One Of A Kind

ツイッターには長すぎるつぶやき、感想とか。エンタメ系はなるべくネタバレはしないことを信条にしてます。

『ちょうどいいブス』はいらない、いつも心にデビ夫人を。

昨日から日本人女性(少なくとも私の周りの)の脳内にこびりついて離れない

『ちょうどいいブス』

というワード。昨日、止まらない思いをエントリー↓にしたためたわけなんですが

 

oneofakind.hatenablog.com

 

昨日一連のツイートをした時と上の記事を書いていた時にずっと頭にあった話がありまして。

 

それはアメリカ人歌手のアリアナ・グランデが朝の情報番組(『ちょうどいいブスのススメ』を放映する日テレの『スッキリ』)でお笑い芸人の春菜と共演した時のことなんです。春菜の鉄板ネタの

マイケル・ムーア監督じゃねーよ!シュレックじゃねーよ!」

っていうネタを司会の加藤浩次と一緒にアリアナにやったんですね。日本だったらみんなが知っているこのネタ。そして大体みんなが笑うやつ。これを、アリアナ・グランデは何が面白いのかまったく理解できてない様子で全然ほんとに笑わなかったんですよ。途中でたぶんほんとにわからなさすぎてアメリカ人がわからない時によくやる両手を上にあげながら肩をすくめるポーズ(ちびまるこちゃんの花輪君がやるやつね)までして、

「あなたは『カワイイ』わ!」

って言っていて、本当に本当に何が面白いのかわかっていなかったんですよ。

私、これ、リアルタイムで見ていたのでゲストで来てくれた大物歌手が笑ってくれなくて現場がちょっと焦ってるのが伝わってきてたんですよね。春菜は困った顔をしていた。で、後から分かったのはアリアナ・グランデはCM中に春菜に対して

「あなたは本当にマイケル・ムーアに似てない。私が約束する」

って声をかけたらしいということ。詳しくはこちらの記事を読んでください↓

 

www.excite.co.jp

 

この話を最初に知った時、

 

日本の常識、世界の非常識。

 

っていう言葉が浮かんだんですよね。こういうこというと海外かぶれとか言われるんでしょうけど、島国日本の価値観や常識は世界で通じないことがたくさんある。それはいい。別にいい。だってどの国だって独特の文化があって中には日本人の私たちには理解できないこともたくさんあるから。だけど、時代というのは常に前に進んで変わっていくものであって、時代は変わっていくのに自分は変わらない、っていうことは退化でしかないと思う。そして今の日本はそれが平然と行われていると思う。

 

常識・非常識、でいうと、私は女子高育ちなのですが、同じように

 

うちの高校の常識は世間の非常識

 

って言われてたんですよ。女しかいない世界でのびのびと育ったから、男性を意識することがなかったんですね。大学に入って家族以外の男性と日々接するようになって初めて、共学育ちの女子たちと違って色恋沙汰の際に「男に媚びる」方法を知らない自分に愕然としたんですよ。今思えばそんな媚び売る必要なんてそもそもないんだけどさ。18歳とかだしさ、当時。それでも、その時の論点はあくまでも一人対一人の話だったんですよ。

 

その後社会人になると、

上司というものは概して男性で、社会人だから上司の言うことには従わなくてはいけなくて、でも上にいる人が男性だらけだから女性の価値観は全く無視されて、女性の価値観は理解できない人たちだから女性は上に上がることもとても難しい、

というのを目の当たりにしたんです。

 

勉強ができる、歌が上手い、走るのが早い、絵がうまい、とか、純粋にその人そのものが持つ資質のみで人は「この人はこういう人」というキャラクターづけされるのが当然だと小さな時から疑いもせず思っていた私には、男と女、という性別があるだけでその定義づけや世界がまるで変わる、そもそもの出だしの待遇が違うっていうことがある、という事実に動けなくなるぐらいにショックだったんです。

 

今の世の中には、たくさんの『違い』がある。性別だけじゃない。国籍・宗教・文化…。本当にたくさんの『違い』がある。『違い』は全くもって悪いことではない。私は『差別』というのは相手の立場や状況を考えないで自分の考えを押し付けることだと思っていて、『違い』がもとで『差別』することは悪いことだしあっちゃいけないと思ってます。

これ絶対。

 

で、今回は自分が女だから、『ちょうどいいブス』の押し付けに対してキーキー言ってますけど、逆もあるからね。男性に女性が押し付けてることたくさんあると思う。たとえば男の人は男らしくたくましく頼りがいがあるのがいい!っていう概念を無意識に押し付けてしまっているかもしれない。それに苦しんでいるけど声を上げられない男性がいるかもしれない。

 

ただ、女性に押し付けられる男性世界の価値観が話題に上ることが多いのはやっぱり今の社会が(未だ世界中で程度の差はあれ)男性主導社会だからなんですよ。女性やその他のマイノリティが権利を主張するのは本来持つべき権利を持ってないからなんだよね。そして平等な権利を主張する女性の活動や言動に対してネガティブな批評がされたりするのは、今いい立場にいる男性(の大部分)が、自分の立場が今と変わってしまうことに恐怖を感じているからなのでは?『ちょうどいいブス』なら男性に恐怖は与えないから彼らは女性に『ちょうどいいブス』をもとめるのでは?

 

さらに怖いのは価値観を押し付けられている女性そのものがその押し付けられた価値観を正しいと思い込んでしまっていること。

 

要するに洗脳されてるんじゃなかろうか。

 

男も女も一緒の人間なのに「女は一歩引いて男を立てるべき」とか自分で思い込んじゃってないでしょうか?「男性を立てる」価値観が正しいんではなくて「相手を立てる」価値観が美しいんだと思うんです。だけどたぶん私たち日本人女性は武士の国日本の女性だから、男性を立てる=相手を立てる=正しいっていつの間にかずれてしまった価値観を正しいと思い込んでないだろうか?

 

だから、男性は女性に何かを押し付けるべきではないし、女性は男性に何かを押し付けるべきではない。男性は女性に押し付けられた何かを甘んじて受ける必要もないし、女性は男性に押し付けられた何かを甘んじて受ける必要はない、そもそも人に何かを押し付けないほうがいいよ、と、私は思う。

男性とか女性じゃなくて、一人の人間として相手と向かい合うべきなのでは。

そしてその集合体が、社会なのかなって。

男も女もおんなじ人間ってことを心から理解することが大切なんだと思うんですよね。

 

 

だから、私たち日本人女性が自分でできることって、まずは自分は尊敬をもって扱われるべき人間であり、『ちょうどいいブス』ってちょうどいいんじゃない?なんて言われたらそんなやつとはスパッと縁を切ることだと思います。自分をきちんと扱ってくれない人や集団と付き合う必要ないでしょ。どうしても縁が切れないのであれば

「え?ちょうどいいブス?この私を捕まえてちょうどいいブス?オホホホホ!面白い冗談ですこと~~!」

って、心にデビ夫人(叶姉妹でも夏木マリ様でもお好みでお好きな方を)を降臨させませんか?