日本のドラマがつまらないのか、それとも私がつまらないのか(追記:「ごめん、愛してる」の最終回感想)

ちょっと前に日本のドラマが面白くなくなったのはなんでか、的な記事がTwitterで流れてましたよね。

(ごめんなさい、元ネタを探す時間がもったいないのでうろ覚えですけど。もし後から見つけたらリンク貼ります)

 

あれ、私記事自体も途中までしか読まなかったのでどんなふうに結論付けたのか知らないんですが(なんか事務所対制作サイドの押し問答とかそういう感じだった気がするけど)。じゃあそれを持ち出すなって言われるかもしれないけど、「日本のドラマは本当に面白く“なくなった”」のかどうかについて私的に思ったことを書きたくてですね。

 

ちょっと前まで(高橋一生にはまるまで)は、私も日本のドラマは正直真面目に見てませんでした。

だって、(ほぼ)面白くないんだもん!

面白くないっていうか、中にはすっごい面白いものもあることも知ってるけど結構な確率で「ビジュアルが良い女優俳優をマジョリティとして1時間あれこれやるもの」という認識が強かった。演技がうまいなあ!っずっと見ていたくなる女優俳優もいるんだけど、そういう場合も脚本がチープだったりセットに説得力がなくて何かしらしらけちゃったり。たまにすべてがある素晴らしい作品が出てくるわけですが、それを見出すためにオンタイムで時間を使うのはもったいないなあって思っていた。なんていうか本当に評判が良くて面白いものが出てきたら後でまとめてみればいいや、でもそこまでしてみたいと思う作りこまれてリアリティのある日本のドラマってないな、という印象。 

なんていうか、「演技がうまい役者さんだけで構成されている見入ってしまうようなドラマが数少ない」ことと「(トレンディではないにしても見世物としての)ドラマ作ってます」感にしらけちゃう、っていうのが私が日本のドラマを見たくない一番の原因だった。

 

たとえばの話、普通のOL役の人がいたとするじゃん。田舎から東京に出てきて一人暮らし24歳、みたいな。24歳ってことは大卒って考えたら働き出して2年でしょ?新卒で専門職でもなく普通のOL、特に外資金融みたいな生き馬の目を抜く高給取りの設定でもなく、定時にはしっかり帰ってるように見受けるその(多分一般職の)24OLがさ、都内だったら家賃20万ぐらいしそうな所に住んでるわけ!なにその広いリビングにクイーンサイズのベッド!みたいな。お前それ給料ほとんど家賃じゃないか!みたいな。でもって家具とかもしっかり揃ってるし、なんか知らないけど毎日違う服着てるし、下手したら猫とか飼っちゃってて。おいおいおいおいおいおいおいおい、おいおいおいおいおいおいおいおい!東京のどこに行けばそんな生活できるのよ教えてよ!!!みたいな。100歩譲って23区じゃないにしても、そりゃ無理だよお嬢さん!みたいな。そのくせなんか知らないけど妙にある生活感あふれる歯磨きシーンが(話の流れに対して関係なく)挟まれて、提供の会社の商品である200円ぐらいの歯磨き粉がばっちり映るシーンがあったりしてさ。いやね、こっちも長く生きてますから、ある程度社会の仕組みとかわかってるよ、歯磨き粉うつさなきゃいけないよね、だってスポンサー様様だし。なんちゃらマーケティングってやつでしょ?わかる。それについては文句は言わない。だけどさー、とりあえず、主人公の一か月の家計簿見せてもらおうか?話はそこからだ。何人パパいるんだよ!夜はキャバクラでバイトしてる設定だけど会社にも視聴者にも隠し通してる設定なの??って。でもってさらにおいおいおいおい、ってなるのはその平々凡々なはずのOLにいきなり会社社長の御曹司が目を付けて求愛してきたり、街を歩いてたらお忍びで買い物してた大スターに目を付けられて別世界に!とかさ、街でけんかになったイケメンがある日突然義理のお兄さんになったりだとかさ!

ぅおーーーーーーーい!

 

ってなる。

もうちょーい現実味クレィ!ってなる。

 

あとね、いい加減、演技下手な人にメジャーな役を演じさせるのやめません??

せめて、真面目にお芝居をしたいと思ってる俳優女優を主役にしません?

