が多め、とかあると思うんですよ。でもって今回のオーシャンズ8でも同じような感じの意見がありましたよね。正直それは否めないと思いました。え、突然?どした?みたいになるところがなかったとは言えない笑 でもね、オーシャンズシリーズに関してはそんなのどうでもいいんですよ。とにかくスピーディーでスタイリッシュでクールっていう部分がこのシリーズのコアだから。それでもって種明かしのシーンでニヤリってなるのがお約束だから!

種明かしのニヤリ、ではないですが私が映画の中でめちゃくちゃ好きだったシーンの写真だけ貼っておきます。(アン・ハサウェイ氏のInstagramの投稿写真です)

映画観てる人なら、ニヤリ、するのではないでしょうか。

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②男いなくても全く問題ない感が最高

これは映画を観る前からツイッターでちょろちょろ流れてくる各所の感想で期待値を上げていた点なのですが、ラブロマンスではない映画で女が団体で「ちゃんと」主人公してる。無駄に力の入ってるわけではなくあくまでもナチュラルに「たまたま」女性が主役だったぐらいの感じで、反男尊女卑を声高に訴えるわけでもなく、頭が良くて能力の高い女性たちがチームを組んで盗みを計画実行する、という映画を作りました、と言う感じ。もちろん男性は出てくるし色恋沙汰がゼロとは言いませんが、監督は男性なのに完全に女目線でしか作られてないからすごいと思いました。と同時にラブロマンスではなく、女性が主体性をもって主人公の映画って少ないんだな、という事実に気づいてしまいましたね。もちろんありますよ、女性が主人公の素敵な映画はたっくさん!でもなんていうかこういう男の存在がうっすい映画、そんなになかった気がするの。そしてこういう作品がこの映画が発端となってこれからどんどん増えればいいな、と思いました。だって人口比率で考えたら男性主人公と女性主人公の映画は半分ずつでいいわけなので。逆に男性が主人公の超甘々ラブロマンス映画ももっと増えていいと思うし。

 

③キャストやばい

サンドラ・ブロック

スピードでブレイクしてその後コメディエンヌとして花開きましたが彼女は本当に演技がうまいと思うんですよ。私が一番好きな彼女の映画は「しあわせの隠れ場所(The Blind Side)」という実話に基づく映画。本当に泣かせます。って感じなのにたまにラジー賞とっちゃったりなんていうかとっ散らかってるアメリカの姐さん、って感じで昔から大好きなんです私。そして何より絶対に友達になりたいタイプなんですよ。完全無欠の性格の良さのぶりぶりっこな感じはゼロで、嫌な奴になんかされたらやり返すけどなにか?的な、日本人の古いタイプの男性には好かれなさそうな本当に(演技ではない)サバサバ感!そしてこの人どんな時でも肩に力が入ってないんですよねー。そんなサンドラがオーシャンズシリーズのダニー(ジョージ・クルーニー)の妹役で新生オーシャンズを結成するとかはまり役すぎて面白くないわけなくない?っていう。実際映画本編も完全にはまり役。はまりすぎて演技してるように見えなかった笑 

 

ケイト・ブランシェット

きれいな女優さんだなあ、いろいろ出てるよねー、米国SKⅡのスポークスマンしてたけど納得の白さだよねー、ぐらいのイメージしか正直なかったのですが!もうね観終わった後一緒に見てた人に「ねえ、ケイトイケメンすぎじゃない?ケイトイケメンすぎじゃない?」ってオウムのように言ってました、私。イケメンすぎて「抱いて!」しか感想が出てこない。この方こんなスタイリッシュな方だったの?!素敵。超素敵。お召し物も全て素敵。でもこれに関しては自分が着たいとかならないの。ケイトさまをひたすら崇めたいの。ってなる。もっと品行方正系の真面目キャラな人かと思ってたけど(いや役柄なのはわかってたけど)こんなおっとこまえだったとは!

