One Of A Kind

ツイッターには長すぎるつぶやき、感想とか。エンタメ系はなるべくネタバレはしないことを信条にしてます。

二者択一ポイント制

自分の中でなんとなくもやもやしていたことがちょっとだけすっきりしたのでちょっと備忘録程度に書きとめます。

 

よく考えれば非常に簡単な話なんですが、人の性格とか個性って『二者択一』の連続と積み重ねでできていますよね(まあ2つ以上の選択肢があるシーンもあるけど、それも優先順位が低いところから2つづつ選択を重ねると考えればある種の二者択一だし)。

そしてこの『二者択一』はたぶん人の行動思考すべてについてまわる。たとえば、ちょっと風邪気味の日に大事を取って休むのか無理をして会社に行くのか。予算より1000円高いけど好物のランチを食べるのかそれとも予算に収まるようにするのか。気になるあの人にメールするのかしないのか。自分が生きる1分1秒、すべてが選択の連続でできていて、その選択が自分を構成している。

そしてこの『二者択一』、自分のことだけじゃなくてすべての対人関係に対しても言えるなって思ったんですよね。長年生きていると自分にとって「話の合う人間・合わない人間」「趣味の合う人間・合わない人間」「感性の合う人間・合わない人間」のような様々な『二者択一』が人間関係で出てくると思う。そしてたとえば、「話が合う」ひとつとってもそれが仕事の話なのかプライベートの話なのか、じゃあプライベートの過ごし方となったらアクティブに過ごしたいのかおうちでのんびり過ごしたいのか、おうちでのんびり過ごすとしたら、となったら一日ゲームをしたいのか料理をしてお酒飲んでのんびりしたいのか、等々どんどんと細分化もされるし。そしてこの気の遠くなるような『二者択一』のかけ合わせによって人間関係やら相性が出来上がる。

 

で、みなさん、この『二者択一』ってどんなふうにできてるのか考えたことありました?私はなかった。私はこのことが頭に浮かんで自分のケースで考えているとき、これは私だけかもしれないのですが、この『二者択一』が加点法・減点法ともに適用されるポイント制みたいになっているな、と感じたんですよね。これ、すごいドライだな、と思いますが同時にとってもシンプルでわかりやすいなって。

0点を基準点として、二者択一の選択が自分と合う(=受け入れられる)部分はプラスに加点され、合わない部分はマイナスとして減点されていくんですよね。で、マイナス〇〇点未満になるとちょっと分かり合えなさすぎて友達にはなれないな、とかプラス〇〇点以上行くと物理的には年に1回も会えないような人でも生涯の友だな、って思える、とか。

自分の中の基準点として持つマイナス〇〇点未満、の〇〇点が低ければ低いほどたぶんその人は比較的どんな人とも仲良くできるし、プラス〇〇点が高ければ高いほど「知り合い」レベルの人が周りに多い(=友達が少ない)のかもしれない。

別に好きな人が多いのがいいこと、とか嫌いな人が多いから嫌な奴、とかいう話でもないと思うし、でもこのルールを自分に当てはめて考えたときに結構面白いなって思いまして。

この『二者択一』の答えがどちらであっても気にならないような要するに「自分にとってどうでもいいこと」に関しては自分はどうでもいいから人に合わせられるけど、逆にものすごくクリティカルな『二者択一』もあって、そういう時は一つの選択肢が自分と違うとそれだけで分かり合えなかったりしてしまう、というようなこれだけは譲れないという絶対ルールが人それぞれあるんですよね。

そしてその譲れない部分、こそがその人のアイデンティティなんだなあ、と。

 

 

という感じで、人間の個性っていろんな測り方があると思ったのですがこの『二者択一』方式のかけ合わせと譲れないポイントはなかなか奥が深いなーと思いました。

 

 というわけで、特に落ちはありません!