いやね、わかるんですよ、ある程度力のある事務所の売り出し俳優女優を出さなきゃいけない、とか、やってるうちに演技うまくなる、とか、視聴率取れる人使わないとテレビ局的にリスクは負えないとかさ。ならば脇役とか出番の少ない役でいいのでは?オトナの世界の裏事情とか力関係でまだ準備のできてなさすぎる演者を大役に当てるのはまわりまわって本人のためにならないと思うんだよね。顔がいいからスタイルがいいからっていうんならその人はモデルすればいいわけですよ。私は(だし、真面目にドラマを見ようとする人はすべて)きちんとその世界に引き込んでくれる作品が見たいわけで、その一要因として俳優女優はとても重要なわけですよ。一度は許されてもさ、2回3回と学芸会みたいな演技見せられたら、もうその女優俳優は「演技が下手な人」ってレッテルを張られちゃうよ。こっちは学芸会見に来た親じゃないんだよ、演技が下手な女優俳優は目に入れたら痛いんだよ!ってなる。

それって俳優女優にとっても、もっというと事務所にとっても長期的に見て投資としてはだめなのでは?

そういうのって見ている側に伝わるのでは?と。(ちなみに朝ドラは新人女優さんが長丁場の作品に関わることによって飛び抜けて役者として成長するのを見るのも楽しみであるし、それをカバーできるだけの他の出演者や環境が整ってるから例外だと思ってる)

めちゃくちゃ上から言ってるけど誰、私?夏木マリなの?桃井かおりなの?(二人とも大好き♡)

 

・・・で、ここまで言っておいてなんですけど、最近、はっ!となったのですが、ドラマは見ているこっち側(視聴者)のスタンス、心理状態、環境とかも大きく影響するっていうことです。ここからが私が言いたかったとこです!

 

というのは、私今期(2017年7~9月期)、

「ごめん、愛してる」www.tbs.co.jp

 

というドラマを見てるんですね。

これ、上でさんざん演技力が、とか設定が、とか言っておきながら「ごめん、愛してる」を見た理由は主演の長瀬智也がかっこいいからです。あと坂口健太郎が好きだからです。演技力とか求めてませんでした!!!ごめん、イケメン大好き!!!!!が、実際見始めたら、長瀬智也はいつも長瀬智也なんだけど役に合った安定の上手さな演技してるし(頭が痛くなるシーンはドラマティックすぎて、え、ちょっとちょっと!ってなるけど)、坂口健太郎はおボンボンで苦労してない、ほしいものはぜ~んぶママが手に入れてきてくれた的なイラつく演技うまいし、大竹しのぶさんはさすが!としか言いようのない、息子を溺愛して周りが見えない嫌味なお金持ち役がうまい(うちの母はこのドラマの演技で本気で大竹しのぶが嫌いになってわざわざLINEで報告してきた)、直虎でナレーションやってる中村梅雀さんも完全癒し系でいい味出してる。正直出てる人みんな演技うまいんです笑 あれ、ヒロイン吉岡里帆は?って思ったそこのあなた。私、吉岡里帆をどう評価すべきか未だにわからないんですよ。なんか演技うまいのかもしれないけど全部同じに見えちゃうんですよあとバラエティでのずれ感が私が苦手なタイプなんですよだからコメントは控えます。あ、カルテットのキチガイアリスちゃん役は好きでした。あとあの外見になれるなら当然喜んでなります。お金払います。生涯賃金積みます。

 