 

リアーナ

大好き。ごめん好きすぎてなんにも言えない。めっちゃくちゃかっこいいしセクシーだしああああああああもう超クールなのに要所要所かわいいんですよ。それはまあ脚本がそうなってるんですけど、ご本尊のかわいさがにじみ出てるの。あと予告とかでも公開されてるからネタバレじゃないと思うけどリアーナさまのドレス姿はさすが!ってなります。圧巻。

 

アン・ハサウェイ

アン・ハサウェイはこの映画出て本当によかったと思う!会ったことなんてもちろんないし実際の彼女は知らないのですが、ハリウッドの嫌われぶりっ子が定着していたアンさん、この映画でそれを完全に逆手にとってやりたい放題やってた。たぶんこの映画でのアンさんが現実のアンさんに1番近いんじゃない?と思わせるほどの楽しそうな演技!いやー、わがまま女優っぷりとか、かわいいだけじゃないのよ、とかあんまりいうとネタバレになるから言えないけどとにかくこの映画で一番株を上げたのはアンさんじゃないかな?と個人的には思います。

 

ヘレナ・ボナム=カーター

癖のある役をやらせたらこの人の右に出る人はあんまりいないですよね。何をやってもヘレナ・ボナム=カーターなんだけど全部違う、みたいな。今回も絶妙な「一昔前の人感」がめちゃくちゃうまくて笑いました。

 

あとの3人、は、オーシャンズ11・12・13と同様まあサブクラスの扱いだな、と思ったのですがそれぞれきちんと役割はしっかりしていてうまくはまってるな、と思いました。(急に雑になったのはちょっとこの後飲みに行くからですごめんなさい、あとで時間できたら追記します)

 

 

と言う感じでめちゃくちゃ見に行ってよかったです。

 

ぶわーっと書いたのでさらさらっとした感想になってしまいましたが、女性の方はとりあえず深く考えずに観に行った方がいいと思います!できれば大きい劇場で!絶対テンションあがるよ?あと男性の方は女性と観に行ったらいいと思います。たぶん彼女は映画終了後ちょっとだけいい女になるのではないかと思います。

 

ちなみに、私はいくつか「本当にメンタルがどん底まで落ち込んだ時にただただ自分の気持ちを抱きしめてあやしてあげるために見るお薬映画」というのを持っているのですが、オーシャンズ8は最初の10分でこのお薬映画の仲間入り確定しました。なぜなら、ブルゾンちえみじゃないですが、この映画を観れば

「女に生まれて、よかった~~!」

と思えるからです。

 

それでは皆様よい週末を!

”空飛ぶタイヤ”

公開から2か月が経ってもう上映劇場がほぼない!というこのタイミング、滑り込みぎりぎりで先週見てきました、”空飛ぶタイヤ”。

soratobu-movie.jp

 

あのね、結論から言います。

よかった。すっごくよかった。もっと早く劇場に行けばよかった。

実は、私、内容には期待してなかったんですよ、この映画。映画化が決まって(高橋一生が出演って話だったし)すごい楽しみにしてたのは事実。でも、原作読んでみたら上下巻で壮大に話は広がってるし登場人物めちゃくちゃ多いし、ましてや現実社会のお話のディティールをかなりしっかりと書いて読ませる池井戸潤さんの作品だから、映画にしたときに端折る部分とかディティールが多すぎてわけわかんないことになるけど松竹の財力とコネクションを使って集めたキャストと主題歌とかでなんとか勢いで行く映画、になるんだろうな、って思ってたんです。

しかし!

