男女の友情について

ちょっと真面目な話ですが(私にしては)。

 

男女間の友情はあり得るのか、というのが議論のテーマになることはよくあると思うのですが、これに関して私は限りなく白に近いグレーというポジションを取らせていただいております。基本的には双方に恋愛感情がなく、今後生まれる可能性が限りなくゼロに近い場合には『男女間の友情はある』と思っているのですが、同時に『世の中に「絶対」はない』というポジションも取っているため、何があるかわからないから限りなく白に近いグレー

なんでそんなことを突然言い出したかというと、めちゃくちゃ仲がいいけど本当に本当にこれだけは120%の自信を持って言えるけど私たちは絶対に恋愛関係にはならない、と思っている異性の友人が、自分の国に家族も連れて帰ることにした、と言ってきたんです。そして彼は旅立ちましたよ。初めて会った時から初対面の距離感はゼロ、あっという間に仲良くなり、よく終電ぎりぎりまで飲みにも行ったもんです。性別・国籍・育った環境が違っても人間ここまで同じ考えになるのか、となるような、血の繋がってない双子みたいだよねってお互いに言うような。歳も同じだし。

友達がなぜか海外へ次々と旅立っていくもしくは帰っていく星の下に生まれてる私は(日本にずっといる仲良しももちろんもちろんいる!!)、今まで何人の門出を見守ったかわからないんですなー。毎回毎回、寂しくなるなぁとは思うけれども、最終的に地球は一つだからね!イッツアスモールワールド!って送り出してきた。ましてやここ何年かの通信手段の発達(特にLINEとFacebook messenger)は本当に地球の距離をゼロにしたからね。時差さえクリアすれば家族と同じかそれ以上にコミュニケーションをとることだって可能になったし私はそれに今までどれだけ助けられてきたかわからないんですよ。

 

のに。

 

今回はなぜかダメだったんですよ。私の心がついてこなかった。やっとリカバリーしてきたけどなんだか心にはまだすっぽり穴が開いてる気分。だからなんでダメなのか分析したんですね。私とこの双子の弟は分析グセが酷いところも一緒なんだ、そう言えば。気になったことは考えたくなくても考えてしまうこの性分(でも気にならないことは全くもってスルーする)。そして考えるスピードに自分の口がついていけなくて、どんなにマックスフルスピードの早口で喋っても足りないあの感覚。嬉しいことも楽しいことも心の底から怒ったことも涙したことも全部なぜか理解しあえたんですよね。もちろん日々の出来事を全て伝えるなんてことはないよ、だって大人だしそもそもそんなこと必要ないし。飲みに行くのだって多くて月一回、ふつうは数か月に一回だったですし。

恋とか煩悩とかの理由(下心)がある時、人は相手を理解しようとか理解したと思ったり、逆に理解してもらったって思ったりしがちで、でもそれってそう思い込んでるだけで実際には思ったほど自分のことは伝わってなかったり相手のことをわかってなかったりとかすると思うのですが、この双子弟とはほんとおおおおおに下心はまったくなく、かといって努力をして分かり合おうとするわけでもなく、息をするようにしてお互いの考えが理解できたんですよ。だから話してる最中でも「はいはいはいはいわかるよ。」ってなって、相手の話の結論まで聞いてないのにその聞いてないけどわかってしまった結論を踏まえた話をフライングで話し始めちゃったりするんだけどお互いにそうだからまったく気にならなかったり(そうじゃなかったらただの感じ悪い人ですね笑)。なにかが起こった時に瞬時にプランA・B・Cぐらいまで考えちゃうところとかでも脳みそのCPUがオーバーヒートして電源落ちちゃうと何にも考えられなくなるところまで一緒だった。人としての性質が本当にそっくりで、話がとにかく止まらなかったんですよ、話が。

 

そんな片割れが旅立ちまして、私は、彼は私にとって双子の弟であって、かつ、灯台だったんだな。と気付いたんですよね。

 

私は生粋の日本人なのだけど、いつもこの国にハマりきれないでいるんですよねどこか。小さい時は何にも考えずにやりたいようにやっていて(そりゃそうだ子供だし)、たぶんほんとに何にも考えなかったから自分がみんなと違うことをやってしまった時に何が起こるかなんてことは気にもしてない、そんな子供だったんですよ。それがいつからか、大人に近づいていくにつれ「こうするべき」「こうしなさい」の壁にぶつかり、ぶつかりまくり、満身創痍の身体で、いつのまにか自分のやりたいこととやるべきことのギャップを計算し、最も労力が少なく進む方法を考えるような大人になっていたんですよね。一概にそれがいいことなのか悪いことなのかわからないけど。大人になってからも、おかしいなぁ一時は離れていたとはいえ自分が生まれ育った国なのにどうしてなんかハマりきれないんだろう、といつも思っていたし今でも思う。毎日思う。でも、きっとこの国ではみんなそう思っているんだと思う。だってみんな一人ひとり違うじゃん。なのに「みんなで同じ」がいいといまだに学校で教えられているこの国。会社なんて入ったらその無言の圧力はもっとある。私はあえてそこに大きな反旗を翻していこうとは思わないし、自分は自分のやりたいようにしつつ日々なるべく平穏に要領よく生きたいと思っているんですよ。そしてどこにもハマらなくても大して困ることはない、と思えるだけの経験を経てきたことで、私は自分の唯一無二の人生を純粋に愛するようになったしそれやそれに対する愛を理解してもらえない人に理解してもらおうと思わない、「良い諦め」、を手に入れたんですよ。それからは本当に日々楽しいんですよね。