なのでこのドラマ、上で言ってる「演技のうまい人」の条件は完全クリア。が「ドラマ作ってる感」はありありです。だってストーリーをさらっと簡単にまとめると、吉岡里帆は坂口健太郎がずっと好きだったんだけど突然出てきた長瀬智也に反抗してるうちに気付いたら好きになってる、でも長瀬智也はとある事情で命短し!さあどうする吉岡里帆!みたいな内容なんです(細かくは公式サイト↑を見てください)。かなりの80年代テンプレみたいなドラマだな、って思いました、設定聞いた時。そしたら元ネタが韓国ドラマなんですね。なるほどー、へええええ、まあいいか、一回目見てつまらなかったら辞めよう。って思ったんですよ。見たら実際ああ韓国ドラマ~!的な。ヨン様いつでてくるの?みたいな。正直見るのやめようと思ったんだけど、大竹しのぶの鬼気迫る演技にちょっと目が離せなくて見ていたんです。みんな演技はうまいけど設定にご都合主義がちょいちょいある。知的障害のある役の池脇千鶴が道端でホットドッグ売ってたりするシーンがあるんですけど「え!保健所の許可とか絶対取ってないじゃん!ダメ!」とか。アメリカに一人行こうとする吉岡里帆長瀬智也が具合が悪くなり行くのをいったん止めるシーンがあるんですけど、「行かなくていいのかよ?」という長瀬智也にめっちゃさらっと「ううん、今日はもういいの」っていうんですけどね。「今日は」て!個人で留学するためにチケット買っててしかもものすごい裕福でもない吉岡里帆が「ううん、今日はもういいの」で済むのか、いや済むわけがない!アメリカのチケットって少なくとも10万はするよ?「今日は」ってなによそれ!とか。一人で屋台で飲みつぶれてる吉岡里帆長瀬智也が見つけて背負って帰るシーンとかあるんですけど、「え?ちょっと待って?!なんで吉岡里帆のこと見つけたの?こいつカメラ回ってないところで長瀬智也に酔っ払ってLINEとかしてるの?」とか。みたいなご都合主義は多々あるんですよ。

 

でも、ね、私、なんだかいいドラマだなって思ってしまったんですよ。

 

なんでかな、って考えたら、吉岡里帆が(バカ)正直なんです。

吉岡里帆以外の役の人が比較的思ってることを溜めてしまったり口に出すのをやめようって判断をすることが多いんですよ。なんていうか、一般常識のある大人というか。自分が傷つくことは避けたいしむやみに人を傷つけるのもよくない、みたいな。

そんな中、吉岡里帆(役)は。こうした方がいいってわかっててもああしちゃう、とか言わないほうがいいってわかってても思ったことすぐぺろって言っちゃう、とか、とにかく正直。典型的ドジっ子ヒロイン。そのアクションによって自分が傷つくとか人を傷つけるとか潔いぐらい考えていない!それを見てたらね、お姉さん、イライラするんじゃなくて純粋にああ若いって素敵だし自分の心に正直なのっていいなって思いました。私、物事なんでも深く考えてしまうタイプなので、いつもなにか選択肢がある時いろいろ考えちゃうんですよ。だけど、昔は何にも考えてなかったしこのドラマの吉岡里帆のように正直に思ったように生きていたはず、私はいつから思ったことに正直に動けなくなってたんだろう、いつから自分のことを「大人」と認識しだしたんだろう。って。器用になったってことなのかもしれないけどはたして器用になる必要はあるのかな?って。

 

なにか自分の中にそういう風(最近の自分正直じゃないな、みたいな)に考えているところがあったから、たぶんこのドラマが刺激剤となって私の感情を揺さぶったんでしょうね。一見「ああなんか量産型のドラマだな」みたいな作品だとしても(「ごめん、愛してる」がそうだとは言っていないですよ!最終回楽しみだよ!)、見ているこちらの受け取り方でその人の人生を変えうるものすごい大きなきっかけになるし、それが本来ドラマやら映画の醍醐味なのかなあと思ったんですよ。もちろん、スポンサーだ事務所だなんだかんだ大人の事情を中心に回すのではない、作者はじめ関わる全ての人が思いを込めて作った作品の方がかなりの確率で心に響くものがあると思うけどね。

 

なにがいいたかったかっつーと、一見興味なさそうだな、学ぶことなさそうだな、って思うようなことがあったとしても、食わず嫌いはなるべくせずに時間の許す限り新しいものを自分に取り込むのっていいな、そうありたいな、ってことです。そうすることによって新しい自分を見つけたり、毎日のいろんな大人のしがらみが積み重なって見つけられなくなってた元の自分を見つけたりするのかもしれません。

 

最後に。私は高橋一生が好きですが、長瀬智也が目の前に現れたらとりあえず手を引いて家に連れて帰りたいと思います。

 

 

**********ここから「ごめん、愛してる」のネタバレ含む追記**********

9月17日に「ごめん、愛してる」の最終回がありましたね。

私的には思った以上にきれいな結末、かつ、嫌な人だらけだったドラマから嫌な人がいなくなって終わるといういい裏切りばかりでした。あー、これは諦めずにオンタイムで見てよかったな、と思いました。上で書いたことと矛盾してしまうけど、人に評価された後のドラマだと、はずれはなくてもどうしても前情報(内容や結末なんか)が耳に入ってしまうから。このドラマに関しては、私は原作の韓国ドラマも見ていないしネットで情報を調べるほどはまってもないし毎週さらっと日曜夜に見てたんですよ。