確かに一人一人へのフォーカスはざっくり切られているのだけれど、過不足ない説明とテンポの良い流れであの原作をすごくいい意味でダイジェスト的に収めていたんですよ!原作を読んでいただけに、脚本家さんすごいなあ~と上映終了後しみじみと思いました。

そして情報量の多い内容を観客が最後まで飽きたり疲れたりすることなく観ることができたのは間違いなく配役の妙。知ってる顔だらけの映画だったので演技力が低い人がいないのは当然なんだと思うんですけど(松竹だし)、一人一人が役にぴったりはまってるんですよ。意外な配役で冒険、とかじゃなくて「ああ、この人のこの役はぴったりはまるな」と安心して観ることができる配役。

 

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まず、主役の赤松社長を演じた長瀬智也。この人、前々からちょこちょこ言ってるんですけど本当に男としてMr. Perfectですよね。テレビの長瀬智也しか知らないから現実どうなのかはわからないですが少なくとも俳優として芸能人として完全に「持ってる」人。だなあ。と見るたびに思います。外見的な整った顔と大きな体はもちろんだけど、声だったりとか動きとかもすべてが「THE 男」なんですよね。でもこの人の一番の財産は間違いなくその存在感(またの名をオーラ)ですよね…。画面に長瀬智也AKA赤松社長が映ると目が行ってしまう。すごい。

 

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主役赤松社長のカウンターパート沢田を演じたディーン・フジオカ。この人に関しては何の恨みもないしすんごいイケメンで長瀬智也とは別の意味でのMr. Perfectだなって思うんですよ。が、私的におディーン様、アンドロイド感がすごくて…。なんでだろう…パーフェクトすぎて、映画見てる最中もムロツヨシの横でお酒あおっててもPCの前で苦悩してても「何…このパーフェクトな顔…CG?」ってなってしまってねえ(この写真見ててもCGじゃない?ってなる)。日本人なんだけどいろんな言語を話す方だからなのか声質なのか話しててもちょっと機械感を勝手に感じてしまうんですよ。でもだからこそ、大企業の中にどっぷりつかって人間的な思考が停止している(停止せざるを得ない)この役がはまってましたよね。

 

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そして、ポスター等で3トップ的扱いになっていたのでさぞかし出番もあることだろうと期待していた銀行員井崎役の高橋一生オイ!松竹!あのポスターはずるいぞ!高橋さん出番少ないじゃないか!と、言いたいのはやまやまなのですが、さすが高橋一生、出番自体は少ないのですが、映画の中のいいアクセントというかものすごくいいスパイスとして映画の締め役(そんな言葉ないか笑)となっているな、と思いました。これから見る方もいると思うので細かくは語りませんが最後の出番で私は天を仰ぎましたよ。「やはり高橋、女の心をつかんで離さないわね!」と。

あと、ポスターではちいっさい扱いになってるムロツヨシ氏!いつもお笑い枠、オチ枠等不憫な扱いというかキャラ枠で扱われることが多いムロ氏ですが、今回はなんと!キャラ枠じゃない!普通にいい役!後ムロさんに関しては本当にどんな役でもハマるよなーと。私はこの映画を観ながらムロさんが思いっきり極悪非道な悪役をやるのが見たいなーと思ってました。

女性陣に関しては、とりあえず、ふかきょん=女神、小池の栄子姐さん=抱いてください、と言うのが感想です。

 

あとね、サザンオールスターズの曲が良すぎるよね。「しんどいね生存競争は」っていう歌詞がこの映画にぴったりすぎて。しんどいんですよね、生きていくのって。でも生きていかなきゃいけないんですよね。生きるならとことんまで自分を貫かなきゃいけないんですよね。

 

ホントは一人づつのキャストについてもっとごちゃごちゃ書きたいし、ネタバレの感想も書きたいんだけど、なぜか最近忙しくてちょっと時間がないので取り急ぎ自分の中のフレッシュな感想を書きたかったので、なんだかちょっと中途半端だけどポストしちゃいます。後でこっそり書き足すかも!

 

みんな、DA PUMP聞いて残りの夏も乗り切ろうね!!!