でもね、やっぱり見えないふりをしている小さな小さな居心地の悪さというのはあって、それは少しづつ気付かないうちに細かい塵のように心に積もっていくんですよ。最初は見えなかった塵なのにいつの間にかそこに積もって、そして心から輝きを少しだけ奪っていく。まるで毎日使うお気に入りのグラスがいつの間にか曇ってしまっているような。

 

双子弟はそんな私の小さな居心地の悪さに気づいて、

「あんたはなんにもおかしくないよ。居心地悪く思う必要ないんだよ、みんなと一緒にいなきゃいけないとかみんなと同じでなきゃいけないなんて全くないし今の自分を人に合わせる必要なんて本当に全くない。あんたはそのままでいいんだ。どこもおかしくなんてない、そうじゃなくて日本におかしいところがたくさんあるんだよ。どこの国にもおかしいところはたくさんあるけど、日本はおかしいと思ったことを誰も簡単には言わないし変えようとしないだけ。日本は本当にいい国だし俺は日本が大好きだけど、すべてが正しい国なわけじゃないよ。だからJust fuck it!」

って言ってくれてたんですよ常々。(こんなこと、異性から言われたらふつうその人のこと好きになっちゃいますよね。ていうか私はなる。でも、これを言ったのは双子の弟だったから全くならなかった笑)

 

外見が「外国人」だとこの国ではいろいろ区別されることも多いけど、でもそれは「みんなと一緒」を求められない分とても楽だったりすると双子弟は言っていたし私もそれはよく見る光景だと思う。逆に外見が「日本人」もっと言えば「アジア人」だとこの国では「みんなと同じ」が求められる。誤解しないでいただきたいが私は日本の文化を愛しているし、「行間を読む」という日本人が身に着けている超能力のような力こそが繊細で優美な日本文化を作ったと思っているんですよ。だけど、たまに「みんなと同じ」の荒波に私は沈没しそうになる。そんな時、私はいつも灯台の光に向かって船を進めていた。そこに行けば必ずある、「そのままでいい」という絶対に変わらない彼の言葉を求めて。一緒にビールを飲んで、でもビール飲む暇もないくらい話し通して嫌なことも楽しいことも笑い飛ばしてしまえばまた次の日から私は「社会の荒波」へ航海に出ることができていた。

 

もちろんこれからも私は私の双子の弟と、笑っちゃうぐらいムカついた出来事とか、素敵な報告とか、かと言えば真面目に国際政治のこととか、たくさん話すんだと思う。現代技術の発展のおかげで。

 

だけど、やっぱり、お互いの顔を見ながら、大好きなビールがぬるくなっちゃうぐらいにたくさんくだらないこともまじめなことも話をするのと、携帯の画面で話をするのは違うんだろうな。と気付いてしまっているんですよね。私の中に音もなく溜まっていく塵を、これからは自分でお掃除をしてきれいに捨てなきゃいけないし、双子弟も自分で自分に溜まった塵をお掃除しなきゃいけない。でもたぶん大丈夫。話を聞いてくれる家族も素敵な友達もいる。それは双子弟も同じ。私の心の中に今ぽっかりあいている穴は私が自分で自分の心の掃除を上手くできるようになっていくにつれ、小さくなって埋まっていくんだと思うんですよ(埋まってしまうまでは、その穴から私の塵を捨ててしまうのに使おうと思う)。

 

それに、海をこえて十何時間飛行機に乗れば、双子くんには会える。用事がなかったら一生行かないような場所だけど、私は多分会いに行って、今度は彼の家族とみんなでビールを飲むんだと思う。数百年前には海外に行くのは生死の覚悟をもってするようなことだったんだ、って思えばなんて素敵な世の中になったんでしょうね!

 

家族みたいな関係なので、旅立つ前に最後飲みに行ったときも「じゃあ、双子の弟よ、元気でね、またね」ってあっさりした挨拶でした。だって恥ずかしいし。だから彼には読めないだろうこの長ったらしい文章は、素晴らしい友情を共に築いてきたそしてこれからも築いていく、

 

 

私の双子の弟へ。