なので、どこまで原作に寄せていたのかはわからないのですが、原作と結末が違うというのを最終回後にネットで知りまして。

日本版は、長瀬智也(役)の死後、吉岡里帆(役)は2人の出会いの地韓国・ソウルへ行き、思い出の地から、晴れ晴れとした顔で前に進んでいく、的な終わりだったんですよね。すがすがしい。これに対して原作では、ヒロインは後追い自殺をするらしいんですよ。その時に「(あなたが望んでないだろうことはわかっているけど私はあなたが好きだから離れたくない。ので追いかけます。)ごめん、愛してる(から)」というという結末らしいんですね、聞いたとき、うへーーー!ってなりました。

対して日本版は長瀬智也が言うんですよ。もう、死期が迫っていることを感じた長瀬智也は、自分がいなくなった後に、吉岡里帆がそして自分とかかわったすべての人が自分のことを想い続けないように、生きた痕跡をすべて消して行こうとします。自分の生きた証(もしくは死後のビデオレター)のつもりで携帯に撮りためた動画、吉岡里帆の携帯にある自分の写真(ここで吉岡里帆の携帯に彼専用のフォルダがあるのがまた泣けたんですけど、これは演出上「写真は全部消したよ」というのをわかりやすくするためなのかもしれない。)を消し、旅立つためのすべての準備ができた後に彼女に電話を掛けるんですね。そして「(あなたが俺を愛してくれているのは知っている。でも、いなくなる俺があなたのことを愛するのは、あなたに悲しい思いをさせるとわかっているからそれはあなたを傷つけることになる。でも、)ごめん、愛してる」と言い残すんですよ。その後物語はそのシーンから1年経ち、冒頭の、吉岡里帆がソウルに行くシーンで終わります。(ただ単なる時間的縛りの可能性は高いけど)その1年の経過を省いたことで、視聴者がその一年のヒロインの苦悩を想像する余韻が与えられました。その想像はきっと視聴者一人一人が自分の経験をもとに想像できたんですよ。

なんていうか、私の解釈は、ベタだけれども、「愛した人を失うつらさを乗り越えたヒロイン」が「前へ進んでいく」というもの。愛する人が亡くなる経験をする人は多くはないと思うけれど、愛する人を失う経験ってみんなきっと一回はあって、それは人によっては決して振り返りたくない辛い出来事として胸の奥にしまわれてたりする。けど、純粋に心の底から人を愛することはどんなに悲しい結末を迎えるとしても決して無駄にならないんだろうな、と最後の吉岡里帆の晴れ晴れとした顔が思わせてくれたんですよね。

たぶん、私がそう思えたのは、今の私に恋人及び想い人がいないからなんだろうな、と思います。いる状況でこういうドラマ見ると、自分を重ねすぎてダメなんですよ。だから、やはり、このポストでもともと書いた

>見ているこっち側(視聴者)のスタンス、心理状態、環境とかもドラマには大きく影響するなっていうことです。

というのはほんとなんだな、と改めて感じた次第です。

 

後これは完全に言いたいだけなんですけど、大竹しのぶ長瀬智也にご飯を作ってあげるシーンは圧巻でした。彼が(自分が息子であると告げていない、本当の母親である)大竹しのぶに人生最初で最後となるご飯(卵粥)を作ってもらうシーンなのですけど、大竹しのぶがご飯を作ってくれるところを見つめる長瀬智也の目は本当に自分の母親を見つめるずっと天涯孤独だった男の目だったし、卵粥を口にしたら本当のことを告げたくなってしまい、そんな自分をおさえることができなくなる限界で逃げるように帰る、自分の心を何とか抑えようとするお芝居は見ていてこっちが吐きそうになるというか、本当に見ていて抱きしめてあげたくなるような、いいんだよ、と言ってあげたくなるようで圧巻でした。で、大竹しのぶ。この人ほんとに天才だというのはみんな知ってることなんでしょうけど、すごいですね。長瀬智也が息子だとは知らないのに、彼が帰った後なぜか涙があふれ出す演技!!!で、しのぶ先生、「なんで?」と、涙が出る自分に戸惑うんですけどもう見てるこっちが「なんで(そんなお芝居できるの?!)」でした。

 

以上。