今日も私は化粧というまじないをかける

この夏、数量限定のアイシャドウを購入しまして。

 

手に入れてパッケージを開いた瞬間の高揚感ったらないですよね!なんなのでしょうね、あの興奮。翌日早速その新しいアイシャドウを初めて塗り一日中脳内でずっとスキップしてましたし、トイレに行くたびに「いやー、かわいいわ。めっちゃかわいいわ!何?この絶妙な色!!」と自画自賛しておりました。いや、人から見たら大して変わらないのはわかってる!

 

ちなみになかなか校則の厳しい学校に通っていた私が初めてきちんと『お化粧』をしたのは高校2年生の夏休みでした。あ、1年生かもしれない。どちらにしろ、遅い。完全にいまどきの子ではない。今でもはっきりパッケージまで覚えている、今では絶対買わないような白パールのアイシャドウでした。口紅も何かめっちゃパーリーベージュ!みたいなやつでした。そのころの写真とか、ほんとに見たくないです。ダサさの極み。時代ってすごい。若さって怖い。当時の自分はすごく似合ってると思っていた、白パールアイシャドウにパーリーベージュのリップを塗って(でもファンデーションは塗らないし眉毛も書かないという恐ろしい状態、若さって怖い。)、真夏の海に行ってはしゃいでいました。記憶の中でもつらいので実際にその写真見たらその辺りの壁に頭を打ち付けてしまいそうだ。

 

そんな私の恥ずかしい過去はさておき。

 

お化粧とはなんなのだろう、と考えてしまうことがよくあります。化粧品って値段もバラバラ、なくても生命活動には全く問題ない、なのに精神的影響力は非常に高くて多くの人々を惹きつけて止まない。本当にその存在はなんなんだろう?としょっちゅう思うのですよね。使うものの値段が高ければいいとは限らないですが、え、これ高級な焼肉食べに行けるじゃん!なお値段の化粧品買うと何となくありがたみは増すし、うっかりマスカラを忘れてしまうと私はその日一日居ても立っても居られなくなります(そしてドラッグストアで急遽マスカラを買うので家には使いかけのマスカラがあふれる)。

 

もちろんお化粧をしない方もたくさんいますし、してもしなくても本人の自由ですから!「お化粧はマナー!」とか言い出す人たまにいますけどね。職業上のマナーとして必要な方がいるのも確かですが(たとえば化粧品カウンターのBAさんとか)、そうでないなら別に人のことなのだからほっとけよ、と私は思います。ただ私自身は人生短いんだから使えるものは何でも使って最大限のリターンを受けようぜ!派なので、外に出る日はお化粧します。ていうかしないで人に会うのはできる限り避けたい。だって、たとえ手間がかかろうとも、人に会うならなるべく綺麗な自分(自分比)でいたいじゃないですか。あと、なんかよくわかんないけど最低限の礼儀、みたいになっちゃってるし。

 

あのですね、この現代日本社会、男女ともにすでにめちゃくちゃストレスフルな日々を生きていますよね。仕事・恋愛・家事をこなしながら人生の長期的目標達成のために自己投資したり老後のこと考えて貯金したり。ましてや家族や子供がいたらそのことも考えながらいろんなことをマルチタスクでやっていかなくてはいけない。いや、ほんと、我ながら、生きてるだけでマルチタスクしてる。偉い。偉すぎる。現代人偉すぎる。みんな毎日頑張っている!

 

そんなマルチタスクな日々に加えて、女性の役を与えられている人って、ある程度のきれいな外見を保たなきゃいけないような気にさせる社会的(見えない)プレッシャーがあるじゃないですか。さっきも言ったけど社会的礼儀、みたいな。もちろん男性にもあるのかもしれないけど社会の構造上確実に女性役の方がそのプレッシャー高い。望む望まないに関わらず、女性役をやる我々はそういう圧をジョッキで一気飲みして、毎朝お化粧してヘアセットしてお洋服コーディネートして働いてるわけですよ。いや、もちろん、先ほども書いたようにお化粧するしないは個人の自由ですからね!それはわかった上で、やっぱりお化粧していた方がきちんとして見えるしきちんと扱ってもらえるように思うんです。あと自分のこともきちんと扱う気がするんですよ、お化粧してる時の方が!

 

私自身はなかなかお化粧をしないで働くのは難しいな、という環境で仕事をしておりまして、いっときは義務感でお化粧していたのですね。侍が甲冑つけるような気持ちで。お化粧する暇があったらその分寝たいと思っていましたし、毎日朝お化粧して夜には落とすという繰り返しに「…無間地獄?」と思っていました。完全に、やりたくない役を与えられたから仕方なくこなす、みたいな気持ちでした。

でも、ある日、『美しくしている自分』は気持ちがいいし気持ちがいいと毎日は楽しいし毎日が楽しいと機嫌が良いし機嫌が良いと周りも気持ちがいい、という単純な事実に気づいたのですよね。あくまでも『自分比』とはいえ自分を美しくしてあげるという行為は自分を大切にしているんだよ、と自分に教えてあげているように思うし自分を大切にしている人は人にも大切にしてもらえる。あと絶対美しい方がいいじゃん楽しいじゃん!地球の歴史に比べたら一瞬にもならないような自分の人生だけれど、自分にとっては長い長い人生、どうせなら気持ちよく楽しく美しくご機嫌で生きたいじゃないですか。少なくとも私はそう思います。だって自分の機嫌をとるのは自分の仕事だから。お化粧みたいな誰でもできることで自分の機嫌をよくできるなんてすんごいラッキー!安上がり!ってなりました。それが後から振り返ると恥ずかしくて頭を壁に打ち付けたくなるような白シャドウのメイクだとしても、その日の私がご機嫌でいられるならそれでいいんですよ。たぶんおばあちゃんになった私が今の私を見たらまた若いって怖い!って思うのかもしれませんが。

 

そんなわけで、自分が毎日楽しく生きるために、私は今日もお化粧をします。

客観と主観のあいだ(年齢問題)

完全に「冷静と情熱のあいだ」のパクリタイトルです。

あの本を読んできゃーってなってフィレンツェまで行ったのを思い出します。せっかく行ったのに一番行きたかったドゥオモの上にまさかの工事中で登れなかったんだよね。何で調べてから行かなかったの?自分?そういうとこだよ?詰めが甘いんだよ?

 

さて、私、暗いことやネガティブなことを話すのは、ましてやそれを文字に残すのは好きではないのですが、自戒を込めてどうしても書き残しておきたいことがあるので書きます。

 

先に謝りますが不快な思いをさせたら申し訳ございません。

 

先日(と言ってもかなり前)、心臓をぎゅーっと握りつぶされるかのような恐怖を感じる出来事がありまして。

 

お知り合いの人に誘われてご飯を食べに行くことになったんですね。3、4人の小さな会なのかと思って行ったらその倍ぐらいの人数で、かつ誘ってくれた人以外初見、という結構面喰らうシチュエーション。まあ来てしまったのはしょうがないし私のお友達はまともな人だしと思って食事とお酒を楽しんでいたんですよ。いうてもいい年してるんで困ったら黙って酒を飲む、ぐらいのことは余裕でできますから。

が、そこにいた一人の女性が明らかに異様なオーラを発していて、なんだか心がざわついてしまい落ち着かなくなりました。なんというか、私が思う「年相応」とかけ離れていたんですね。外見内面ともに異様な若作り。例えるとロバートの秋山が細かいペルソナ作って演じてそうな「海と自然が大好きなちょっとギャルっぽいところもあるけど話すとサバサバしてていい奴だから同性の友達みたいだって男の子に言われちゃうんだよねって自己申告しちゃうビーチガール」感。もっとわかりやすく言うとタイでの投資詐欺で懲役判決を受けた山辺節子氏的な雰囲気。

 

www.sankei.com

 

女なんでこういうこというとぜええええんぶブーメランで返ってくることも知っているけどそれでも敢えて言うが私はああはなりたくないな…、と思ってしまったんですよ。でも冷静に考えたら(考えなくても)私はそんなことを言えるような立派な人間ではないしそれに私も誰かにそう思われている可能性は限りなく高い。というか間違いない、なぜなら万人に受ける人間なんていないんだから。うわ怖い!と、感情がごちゃまぜに混ざって混ざりまくってこねくり回された結果、発生した感情は恐怖

その日の帰り道本当に想像が想像を呼びもう怖くて怖くて歩きながら最終的には恐怖で涙がボロボロ出てきまして(大げさだけど、たぶんかなり酔ってたせいもある)、グワングワン歩きながら仲のいい友達たちに鬼電して話を聞いてもらったりメッセージ送りまくって落ち着いたんですよ。(その節は皆様ありがとうございました)

 

その後、

 

若さを保つことと若作りの違いはなんだろう、とか

美しく年を取るというのはどういうことなんだろう、とか

人はどんな時に他人を見て不快に思うんだろう、とか

 

についてずっと考えてたんですね。今でも考えてます。

で、だいぶ経っちゃいましたし、考えといてましてや書いといてなんなのですが。

たぶん、万人に共通するような具体的な何か、はない。

ただ、言われたことや考えたことの中で、これは指針になるのではと思ったことがいくつかあったので参考までに。

 

自分に対して客観の目を持つべきであるが主観の目が一番大切

・老若男女関係なく必要なのは清潔感

・礼儀をもって他人に接すれば不快感は与えにくい

・人に自分の悩み/願望を背負わせない

・が、結論、人の目を全く気にしないぐらい強いのであれば万事どうでもよいこと

 

とか。まあ最後の「万事どうでもよいこと」となったらもう仙人の域ですからね。世の中のほとんどのことはどうでもいいってなってると思うんですけど。

 

そんな感じで友人と話していた中、一番強烈かつ胸に染み入ったのは、とある男友達に言われた一言でした。それは

 

 ・若さがなくなったぐらいでダメになるヤツは所詮それまでのもんだ

 

という言葉。若さなどという不確定要素に頼らず魅力的であれよ。と。これ言われた時にうわほんとだ!と思いまして。若いからイケてる、ってことは若さ失ったら何にも残らないってことじゃないか。と。

 

今まで生きてきた中で、若さという名の勢いでいろんなことができたりいろんなことが許されてた自分のことを覚えてるし、自分より先に歳をとっているお手本として自分の親や諸先輩方を見させてもらっているし、自分より歳の若い人たちと一緒に仕事したり友達として接してたり、と、まぁいろんな世代の人と日々関わるわけですが。

 

確かに、魅力的な人は年齢なんて関係ないな。と改めて思いました。還暦近くでも若々しくてみずみずしくて色気たっぷりの人もいるし、大学生なのに生きるしかばねみたいな人もいるわけですよね。わたしより全然年齢低いのに考え方が人生何回目?って人もいる。各自自分がなりたい自分というのがあって、それに向かって進んでいるわけです。

 

そして年齢なんて関係なしに魅力的な人というのは、そもそも年齢という概念を持ってないのかも。かの桃井かおりさんがおっしゃっているように年齢なんてただの数字なわけですよね。(桃井かおりさんといえば鰹ぐらいのサイズの魚のカバンを誇らしげに持ってる写真を数年前に雑誌で見て以来それが頭から離れないんですよね。どうでもいいですが。ほんとにどうでもいいですが)

 

というわけで、年齢というものにとらわれずに内面から満たされ笑顔にあふれた美しい生活をしたいものですね。でも私は使えるものはハサミでも親でも使うタイプの人間なので、可処分所得の中でめいっぱいの課金をして加齢とナチュラルで平和な関係を築きたいと思います。